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灰色の野良猫  作者: よりより
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最悪な半日

時代はいつだろうか。そんな概念というものは、今までもこれからも持ち合わせることはないので、眼前に広がる景色でも伝えられれば上出来だろう。

座っているすぐ目先には大きな四角とも三角とも言えそうな無機物のブロックが何個も重なり、連なっている。その手前には動く複雑な形のブロックさえある。右から左へとざあぁと耳にこびりつくような騒音をかき鳴らして前を通り過ぎる。小さい時によく慣れ親しんだお立ち台のように温かいものではなく、冷たい。この座っている足元さえ、とうの昔から死んでいる。今では日の光くらいだろうか、この生活に生を提供してくれているのは。

「あ、猫だ。」

そして、この生活を上手くやっていけるかどうかを支配するのはどこのにゃんこでも口をそろえて「ニンゲン」との関わりと言うはずだ。この短い猫生を振り返っても奴らはやたらとこちらとの交流をしたがる。こちらに対して気を使っている気配はおろか、素振りすら全く無い。自己の欲求だけを満たしたいがための愚昧な行動には目も当てられない。いつもの海原通り沿いの畑は鼻をねじ伏せるような臭いを持つ奴もいないし、元から奴らがいない場所であったから絶好の休憩場だったが、上手くいかないことも生きていればままある。

「どうも、こんにちは」

挨拶は仕事の癖でつい出てしまう。こちらから声をかければ、大抵の奴らがこちら側に好意を向けてくれていると思い込んで近寄って来る。

「可愛い、目が青いよ。この子。」

「うわぁ、ホントだ。すごーい。」

本音を言えば通り過ぎるくらいの距離感がちょうどいいのだが、おもむろに近寄って来るのは実に不愉快だ。興味を持ってくれるのは悪い気持ちはしないが、さすがに休憩時間を削ってまで、営業スマイルを前面に押し出して奴らと関わることは寿命に響く。加えて、奴らはお得意の小さな四角い板を手に持ち、黒い目がついている面をこちらに向けてくる。ガサッという音を鳴らして手から離すことに何の効果があるのかは知らないが、気味が悪い。挙句の果てには接触を図ろうとしてくるので、それだけは絶対に避ける。ここにいても何も得をしないと直感がそう告げるので、足早に場所を変えることにした。この町は生きていくのには困らない程の店があるが、時間を潰すことに向いている施設はあまりない。大半はそんなものを必要とせずとも、時間を潰せるだけの遊びを見つけられるのだから当たり前のことだろう。

「いらっしゃい。にゃんだ、この時間に来るとはめずらしいね。今日はどうしたんだい。」

「悪いね、今日は気分が冴えにゃいだけさ。」

勤務先の事務所に近い茶トラの理髪店へ入った。普段は出勤前に寮の近くの理髪店に寄ってから出勤するのが習慣なので、ここへ来ることは寝坊した時と首の毛並みに不満があった時くらいだ。

「いつものように整えてくれ。お代は明日の朝に持っていくよ。」

「かしこまりました。ニンゲンさんにでもぐしゃぐしゃに撫でられちまったのか。」

「いいや、気分をぐしゃぐしゃにされたんだ。」

「うちの店は毛並み専門だから、さすがにそこまでは整えられないかもしれないや。」

「見た目さえよければにゃんでもいいさ。」

普段は接人業を営む会社に属している。奴らに愛想をふりまいて餌場を作ってもらい、食料を確保する仕事だ。食料は自分達の生活のためだけではなく、高齢者のところへ配給に宛てていたり、他の地域に提携している会社と食料の貿易をする。時折、奴らに家猫としてスカウトされることも仕事柄あるが、会社内のルールとして丁重に断るようにしている。玉の輿に乗るのは一世一代のチャンスだろうが、早死にしやすい、他のにゃんこたちとの交流が疎遠になる、と実際のところ欠点が多くあるので皆あまり乗り気ではない。むしろ、こうしているほうが性に合っている。

「せっかくいい毛色してるんだし、もっと大事にしにゃよ。」

「分かってるよ。それを生かしたのが今の職。」

以前は配達業で生計を立てていたけれど、同僚と上手くやっていけなかったから転職した。原因となったのは配当がネコババされていたこと。仕事の業績と不釣り合いなことに気づくのに結構な時間が経っていたので、証拠は誰かの腹の中に入っていただろうから諦めるしかなかった。この一件で猫付き合いに苦手意識を持ったということも相まってもう二度と思い出したくはない過去だ。

