おねがい、上司さま!
エルフたちの朝は早い。
部屋の物音にぼくが目を覚ますと、ぼくより早く起きていたミスティが、寝間着の上を脱いで上半身半裸になっていた。白い下着がまぶしい。
「……ミスティ?」
「あ、うぁ……!」
まだ六時半か。寝よう。あと三十分。
――じゃないよ!
思わず飛び起きた。寝間着を胸元に抱えて顔を真っ赤にするミスティに対して、正座しながら回れ右をする。
「おおお、おはよう、何でそんな格好をしてるの?」
「ちょ、ちょこれーとの効果を確かめたくて……隣の部屋にはお兄様がいたし、ツナグ、まだ起きそうになかったから、この部屋で……」
言われて、ぼくは部屋の隅に置いていた板チョコの箱に目をやった。
二十枚入りが六箱詰まった段ボールのフタが空いていた。
昨夜は気づいていなかったけど、寝る前につまみ食いしていたらしい。
乙女の執念は、油断も隙もない。
「……で、結果は何か変わってた?」
「鏡を見たけど、にきびも吹き出物もなかった……肉は、ついたけど……」
まぁ、寝る前に甘いものを食べたらねぇ。
「……お腹や顔にはまったくついてなくて、胸だけが大きくなったみたい。胸の下着が、少しだけきつくなってて……うぅ」
と、ミスティのさめざめ泣く声が聞こえた。
朝から聞くには大変不健全な話である。直接見れなくて想像したおかげで、ぼくの目はぱっちり覚めました。けしからん。
まぁ、朝からそんな一幕があったとか無かったとか。
「おはようございます、ツナグ殿!」
「おはようございます。起きるの早いんですね、二人とも」
「だいたい日の出には目覚めます。普段、日の出日の入りとともに暮らしておりますので。――ですが、ツナグ殿がまだ目覚めていなかったようでしたので、布団の中でまどろんでおりました。布団というのは、温かくて寝心地がいいですな!」
なるほど、それでミスティはぼくの部屋に逃げてきたと。
ミスティの方を見ると、恥ずかしそうにうつむいていた。朝一番の光景が思わずぼくの脳裏によみがえり、打ち消すために頭を振る。
「そう言えば、日の出頃に妹が布団を抜け出していたようでしたが……何か、ありましたか?」
「ななな、無かったわよ!? 何も!」
「……ロアルドさんが期待するようなことは、何もありませんでしたよ」
真実を話すと、ミスティの乙女心が深い傷を負いそうだ。黙っておこう。
「ふむ?」
気を取り直して顔を洗い、朝食の用意を始める。
メニューはベーコンエッグとりんごのサラダ、トーストの簡単洋食セット。
三人分の用意があるから、早く目が覚めてよかったかもしれない。
「ほら、ミスティも落ち込んでないで。朝ごはん食べようよ」
「うう……私は、きっと、いくら食べても絶対に太れないのよ……」
エルフって、種族的に醜くなれる因子が無いのかもしれないな。
この世界の女性からしてみれば、羨ましいことこの上ない体質なんだけど。
はらり、と綺麗な髪を寝間着にかからせて嘆くミスティの煤けた背中を、そっと包み込む。
「整った顔も、やせたお腹も、大きな胸も、ぼくは好きだよ。ミスティ」
「ツナグ……本当……?」
この世界の男なら、大半がそうだと思うけど。
どうにか機嫌を直したミスティをコタツに座らせ、三人で囲んで朝食を取る。
ぼくとミスティのやり取りを見ていたロアルドさんの生温かい視線に、ぼくは食事中、顔を上げられなかった。
*******
出勤の準備をして、家を出る。
道中、ロアルドさんとミスティとは最終確認の打ち合わせを行った。
結果がどう出るかはまだわからないけど……
やるだけやってみないと。
「おはようございます!」
「おはよう、高町くん。――社長が言ってた新規のお客さんって、そちらのお二人?」
