名も無き花
その花は道端に咲いていた。
名もない小さな花だった。
毎年、この季節になると真っ赤な花を咲かせていた。
花はただ咲いていた。
誰かに特別愛でられることもなかった。
ただ、咲くことが習慣であるかのように咲いていた。
だから時には踏みにじられ、その花を無意味に散らしたこともあった。
ある年のこと・・・
花は一人の少女と出会う。
少女はその花を見ると、何かに囚われたようにスケッチブックにその花を描いた。
少女は来る日も来る日もその花を描いた。
少女はその花をとても気に入っていた。
少女が描くその花は生きる力に満ち溢れ、赤は燃えるように鮮やかだった。
花は自分の色を知らなかった。
だから自分がどれだけ美しいか、知る由もなかった。
そんなある日・・・
少女の描いたその花の絵が脚光を浴びた。
少女の描いたその花は、瞬く間に多くの人々の知るところとなった。
人々は名もないその花を「奇跡の花」と絶賛した。
少女のおかげで花は手厚く保護されるようになった。
花はうれしかった。
自分が人々に愛でられることが幸せに感じられた。
しかし・・・
花は心無い一人の男によって刈り取られてしまった。
男はその花を自分の好きな女性にプレゼントしようとしたのだった。
「どうせまたすぐ咲くさ。」
男は安易に考えていた。
しかし、彼は知らなかった。
その花は切り取られると、再び花をつけるのに長い年月がかかることを・・・
翌日、花を描きに来た少女は途方にくれた。
自分が愛した花が無残に切り取られていたことに深い悲しみを募らせていた。
「ごめんね。ごめんね。」
少女はまるで自分が罪を犯したかのように、繰り返し謝り続けていた。
花は分かっていた。
この少女に罪はない。
しかし、花には少女を慰める術がなかった。
花は生まれて初めて神に祈った。
「私のこの気持ちを彼女に伝えたい・・・」
花の祈りは神に通じた。
神は少女に一言だけ気持ちを伝えることを許した。
花は考えた。
今、自分のために泣いているこの少女に何を伝えたいか・・・
しかし、出てくる答えは一つだった。
花は少女に語りかけた。
「お嬢さん・・・」
少女は花を見つめた。
そして花は万感の想いを込めてその一言を伝えた。
「ありがとう」
少女はその言葉を受け取ると、大いに泣いて花を抱きしめた。
・・・月日は流れた。
少女は大人になり、子供を授かっていた。
「あ、お母さん!見て!」
幼い少女は母の手を引いて指差した。
その先を見た母親はにこやかに、優しく微笑みながら呟いた。
「おかえりなさい。」
真っ赤な花が風に揺られて咲いていた。