「そうかい、そうかい、んで、最近のはどんにゃ感じ。」

「イワシ通りのとこで食料を毎日くれる奴を確保したよ。結構時間かかったけどね。」

「はー、そりゃ生活に困りはしにゃさそうだこと。」

「物は加工品だから、保存も効くよ。」

「それは取れ高があるねぇ、ちなみにその食料はどういう味だい。」

「うおの味がする塩辛いもんだ。」

「いいね。明日持ってきておくれよ。お代ってことにしとくから。」

「はいはい、試食も兼ねて持ってくるよ。」

前回来た時にはキャットフードと呼ばれるものを払った。相変わらず茶トラの理髪店は陽気な茶トラ店員だけだ。変わったといえばお互いに少し白ひげが伸びて老けたところしか思いつかない。

「そっちこそ最近の調子はどうにゃんだ。」

「可もにゃく不可もにゃくって感じで日々を生きているよ。」

「そう。」

「聞いといてその反応か。かにゃしいねぇ。」

「ごめんごめん、考え事をしていて、つい。」

「仕事のことかね。」

「この後に、どこへ宛てを探そうか考えていたところ。」

「考えすぎは早死にのもとだぜ、旦那。」

「気をつける。」

もうこの職に就いてから前よりも長くやっていると思う。収入は安定しているし、寮生活も何事もなく過ごしている。しかし、体の中のどこかで何かが満たされていない気がする。収入は安定してたらふく食べられることが多いから、お腹ではないのは言うまでもないが、何故だか、もやもやする。何かでこの穴を埋めなければ。

「はい、終わったよ。お疲れ様でした。」

毛を全て整え終えてから茶トラは仕事終わりの一服にと、近くに生えている草をむしりながら言う。

「やっぱ、灰色の毛に青い目は綺麗だねぇ。」

「そりゃ、どうも。」

「ニンゲンさんにもその艶姿は人気かい。」

「嫌がって離れようとしても、嬉しがって追いかけてくるくらいにね。」

「ははは、野良でその毛色を持つのはそう見にゃいから。」

茶トラは自分の背中の毛並みを整えながら続けて言う。

「ニンゲンさんに可愛がられるのもいいけど、ニンゲンさんだけじゃにゃくて、にゃんこにもかわいがられるようにゃの。ニンゲンさんの言葉を借りれば、確か、ゲイノウジンっていうんだっけ。あれとかもいけそうだよ。」

「それとこれとは別だよ。ニンゲンの相手は楽だけど、にゃんこだったらハードルが高い。それに片方ならまだしも両方に愛想を振りまいてたらこの毛がすぐ白に変わるよ。」

奴らを手懐けるのは実に簡単だ。甘えた声で鳴いてすり寄れば自分に心を開いたと勘違いして喜ぶ。都合の良いように捉える単純な思考にはつくづく呆れつつも上手く利用している。反対に、にゃんこ相手ではそううまくもいかない。美味しいところだけをもっていったり、切り上げるタイミングが早かったり、既に他のにゃんこと駆け落ちをしていたりとやりとりが難しい。この歳になってもいい相手に出会えていないのはその面倒くささが意欲も性欲も押し潰している。らしくない。