社屋の営業所に入ると、仕事の準備をしていた女性が声をかけてきた。
販売の里中さんだ。
三十代ほどの眼鏡をかけた美人で、前の会社を退職して中途入社してきた女性だ。以前は別の地域の大手デパートで売り場主任をしていたらしく、アンティークの直売と経理はほとんど彼女が行っている。
この会社のぼくを含めた三人の中で最年長で、仕事もできて包容力もある頼れる人だ。
「そうです。社長は?」
「社長室にいるわ。それで、まずは高町くんから詳しい話が聞きたいそうなの」
「構いません。ぼくもそのつもりでした。――二人とも、先に話したとおり、少し待っててもらってもいいかな」
「お二方とも、お時間をとらせて申し訳ありません。販売の里中と申します。――ただいまお茶をご用意させていただきますので、あちらの椅子に腰掛けておくつろぎいただけますか?」
里中さんが丁寧な仕草で会釈する。
ロアルドさんとミスティも、見よう見まねでお辞儀を返した。
「わかりました。こちらの都合で、予約のない無理なご訪問をさせていただいているのは自覚しております。どうぞお気遣い無く」
この世界に帰ってきたときから気になっていたけど、応対……というか、ロアルドさんは村長代理という立場で日本に来ているようだ。決定や先行はミスティじゃなく、ロアルドさんがやっている。……当たり前か、長男だもんな。
里中さんに招かれ、ミスティもロアルドさんの後ろをついていく。
さぁ、次はぼくががんばる番だ!
社長室の扉をノックし、足を踏み入れる。
「――おはようございます、角田社長! 高町、失礼します!」
「来たか、ツナグ。……まぁ、座れや」
社長室の椅子には、恐ろしい風貌の人が座っていた。
二メートルに届くかという、格闘家のような筋骨隆々の体格をグレーのスーツに押し込め、眼光は鋭く、形相はまさしく巌のように険しい。岩のような人だ。
若干二十六歳という年齢にも関わらず、街では本職も逃げ出す圧倒的な威厳と風格をたたえた人物。
それが、ぼくの勤める会社の社長、角田邦昭という人だ。
「はい、失礼します!」
社長室のソファに腰掛けると、対面に社長が腰を下ろす。
真剣な表情をしている角田兄さんは、相対すると破壊的な印象を持つ人だ。思わず呑まれそうになり、ぼくは姿勢を改めた。
「で? 昨日の今日で『新規のお客さんに会ってほしい』てのは、どういうことだ、繋句? お前、昨日の休み、どこで何してやがった?」
「それなんですけど……実は、一昨日の話から説明しなきゃいけなくて」
「一昨日? お前が、変なじいさんを拾って遅刻した話か」
「はい。それなんですけど、実は角田兄さんに話してなかった続きがありまして……」
ぼくは、おじいさんから受け取った魔法と、異世界の話を打ち明けた。
説明を聞き終えた角田社長は、たいへん微妙な顔をしていた。
聞き流すべきか、正気を疑うべきか、という顔だ。気持ちはわかる。
「――まぁ、その。何だ、繋句。率直に言おう、今の話を聞いて俺はお前が心配になった」
「……ですよねー」
苦笑する。
頭ごなしに否定されないだけ、社長が気を遣ってくれているのがわかる。恐ろしい風貌に見合わず、繊細で気遣いのできる優しい人なのだ。
ごほん、と咳払いを一つ。
「しかし、俺もゲーム世代の端くれだからな。そういう話は嫌いじゃない。お前の話を真に受けるとして、その魔法とやらを見せたりして、俺に証明できるか?」
できるなら信じてやろう。
できないならお前を病院に連れて行く。という内心が聞こえた気がした。
「できます。着火」
検索し、簡単な魔術を宣言する。やや置いて、ぼくの指先から、中空に灯がともった。
社長が目を見開くが、まだうなずかない。手品でもできることだからだ。
