あ・ま・た・の、塩!
さて。昼食も済んだし、今日の本題に入ろう。
「ロアルドさん、重いものを持つのは平気ですか?」
「いつも狩りの獲物を持ち帰っておりますからな。自分の体重くらいの荷物までなら大丈夫ですぞ」
頼もしい答えが返ってきた。
「私も、狩りに出てるから結構力があるわよ。武術も覚えてるし」
ミスティがカーディガンをまくって腕を見せてくる。
ほっそりした腕だったから力こぶはできなかったけど、たぶん里の生活を考えれば、ぼくよりも力があるだろう。
「これから、何をするの?」
興味津々に尋ねてくるミスティに、財布を持って答える。
「まずは、エルフの里の問題を解決しなきゃね」
そしてやってきたのは、激安スーパー……
よりも安い場所。業務用スーパーだ。
徒歩で十五分ほどかかるけど、近所にこの二件があるため、ぼくの生活費は安く済んでいる。
「大きな建物! ギルドの本部か何か?」
「いや、商業施設だよ。中に商品がたくさん並んでるんだ」
カートを押して、中に入る。
店内に配置された梱包物の多さに、二人はその詳細はわからずとも目を奪われていた。
業務用スーパーは、飲食店が仕入れに来る大容量の食品類・調味料関係を主に販売している場所で、生鮮食品は意外と少ない。その分、乾燥物や冷凍食材を大量に仕入れるならここより安い場所はない。
カートをころころ転がしていると、ミスティがじっと覗き込んでくる。
「便利ね。足元は馬車と同じ……小さな、手押し車?」
うん、とうなずく。
「この仕組みを里に持ち帰れば、森からの運搬も楽になりそうですな」
「同じ仕組みの荷車は開発されてますよ。時間があれば、そちらも見に行きましょうか」
ホームセンターも、少し離れた場所にあったはずだ。
台車かリヤカーを向こうに持ち込んだら、生活が便利になるかもしれないな。
やがて、目当ての売り場に辿り着く。
梱包の文字が読めないミスティは、目を瞬かせていた。
「ツナグ、この大きな柔らかそうなものは何? 土?」
「塩だよ」
「「塩!? これが!?」」
「塩だけじゃないんだ。この売り場に置いてある包みは、全部調味料なんだ。業務用だから1kg以上のものしか置いてないし、ビニールで包装されてるから見慣れないと思うけど」
えーと。人間の適切な塩分摂取量が、確か一日7グラムか。
百人の三十日分で、20kg強あれば足りるな。
25kgの塩を一袋抱え、ロアルドさんに確認する。
「ロアルドさん、一か月分だと、このくらいですか?」
「行商人と取引する量よりも多いです。これは、結構な値段がするのでは?」
「さっきの昼食より安いです。だいたい、二人の一食分くらいで買えますね」
25kg入ってお値段は一袋千五百円ほど。
家庭じゃ消費しきれない量だけどね。さすが業務用。
「ミスティも持てるなら、一人一袋買って行きましょうか」
「へいきよ、このくらいなら!」
ミスティの鼻息も荒い。三袋なら三か月分だ、里の生命線がこんなにあっさり手に入るということに、興奮を隠し切れないんだろう。
「私は二袋くらいなら持てそうですが?」
「せっかくなので、他の調味料も買って行きませんか。砂糖とコショウと酢に醤油、お酒……これは、カートを家まで借りたほうが早いな」
近くにいた店員さんを掴まえて交渉する。
最初は渋っていたけど、身分証明書を見せて住所が近所であることを示すと、笑顔で備品の大型台車を二台、貸し出してくれた。
まずは塩を四袋、砂糖を50kgほど。
「ツナグ、この黒いのは何? これも調味料?」
ミスティが指し示したのは、製菓材料のチョコレートだった。
「それはお菓子だよ。甘くて滋養強壮にいいんだ。昔は、薬扱いされてたらしいよ」
「おかし?」
「砂糖と同じで……果物より甘い食べ物だよ。向こうに板チョコが箱売りされてたから、そっちの方を買おう。小分けされてた方がいいでしょ?」
「果物と同じなら、たくさん買うと腐っちゃうんじゃない?」
「大丈夫だよ、さっきも買った砂糖には、殺菌効果があるんだ。水分も少ないし、塩漬けと同じで砂糖漬けも長持ちするんだよ」
中世の海外では砂糖を傷口に塗って殺菌する治療法もあったらしい。
現代でも実験されて、薬品には及ばないけど一定の効果があったとか。
真似はしない方が良さそうだけどね。
食料品もたくさん置いてたけど、冷凍保存できないし、今回は断念した。
代わりに森住まいの二人は、魚関係にいたく興味を示していたので、アジやホッケの干物と、鰹節なんかを買っておいた。かさばるけど、軽いから台車の上に乗せて運べばいい。
二人は見るもの全て初めてのようで、人里での買い物ということで終始はしゃいでいた。
特にミスティは、カトラシアの人の街でのトラウマを払拭できたようだ。
会計のときに、大量に買い込んだので店員さんにびっくりされた。
怪しまれるといけないので、会社の名前を借りて領収書をもらう。
「すごい量ですね。芋煮会か漬け物でもされるんですか?」
「ええ、ちょっとお世話になった人たちのために、月一で企画してまして」
まぁ、まんざら嘘でもない。異世界だけど。