「冗談だよ。ほら、お仕事がんばりにゃ。」

「ありがとう、また来るよ。」

「また来るのは明日の朝だからね、それに加えてお代も持ってきてくれよ。」

「にゃんかいも言わずとも持ってくるよ。」

茶トラはよほど楽しみにしているのだろう。尻尾がメトロノームのように草を揺らしながら動いている。

「じゃあ、行ってきます。」

「いってらっしゃーい。またのご来店をお待ちしておりまーす。」

店を後にして仕事場へ行く。茶トラの理髪店から目の前にフナ通りが流れている。そこから、クジラ大通りに向けて歩いて一つ目のところの脇道を右に曲がれば勤め先の事務所だ。ここは靴屋と中華料理屋の間にある従業員用の裏口で、年中通してブロックから温かい風が吹くのが良い。会社の社員は全て寮で生活をするので、基本的にこの事務所は仕事の進度を報告する場所となっている。仕事で得た餌場の食料はこの人目につく事務所よりは森にある寮に奪われないように全て集める方が安全だからだ。事務所に入り、休憩から戻ってきたことを社長に伝えて仕事を再開する。クジラ大通りに出てからどうするかなどは考えていない。考えるよりも惰性で歩くのが好みだ。茶トラには嘘をついてしまったが、食料さえ渡せば幾分か機嫌をよくしてくれるだろう。気持ちを切り替え、綺麗になった前後の足を一歩だす、まずは海通りでニンゲンを待つことにする。通りを目指しながら辺りを見回せばイチョウが既に死んだ足元を埋めて黄色の絨毯として生を紡いでいる。イチョウの葉の上を上手に踏んで歩くと、ふわふわとまるで本物の絨毯を歩いている気分になり気持ちがいい。海原通りに決めていたが、この辺で待つことに変更した。座り心地は悪くない。

「こんにちは。」

随分歳を重ねたニンゲンに話しかける。このくらいの時間帯は黒をまとった奴らはおらず、年嵩が増したのと、メスが多い。

「おう、にゃん公。餌が欲しいか。」

普段では余程会話する機会が無いのだろう。声をかける前はあれだけ死にそうな面持ちで歩いていたのに、今では水を得たうおだ。

「食べ物くれ。」

「おお、そうかそうか。」

いつものように足の周りを歩いて体をこすりつける。もう一息だろう。

「お願い。」

可愛く鳴いて様子を伺う。

「あははは、お利口さんだな。どれ、少し待ってくれ。猫缶でも買ってきてやろう。」

機嫌を良くしてからどこかへ行ってしまった。いつもの感じなら何かしらの食料を持ってまた戻ってくるので、いつものように爪を研いで待つ。このニンゲンは何を持ってくるだろうと想像しながら爪を研ぐのが習慣になりつつある。割と目にすることがあるのは缶詰の類で、生の食料などは滅多にお目にかかれない。因みに好物は歯ごたえと舌に残る風味がたまらない煮干しで、いつも仕事終わりに食している。疲れている時の一匹は格別の一品だ。

「お、いたいた。持ってきたぞー。」

さっきの奴だ。白いもやもやした物を手に持ち、その中はうっすらと何かが入っているのが分かる。恐らく食料だろう、尻尾が鳴る。

「それはにゃにが入っている。」

「おじさんを待っていてくれたんだな、ありがとう。今開けるよ。」

ガシャガシャと白いもやもやに手を入れてほじくり返して中から取り出したのは猫缶だ。パキっと音を鳴らすといつものカツオの匂いが鼻を通ってくる。奴は足を曲げてそれを足元に置くので、早速味見をする。まずまずといったところか。しかし、缶のままでは運ぶのも面倒だし、表面しか食べられない。ここからの交渉が大切になってくる。

「これを小分けにしといてよ。」

「喜んでくれたか。ははは、綺麗で素直なにゃん公だ。」

味見をしていると、体を触ってくる。食料をここまで用意したなら触ることくらいは許している。最近は何も用意せずに触ってくる輩がいるので失礼極まりない。

「ねぇ、これじゃ食べられにゃいんだけど。」

シワで変形した顔を見て言うが、それはもう奴の耳には入っていないようだ。掌握したかのような調子に乗った顔している。コイツはもうダメだ。取引をする際は取引自体が終了するまでが平等であるに加えて事後の処理まで責任を持ち、互いの利益になるように行わなければならない。一方に不足或いは不利益を与えてしまう行為が見られた場合は取引はいかなる場合でも中止とする、というルールが会社で定めている。社訓として朝に毎回復唱している甲斐があったとやっと実感できる日がきた。さて、さっさと口実を見つけて切り上げなければ。

「※〆々○〒✘♯!」

ニンゲンなのか、にゃんこなのか分からないような音域の叫び声が突然聞こえた。音のした方向に顔を向けるとクジラ大通りから小さなニンゲン達が散弾のようにこちらめがけて走ってくる。尻尾も身の毛もよだつ危険な存在が迫っていることを直感的に察してからすぐ足に逃げるよう伝える。