「社長、この陶器の灰皿、壊していいですか? 元に戻して見せますから」
「やってみろ」
がしゃん、と大きな音を立てて来客用の灰皿が粉々になる。
怪我しないよう、陶器の破片を社長に確認してもらった後、改めて宣言する。
「復元」
数秒もたたず、元の通りに灰皿が修復される。
無傷の灰皿を手に取った角田社長は、今度こそ言葉を失っていた。
苦悩するように目頭を揉み、灰皿を置いて口を開く。
「わかった。信じよう、他にどんなことができる?」
「検索してわかったんですが、世界を移動する能力は別枠として、主に火・雷のエネルギー系と回復・毒素浄化系の能力が充実しているみたいです。それに魔法の制御系ですね。後は、ファンタジー小説に出てくる簡単なものなら一通りはできるようです」
「大怪我や重病を治したりもか?」
「できます。精神的なものは無理ですが、即死以外の傷病はかなり重症でも問題なく治せるようです」
「そうか。――今後、その話を人に聞かせるな、緊急の場合をのぞいて魔法を使うことも控えろ。間違いなく、お前の奪い合いが起こるぞ。それも、暴力的なものがな」
角田社長の言葉に、思わず息を呑んだ。
「今のお前の話を聞いて、俺の思いついたことはこうだ。――まず、この国のエネルギー問題が解決する。お前は生きた燃料資源だ、石油メジャーはお前を狙う。個人単位で見れば、寿命以外では死なない命が手に入る。手段を選ばず欲しがる奴はこの世界の大半だ」
「……ぼくとしては、倫理の範疇内であれば魔術の使用を渋る気はないんですけど」
「甘い。最大の問題は、お前の持つ暴力だ。証拠の残らない殺傷手段を恐れない奴はいないし、利用したがる奴は絶対に絶えない。その危険性から、お前はお前の意思に関わらず、生きているより消えてもらった方がいい人間になる。絶対にだ」
「消えた……方がいい……」
その言葉は、ぼくには衝撃的だった。
角田社長はぼくの目に真剣に向き合い、そして忠告してくれた。
「いいか、繋句。お前が魔法を使えることは誰にも言うな、俺も今聞いた話を忘れる。もしもこの世界で使う機会があっても、絶対にお前が使ったことを他人に知られるな。そのくらい、お前が得たものは大きい。手に余るんだ」
「……わかりました」
「とは言っても、異世界に行く能力だったか? そっちの方は、検討してみないといかんな。どうせ、その話の流れだと、連れてきた客は異世界の人間とか言うんだろ?」
社長の表情が和らぐ。
社長がぼくのことを、親身になって心配してくれていたことがわかる。
この人が学生の頃からの付き合いだけど、社長はやはり頼りになる大人だ。
「あ、そうなんです。……異世界の人間というか、エルフなんですけど」
「――エルフ!?」
社長が身を乗り出して食いついてきた。
「ばっか、早く言え。本物のエルフなんて人生で見れる機会は無いぞ。社長命令だ、お客様をここまでご案内して来い!」
「は、はい、社長!」
弾かれるように席を立ち、ぼくは急いで社長室を出た。
とうとう、異世界のエルフがこの世界の人と繋がりを持つ。
社長の話よりも、その事実に、ぼくの胸はわくわくしていた。
「突然の訪問に、非礼をお詫びいたします。ツナグ殿よりご紹介いただきました、エルフの里の長が長男、ロアルド・サルンと申します。隣は妹のミスティです」
「ミステリカ・サルンです。本日はよろしくお願いいたします、カドタ様」
ソファに着席し、折り目正しく頭を下げるエルフたち。
二人には三人がけのソファに座ってもらい、テーブルを挟んで対面のソファにぼくと社長が腰掛ける形で向かい合っていた。
「角田古物商代表取締役、角田邦昭です。日本へようこそ、お二方。――エルフとお聞きしましたが、一見では人間とさほど変わりませんね。お二方とも、森の妖精という名がお似合いなほどお美しいのは、物語の描写の通りですが」
