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 テレゴニーは十九世紀後半まで広く信じられてきた概念のようだ。けれども当時、証拠は見つかっていない。現在では類似の現象がハエで発見されているらしい。日本語では先夫遺伝せんぷいでん、あるいは感応遺伝かんのういでんと呼ばれるようだ。

 一九世紀に『モートン卿の牝馬』という、もっとも広く信じられたテレゴニーの例が登場する。これは外科医、エヴェラード・ホーム卿によって報告され、チャールズ・ダーウィンも引用したらしい。モートン卿は白い牝馬と野生のクアッガの種牡馬を飼育しており、後に同じ牝馬と別の白い種牡馬を飼育したところ、奇妙なことに、その子の足にはクアッガのような縞模様が観察された、というのだ。

 ニューサウスウェールズ大学のグループはテレゴニーに類似の現象を初めてハエで発見し、二〇一三年の第一四回ヨーロッパ進化生物学会で発表している。スタンフォード大学のレオナルド・ハーゼンバーグ教授は一九七九年に胎児のDNAが妊娠によって母親の胎内に残る現象を初めて証明している。フレッド・ハッチンソン癌研究センターは二〇一二年に胎児のDNAが脳関門を通過し、母親の脳内に残る現象が珍しくない事実を明らかにしている。同じ年にレイデン大学医療センターが以前の妊娠で母親の体に入った胎児のDNAが年下の兄弟の中にも入る現象を指摘している。

 上記の事実から一部の科学者はテレゴニーを説明できる分子生物学的メカニズムを提唱しているようだ。そのメカニズムとは精子による女性生殖器内の体細胞への侵入、妊娠による胎児の細胞を経由したDNAの結合、精子から放出されたDNAの母体体細胞への取り込み、母体血中に存在する胎児のDNAによる影響、体細胞への外来性DNAの編入、精子や胎児に含まれるRNAによるエピジェネティクスな非メンデル遺伝などらしい。

 テレゴニーの一般的概念は上記だが、更に調べてみると、マイクロキメリズムという別の概念と強く結びついている、とわかる。

 妊娠中に胎盤を通じて細胞の移動が双方向に発生する場合がある。移動した細胞は何故か免疫系に排除されずに定着し、数十年という長い期間に渡って存続が認められる。すなわち、マイクロキメリズムとは遺伝的に由来の異なる少数の細胞が体内に定着し、存続している現象を示す。この現象は特定の自己免疫疾患に関係すると言われるが、研究途上であり未知の領域が多いらしい。

 そんなマイクロキメリズムの概念に係るのが臓器移植に纏わる奇妙な話だ。

 世界初の肝臓移植と肺移植は一九六三年にアメリカで行われる。初の心臓移植が南アフリカで一九六七年に行われ、日本では一九六八年に初めて実施される。そんな折、臓器移植により、ドナーの記憶がレシピエントへ転移するという報告が発表され始める。多くは心臓移植に関連するようだが、それ以外の例もあるらしい。その後、幾つかの研究がなされるが、多くのレシピエントは人格の変化を自覚しない。けれども自覚す患者も二〇パーセント以上いるという。

 例えば、ある中年女性が若い男性の心臓と肺を同時に移植され、嗜好が変わったというケースがある。この女性は術後に苦手だったピーマンが大好きになり、ファーストフードが嫌いだったにも関わらず、チキンナゲットを好むようになった、という。さらに性格も活発になり、ときには若い男性のように振る舞った、と伝えられる。

 基本的にドナーとレシピエントは会うことができない制度だが、その女性は手術日の死亡記事を入念に調べ、自分のドナーが誰であったかを知り、その家族に会いに行き、ドナーの若い男性がピーマンとチキンナゲットを好んだことを確認している。

 また八歳の少女の例では、十歳の男児から心臓を提供され、移植手術を受けた少女は、その後、頻繁に悪夢に魘されるようになった、という。夢の中で知らない男性をはっきりと見る。が、あろうことか、その男性は少女のドナーであった十歳の男児を殺害した犯人だったのだ。少女が似顔絵を描き、犯人逮捕に繋がる。

 この方面の専門家は記憶転移が科学的に証明し難い、と考えている。が、そこに光を当てるのがマイクロキメリズムだ。

 マイクロを除いたキメリズムの語幹となる言葉『キメラ』はギリシャ神話に登場する伝説の生物『キマイラ』に由来する。キメラとは『同一個体内に異なった遺伝情報を持つ細胞が混じっている状態や個体』のことだ。だから母親にとって胎児はキメラだ。妊娠すると、胎児というキメラの影響を受け、好みや気分や行動が変わる。先の心臓移植でも、それは同じだ。胎盤を共有する多胎児間や母子間でも生じる。

 例えば、母子間では胎盤を通してお互い細胞が移動し、共有しあう。キメラを有することは特別なことではないのだ。

 マイクロキメリズムは母親での研究が多いから母親に限った現象のように思われることが多い。けれども母と父は愛を交わす際に粘膜接触を繰り返すので、父親にもキメラ細胞が流入する。人は知らずに他人の細胞を受け入れているのだ。いや、実は慢性的な不安や記憶転移を伴って……。

 が、多くの者には自覚がない。それはマイクロキメリズムがマイクロ過ぎるからかもしれない。けれども、わたしの場合は大量の輸血を受けている。仮に、その血の一部をわたしに与えたのが男であり、わたしが知らずに――大怪我をする以前に――、その男の子供を流産していた、とすると……。

 すでに、わたしの身体の中には、その男の細胞が入っている。愛し合った結果のことのだから馴染んでいるかもしれない。そこに輸血という事態が重なる。記憶転移の材料が揃ったのだ。

 現時点で証明はできないが、それがわたしの悪夢の正体なのかもしれない。わたしは過去に怖ろしい男を愛してしまったようだ。


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