「悪いね、また機会があったら会いましょう。それじゃ。」

ダダダダダと銃声が後ろから聞こえてくるのを尻目に颯爽と抜け道へ向かい、家の隙間を縫うように通って寮の近くのクジラ大通りにでた。あのしわくちゃなニンゲンは弾丸によってまた死んでしまっただろう。そんなことを気にかけてしまうほど単純な奴だったからなのかもしれない。

「ここに来るのはまだ早いんじゃないのか、それとも今日はもう仕事終わったのか。」

不意に声をかけられたので、ふにゃあと変な声を出しながら飛び上がってしまった。まだ追いかけてきたのかとドキドキしたが、声の主は寮の管理にゃんこの白だった。

「おいおい、驚かなくてもしっかりとここにいつもいるぞ。」

「いや、小さいニンゲンが追いかけてきたので逃げてきてここに来たんです。そしたら急に声が近くにしたので、まさかあの道を辿ってきたんじゃないのかとびっくりしたんですよ。」

「おつかれさまにゃこった、小さいニンゲンは関わるだけで寿命が縮みそうだな。」

「もう縮んだ後ですよ。まぁ、逆に切り上げる口実ににゃったので助かったんですけどね。」

「サボりか。」

「違います。気が利かにゃい相手だったんです。」

「それなら相手が悪かったにゃ。」

「えぇ、ホントです。食料をボンと置くだけで良かれと思っているみたいで、小分けにして欲しいと頼んでももう聞き入れてくれませんでした。」

「ほほぉ、にゃるほど。」

「まぁ、その後はさっきも言ったようにゃことが起きてから逃げ帰ってここにいるんです。」

「ほぉほぉ、一つ聞いていいか。」

「はい、何でしょう。」

「食料を持ってきたニンゲンは幸せそうだったか。」

「うーん、そうだったと思います。」

「そうか。にゃら安心だ。」

「安心だって、どういう意味ですか。」

「特に意味はにゃいよ。」

「意味はにゃいってことはにゃいですよ、そう言わずに教えてください。」

「もう少しこの仕事続ければ直に分かる。」

直に分かるって言われても納得いかない。何かを知ったかのような顔つきをしている白はなんだか満足そうな顔をしている。問い詰めても答えなさそうな様子なので、ここは一旦諦めることにしておく。

「そうですか、じゃあまた仕事してきます。」

「頑張ってこい。」

管理にゃんこの白と別れて、再び仕事を始める。この仕事は日が沈む前までなので今日の仕事もあと少しだろう。これから始めるにしても時間がないので、イルカ通りにある公園に行って情報収集することにしよう。公園では別の企業が情報屋として屋根を掲げている。今の時間に行けば明日の天気くらいは知れると思うので、交換のための手土産として朝に貰った食料を咥えて行く。クジラ大通りを商店街の所まで進んでから左に曲がって歩いていけば右に見えてくる場所なので、あっという間に着く。空の色が黒くなりつつあるので公園には小さいニンゲンはおらず、若いのが座っているくらいのものだから落ち着いて歩ける。公園は情報屋曰く「トイレ」と「恐竜」と「足長棒」と木があるだけの大きな公園だ。公園に入ってから左側に木が並んでいるのでそれらの手前から二番目の木に食料を置いて三番目の木の下に行く。

「すいませーん、明日の天気教えてくださーい。」

後ろの木からするするとにゃんこが降りてきて置いた食料を咥えて木に登ると「どうぞ。」と声が真上からする。木に登る。

「こんにちは、春さん。」

「こんにちは、もうすぐ家に戻らなきゃいけにゃいから手短にね。」

「明日の天気はにゃんですか。」

「明日の天気ね、はいはい、ちょっとまってね。ええっと、明日の明日の」

春さんは飼にゃんこなので名前を持っている。基本的に名前は必要とはしていないが、飼にゃんこか野良にゃんこかどうかの差は名前の有無だ。春さんは春情報屋として公園の木を拠点に色々な情報を提供して引き換えに食料を得ることを生業としている。春さん自体はニンゲンにまつわる情報が専門分野で、家で色々とニンゲンについて、言葉、ひいてはニンゲンと同じように「テレビ」と呼ばれるものから情報を調べている。ただ、日が沈んでからは家の中で生活をしなければならないので、昼間くらいしか外に出ることはないらしい。飼にゃんことしての苦労も春さんからよく聞いている。