「ありがとうございます。ですが、角田社長もお美しい顔立ちをなされてらっしゃる。我々の里にいらっしゃったら、女性たちが放っておきませんよ」
「はは。お上手ですな、ロアルドさん。しかし、自分の顔のことは熟知しております。ご婦人に騒がれると言っても、恐れられる顔であることは承知しておりますので」
「……あの、社長。社長」
世辞のつもりで笑って受け止める社長の脇を突き、説明する。
二人がやってきた異世界は、美しさの基準があべこべなのだ。
向こうの基準に照らし合わせれば、角田社長の岩のようなゴツゴツした厳つい顔立ちは、さしずめハリウッド男優的な美形の代表例と言えるだろう。
説明を受けた社長は、目を皿のように丸めて驚いていた。
「……本当か、繋句?」
「ツナグ殿の仰るとおりです。我々のセカイの基準で申しますと、カドタ様は大変な美丈夫であらせられる。世辞は申しておりません」
「はぁ……さすが、異世界の方ですなぁ……この顔を評価される日が来るとは、思いませんでした」
この世界での体験を思い出したのだろう、ロアルドさんが苦笑する。
「それは我々も同様です、カドタ様。我々エルフは、故郷では醜いと言われる種族の最先鋒なのです。その評価を覆して認めてくれたのがツナグ殿であり、この国の住人の皆様なのです」
「……なるほど、お二人がこの世界のことを好意的に捉えていただいていることは理解しました」
社長は居住まいをただし、二人に向き直る。
「それで、ご用件は何でしょう。――不躾ですが、わが社の社員の高町の口からではなく、お二人からご説明願えますか?」
社長が無言でぼくに、お前は黙っていろよ、という視線を投げかけてきた。
これは商談だ。それも特異な。
異世界の相手の反応を引き出し、少しでも真意を探りたいと考えているんだろう。
でも、二人には初めから、駆け引きをしようという意図も余裕も無い。
「率直に申し上げます、カドタ様。我々エルフは、故郷ではその醜さから人族を始め、他の種族から虐げられ孤立しております」
「なるほど」
「――我らの里が自活するには、独力では必要な物資が手に入りません。そこで、価値観の異なるこのセカイの、御社に里へのご支援を願いたいと思って参った次第です」
社長は返答を控え、しばし黙しながら考え込む。
やがて、社長は重く口を開いた。
「残念ですが、当社ではそのご希望には添えそうにありません」
ロアルドさんとミスティ、二人の顔に緊張が走る。
社長は臆することも無く、決然と続けた。
「――と言うのも、当社は事業規模が小さく支援金を提供できる余裕がありません。また、異世界と言うことでは福祉事業としての社会的な見返りも補助も期待できないのです」
そこで社長は二人に向け、深く頭を下げる。
「エルフの皆様のご苦難は胸中お察し申し上げますが、当方としても遺憾ながら、一企業としては利益を無視した支出を許容できない、と言うことを何卒ご理解ください」
やっぱり、そうなるよね。
この展開は、ある程度事前に察することができた。企業と個人は違う。さすがに会社として無関係な出費を要求するのは、ただの甘えだ。筋が通らない。
だから、二人にはきちんと『この先』を交渉してもらうよう、打ち合わせている。
「頭をお上げください、カドタ様。我々も、代価も無く無思慮に援助をねだる気は無いのです。――実は、カドタ様に見ていただきたいものがあるのです」
「見ていただきたいもの、ですか?」
「ミスティ、用意してくれ」
ロアルドさんが促すと、それまで黙って成り行きを見守っていたミスティが、持参した小さな布袋の中から、これまた布に包まれたものを取り出した。