「あったよ、明日の天気は曇りのうち雨。雨は今くらいの時間で降り始めるよ。気温が下がるからあんまり外出は控えたほうが良いと思うわ。」

「ありがとう。雨が降るのですね、わかりました。」

「それじゃ、閉店するよ。」

木から降りると、春さんもするすると降りて家へ戻っていった。明日は雨が降る、あまり嬉しくはないが喉を潤すチャンスでもあるので楽しみだ。公園をでてから事務所へ向かう。

着いた時はまだ社長と自分も含めて四匹しか集まっていない。残りの二匹を待つ間に、この後の予定をどうしようか決めたいところだ。この前は寝ていただけだったので、今回は外にでて運動でもしようか、それとも匂い屋でも寄ってリラックスしてこようか、でもやっぱり寝ていたほうが気持ち良いような、あれこれと選択肢が浮かんできて悩ましい。

「よし、全員揃った。報告会を始めよう。」

悩んでいる時に限ってすぐ集まる。総勢六匹の社員は揃って各自報告をする。

「今日は商店街の裏でゴミ袋が置いてありました。引き続き調査し、回収可能か検討していきます。」

「食料保存庫は異常にゃし。今回腐ってしまいそうにゃ食料は肉付き骨と缶詰一つなので、報告会終了後、各自で食べるようお願いします。」

「今日は商店街組合との話し合いをしてきました。決定事項はこの前報告した等価交換のレートの変更です。缶詰三つから四つへと変更ににゃります。」

「今日はイワシ通りでの交渉が成立しました。これから朝の時に回収していきます。」

「よし、報告会はこれでおしまい。今日の業務はこれで全部終了。明日も頑張っていこう。」

「お疲れ様でした。」

報告会が終わり、まずは寮で食料を食べてからだ。フナ通りを通ってクジラ大通りに出る。そして商店街とは反対に歩くと駐車場わきにサンマ通りがあるので、そこを通れば森の中の寮に着く。さっき会ったばかりの管理にゃんこの白が出迎えてくれた。

「一日ご苦労さん、食料はもう配給済みだよ。ゆっくり食べなさい。」

「ありがとうございます。」

自分の寝床には缶詰の中身と肉付き骨が置いてある。それをパクパクと平らげて一息つく。しだいに眠くなってきた。少しだけ瞼を閉じて寝ているような気分になる。今日あったことを振り返る必要はない、明日も同じことをすればいいのだから。

目を開けると同僚はもう自分の時間を存分に使っている。就寝する者、外に遊びに出ている者、仮眠をしたので体を起こして外に出ようとしても重い腰を上げるのは面倒だ。このまま朝を迎えるのもなんだかもったいない気がする。うだうだ寝床で転がると白が来た。

「うにゃされているのか、子守唄でも聞かせてあげようか。」

「いえ、結構です。余計にうにゃされます。」

「傷つくことを言う、少しは柔らかく受け答えをしてくれよ。」

「ホントの事ですから。」

やれやれとため息をついて、ぷいっと尻尾をこちらに向けるとまた門のところへと戻っていく。このままいてもまた子守唄を聞かせてあげようかと言われるのが直感的に察したので、尻尾で体に鞭打って立ち上がる。

「出かけてきます。日が昇る前には戻ります。」

「はい、行ってらっしゃい。」

クジラ大通りに出てからふらふらと町を散歩する。いい匂いがあちらこちらからする。落ち着いた光で見やすい通りは何かと便利だ。それに運動にも適している。今日は散歩しつつ運動しよう。ひょいっと塀に登り、色々なところを見て周る。家の中ではニンゲンが食料を囲んで集っていたり、テレビとやらを見ているニンゲンもいる。あまり家に近づくと追い出されるので、塀が足場としても領域としても丁度良い。

「わん、わん、わん。」

生憎ここは番犬がいるようで、登るなと注意された。しぶしぶ塀を降りて馴染みのしらす商店街へ向かう。

「今日でこのお店は閉店でーす。今にゃらお買い得セールやってまーす。どうぞー。」

「開運肉球占いやってます、いかがでしょうか。」

「生鮮食品専門店にゃま、今日のおすすめはカツオの叩きだよ。らっしゃいらっしゃい。」

奴らが使う大通りの商店街の一つ外れた道はしらす商店街で、まさににゃんこによるにゃんこのためのにゃんこの商店街だ。ここに来れば食料を持っていかずとも買い物せずに見るだけで十分楽しめる。特に気に入っているのはこの店だ。

「匂い屋―、匂い屋―、新しい匂いも仕入れたよー。」

匂い屋、お試しもあるので色んな匂いを嗅いで楽しむ。ここにいるだけで朝を迎えてしまうことも少なくない。店に入り、今日の新しい匂いを見てみる。葉っぱに書いてある品書きには「こすると花のいい匂い」「生鮭の匂い」「ニンゲンの好みの匂い」が新しく追加されている。

「いらっしゃいませ。どういう匂いをお探しでしょう。」

「いや、にゃんとにゃく見てるだけです。」

「もしよろしければ相談とかも乗りますので、気楽にお声掛け下さい。いらっしゃいませー。」

いい匂いのする店主のいらない最初の一声はもう耳にイカができるほど聞き慣れた。店を一周して品揃えを確認してと、いつもの「疲れた時に効く匂い」をお試しでお願いする。すると、店主は慣れた手つきで匂いを混ぜあわせてお試しの葉っぱになすりつける。それを嗅ぐとすうっと体の中に通って足の疲れがとれる感覚がする匂いだ。長く嗅いでいるともう動きたくないくらいになりそうな香りにホッと一息つく。

「お仕事終わりですか。」

「そうですね、ちょっと今日はいつもより激しめに動いたので、足が疲れちゃって。」

「作用でございますか、それでしたらこれとかもどうでしょう。」

そう言うと店主はまた匂いを混ぜあわせて葉っぱを差し出した。

「今嗅いでいただいたものに、うおの匂いを少し加えて削ったものです。こちらの方にゃどいかがでしょう。」

店主に渡された葉っぱの匂いを嗅ぐと、すうっと体に入りつつもうおの香りによってお腹が少し膨れる匂いがする。どうやってこのような匂いを手に入れられるのかは不思議だが、こうも上手く匂いを合わせられるのは素直に感心している。

「これはにゃかにゃかいいですね。」

「気に入っていただけたら幸いです。お腹も膨れるでしょう。」

「えぇ、すごいです。」

「今にゃらこの匂いはサービスで元の匂いと同じ値段で提供できますよ。」

「にゃるほど、そりゃお得。」

「でしょう、お値段の方は匂い葉が3つで缶詰2つ分ですね。」

さすが商店街で店を経営していくだけの商売上手だ。テキトーに返していたら瞬く間に買わなければならないところまで話が進んでしまった。

「そ、そうですねぇ。えぇっと、ちょっと今は手持ちがにゃいのでまた今度でもいいでしょうか。」

「大丈夫ですよ、そうしましたら今度来た時にすぐご提供できるように葉っぱに書いておきますよ。」

困る。そうしたら次に行く時には買う腹づもりで来店しなくてはならなくなる。いつもはお試しだけで楽しんで出て行くつもりだったが、誤算だ。

「それはとても助かるんですけど、これは個人用にではなくて会社用に用意しようかにゃと思いまして、やっぱり社員のほとんどがいつも疲労困憊な状態で寝床についてしまうのは可哀想にゃことだと問題視されてまして、それでこれがあれば助かるにゃーと今お試しで嗅いで分かったので、会社で相談してみますね。」

「そうにゃんですね。てっきり個人用かと思いましたよ、そうにゃれば企業向けの方に変えさせていただきますね。」

「あぁ、助かります。でも、あの、もしかしたらそれが経費で落ちにゃくにゃる場合がありますので、せっかく用意していただいてもこの話が流れてしまうことがあるんですよ。そうなるとお店の方に迷惑がかかってしまうかもしれなくてまだ用意するのはお互いのためににゃらにゃいかと思われます。」

「にゃるほど、でしたら貴社にサンプルとして数枚送らせていただいて、もし社員さんが気に入って今後も利用したいにゃという方向ににゃりましたら改めて正規品を送らせていただくということではどうでしょう。」

「それはとてもいいですね、えぇ。では一度会社でこのこと持ち帰って報告してからまた伺います。」

「かしこまりました。」

何とか購入だけは免れたが、会社を盾にしてしまった。まぁ、サンプルくらいなら会社に置いていても文句はそんなでてこないだろう。それにしても、上手く免れたことに感心する。しかし、もうここにいるとまた別の物も勧められそうで居ても立ってもいられない。出よう。

「では、また後日来ますね。」

「はーい。ありがとうございました、またお越しくださいませ。」

店をでてふぅと一息、もう一度あの匂いで元気を取り戻したいくらいだ。会社で報告しなければならないことと、この店にまた来て言い訳をしなければならないこととやることが増えてしまった。忘れないようにして他の店も見て回ろう。水屋、理髪店、料理店、寿司屋、リサイクル店、物品販売店、賃貸屋、出会い屋と店が並んでいる町並みを賑やかせているのはどこからともなくやってきた流浪のにゃんこや地元のにゃんこ、はたまた飼にゃんこ達だ。こうしたところでお互いが助けあって生きている。にゃんこの社会はとても温かみがある。

「そこの灰色さん。」

呼び止めたのは三毛のメスだ。いつものやつかと思って返事をする。

「はい、にゃんでしょう。」

「綺麗。目が綺麗ですね。」

「ありがとうございます。目は特に大事にしているので。」

いつものように答える。

「それに綺麗な毛並み、飼われているのですか。」

「いや、野良です。これは仕事柄いつも毛並みを整えておかにゃいといけにゃいのです。」

いつものように答える。

「ふうん、そうにゃの。だったらこの後とか空いていますか。」

「まぁ、空けようと思えば空けられますけど。」

「じゃあ、一緒にどうですか。」

「あまり手持ちはないんですけど、それでも大丈夫ですか。」

「別ににゃくても構いませんよ。おはにゃしでもしましょう。」

自分に興味を持つのは奴らだけでもなく、にゃんこでも同じだ。必ず誰でもこの見た目について褒めてから誘ってくるので、もうこの返しは板についている。ただ、中には話しかけられたのにも関わらず入った店のお代を全て払わせられたりする訳がわからないのもいるので、外にでるときは手持ちを持たないようにしている。今回はそういうようには少なくとも見えないから誘いに乗ることにした。

「いいですよ、どこ行きましょう。」

「ついてきてください。」

「分かりました。」

三毛の尻尾を追いかけて来たのは自分達が住んでいる反対側の商店街を抜けて進んで行く。ここはよく知らないので道中は帰り道を忘れないように時々後ろを見て確認しながらついていく。

「普段どんにゃことをしているんですか。」

「接人業ですよ、ご存じですか。」

「一体どんにゃお仕事ですか。」

「ニンゲンと関わって、食料を貰う仕事です。」

「へぇ、すごいですね。だからそんにゃに綺麗にゃ格好をしているんですね。」

「そんにゃ褒めるほどでもにゃいです。そっちのお仕事は。」

「高齢者のお世話をする仕事をやっています。」

「おお、すごいですね。大変でしょうに。」

「大変ですけど、色んにゃことを教えてくれるのでタメににゃるんです。」

「あまり無理はしにゃいでくださいね、今は動けるだけの若さが大事ですから。」

「ありがとうございます。あなたは優しいですね。」

高齢者はボケも混じって相手するのが大変だろう。何をするにも手を差し出してあげたり、話し相手になって退屈させないようにさせてあげたりとしているのだろう。苦労がしわになって浮いている顔から想像できる。

「ここです。」

「ここはどこですか。」

「仕事の休憩でよく使っているところです。」

連れてこられた場所は商店街から少し離れたニンゲンの商店街にある入り組んだ路地裏だ。

「こういうところもあるんですね、大分仕事場から遠いから来たことがにゃいです。」

「ここを少し奥に行ったところが仕事場にゃんですよ。」

「この奥が。」

「はい、そうです。今はもう寝ていると思うのでそっとしておいてください。」

そっとしておくにもここは場所の選択が誤っているのではないかとも思うが、頑張ってここまで連れて来てくれたのだから口には出さない。

「ところで、ここまで連れて来てもらいましたけどにゃにかあるんですか。」

「いえ、別にこれからにゃにが起こるというわけではにゃいんですけど、その、毛並みが綺麗ですね。じゃにゃくて、目が綺麗ですってことはさっき言ってるから。あの。」

「もしかして、狙っていますか。」

いつものように答える

「いや、狙っているというわけではなくて、にゃかよくにゃりたいんです。」

「お互いに何も知らずににゃかよくですか。」

「え、でも、これからお互いに知りあえばいいじゃにゃいですか。」

簡単にいえば、付き添ってくださいということだろう。昔だったらすぐに承諾をしていたが、今はもうそんな気分ではない。

「あの、他にもいいにゃんこはいますよ。」

「そんにゃことはにゃいです。あの、実は。」

「付き添いたいんでしょ。」

「そうにゃんです、これから会いに行くんですけど、いい毛並みを揃えてくれるお店はご存じにゃいでしょうか。」

予想外の言葉、勘違いだ。

「もしかしたら灰色さんのように綺麗に仕上げてくれるところがあればと思って、この仕事をやっていると別にそうした綺麗さなどは必要にゃいので、あんまり詳しくないんですよ。ですから、声をかけてさせていただきました。あそこではにゃしていたらそのにゃんこに見られてしまうかと思ってここまで来ていただいたんです。」

これはなかなかの衝撃的な出来事だ。まさかの猫違いの上に、ここまで来たのはそのためかと呆気にとられた。しかし、ここまで来たのだから期待しているだろうし、答えてあげなければならない。

「あぁ、ええ。知っていますよ。うーんと、まず商店街をここから反対側の通りに出てもらって、ニンゲンの商店街を後ろにしてまっすぐ行くと左に靴屋と医者の間に道があるんです。そこの突き当りを左に行くと茶トラの理髪店があるので、そこがいいかと思われます。」

「分かりました。行ってみようと思います。ありがとうございました。」

「あ、灰色の野良猫にツケといてくださいと言えば大丈夫なので、是非ともにゃかよくできるよう頑張ってください。応援してます。」

「にゃにからにゃにまで本当にありがとうございます。では失礼いたします。」

三毛は張り切って行ってしまった。商店街に向けて歩いて行くその尻尾を見送り、休憩所と言われるここで一匹取り残される。体にポッカリと穴が空いて虚しさだけが残る。尽くしていたにゃんこに逃げられたような気分だ。もういい、気持ちが立ち直れるまでここで死ぬほどごろごろしていよう。どうせいつもこうだ、今までも、好みのにゃんこだなと思って近づいても避けられる、逃げられる。何が足りないんだ。

「しゃー。」

悔しさとどうにもならない憎さをあてもなく草にぶつける。跳ね返りもせず、どこかへ消えていってしまうからいつまでたっても形を変えて戻ってくることはない。近くに生えている草をがむしゃらにかじっては吐きかじっては吐き、むしゃくしゃして逆立った毛を落ち着かせる。何がいけないんだ。何が足りないんだ。何がそうさせるんだ。

「大丈夫か、坊や。」

邪魔をするな、放っておいてくれ。

「幸せににゃりたいか、坊や。」

それどころじゃないんだ。

「それどころじゃにゃいのか。お前さんは放っておいて欲しいのか。」

「幸せだったらにゃんだっていうんだよ、しゃー。」

声の主に対して構え、低い姿勢を作る。今は一人になるしか落ち着くことができない。

「坊や、お止めにゃさい。ここから去るから落ち着いたらこちらに来にゃさい。」

目の光だけが動いて奥の暗闇に消えていく。しょうもない相手だ。もう外にいるのは御免だ、早く寝床について仕事をしよう。しっかりと確認しながら通った道を戻り、商店街を通る。何も耳に入らない、何も目にとどまらない。

「よかったらこれどうぞー。」

葉っぱを配るにゃんこの差し出した手を威嚇してどかせる。邪魔だ。商店街を出れば今度はニンゲン共が来る。目もくれず、小走りで移動していく。茶トラの店の通りを横切るときにふとそちらを見るとさっき会話をしていた三毛がわずかだが、見えた。もう関係ない。寮へ向かう。

「おかえり、顔が疲れてるぞ。」

白の声に対して返事する気力もないまま寝床について朝を待った。最悪な半日だった。




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