帰り道は台車に荷物を満載にして、ぼくとミスティが押していった。
一番力持ちのロアルドさんは手や肩に荷物を担いでいたけど、さすが森の狩人。家まで帰っても平然と、疲れを見せなかった。
二人の笑顔は弾んでいて、里の未来を明るく感じていたようだ。
*******
「さて、台車を返却してきたので、今日はこれでひと段落です。お疲れ様でした!」
「これで里が助かるわ!」
「ツナグ殿、費用を全て出していただいて申し訳ない。ご無理をおかけしたのではないですか?」
ロアルドさんが、眉尻を落として尋ねてくる。
「大丈夫ですよ。結構かかりましたけど、貯金で賄いましたし。調味料の費用も、これなら最悪、毎月自分で出せるくらいには収まりましたから」
一番高かったのは服代だという事実は、心にとどめておく。
必要だったし、ミスティも喜んでくれたしね。余裕ができたら、もっと可愛い服や装飾品なんかも贈りたいな。
「かたじけない。これで、里の者が倒れずに済む……っ!」
安堵から、むせび泣くロアルドさん。
村長に無事を報告する目処が立って、安心したんだろう。
「これから毎月、必要な物資はぼくが調達します。生活に余裕ができたら、エルフと対等に付き合ってくれる人族や他の種族を探しましょう」
「しかし、お世話になるばかりにもまいりません。何かツナグ殿にお返ししなければ……魔物の素材や作物は、この世界では価値がつかないというのが悔やまれるところです」
「まぁ、その点は明日にしましょう。ぼくに考えがありますから」
後で、きちんと連絡とっておかないとな。
それよりも、
「一応、買ったものの品質を確認しておきましょうか。ビニールの取り扱いとか、注意しておかなきゃいけないこともありますし」
「この透明な布は、丈夫で便利ですな。魔術の産物ですか?」
「この世界には魔術は普及してないんですよ、科学……馬車や鍛冶と同じ、技術の産物です。それは、石油――油の一種に混ぜ物をして、完全に固めたものですね」
「油。これが?」
「そうだよ、ミスティ。だから柔らかくて多少は伸びるし、完全に包めば水気も弾く。反面、火や日光には弱くて、火に近づけると溶けちゃうし、日光や温風に当て続けると乾いて硬くなって、ぼろぼろになります。気をつけてくださいね」
「光の入らない倉庫が必要ね。任せて!」
「一袋ずつ、味見に開けていきましょうか。中のものは湿気に弱いんで、開けたやつから里で使うようにしてください」
ハサミで袋の端を切り、中身を少量ずつ小皿に移していく。
ハサミと、湿気止めの大型クリップは、ぼくの部屋にあるものを渡す予定だ。
さらさらと細かい塩の粒を、食い入るように見つめる二人。
味見した二人の反応は、それぞれ違うものだった。
「ほんのり甘くて、美味しいお塩ね」
「里で買うものより純度が高い……こんな上質な塩が、一食か二食分の値段で買えるとは……!」
海水から精製したものというだけあって、味は好評のようだ。
本当はもっと安い合成食塩もあったんだけど、こっちにしておいて良かった。
その後も、調味料や乾物の味見をしていった。
初めて舐めた醤油は、慣れない発酵臭に顔をしかめられたけど、グルタミン酸の豊富なメーカーの奴だったので味は受け入れられた。関東のうどんは、関西の昆布だしとは違って、醤油で旨み成分グルタミン酸を補填してたらしいからね。
酢や酒は向こうの世界にもあるらしいけど、砂糖は二人とも初体験だった。
噂には聞いたことがあるそうなので、貴重品として存在するのかも知れない。
強烈な甘味に、二人ともうっとりした顔をしていた。
甘味は哺乳類が出会う最初の味覚だ、なんて話もどこかで聞いたな。母乳は甘いしね。本能的に、受け入れてしまう味覚なんだろう。
そして、チョコレートの出番がやってきた。
「外の銀紙は食べられないので、捨ててください」
「あれ? 銀は高価だって言ってなかった?」
「銀って言うか、アルミだよ。村長さんが言ってた、羽根のように軽い銀」
ぼくの説明に、二人が絶句する。
「は、はぅぅ……そんなもので包まれてるなんて……」
「思った以上に高級品でしたな。食べるのが、恐ろしいくらいだ」
「はは。アルミも鉄と同じく、この世界じゃ一般的な金属です。一番安い通貨にも使われてるくらいですよ?」
財布から一円玉を取り出し、二人に見せる。
一円の製造費が一円以上かかっているという豆知識はご愛嬌だ。
「んー。じゃあ、いただきます」
「……とても甘くて、癖のある風味ですな? 微かな苦さが後を引く」
「虫歯に気をつけてくださいね? 砂糖は虫歯になりやすいので、必ず毎日歯を磨いてください」
「なるほど、気をつけましょう」
「美味しいー、口の中で溶けてくっ!」
「人肌の温度で溶けちゃうんで、これも熱は大敵です。日の当たらない涼しいところに置いておけば、何年かは持ちますし、栄養価も高いので保存食にしてください」
冬山で遭難した人がチョコだけを食べて生き延びた、というのは有名な話だ。
砂糖の固まりだし、カカオも栄養豊富だから、非常食としてはうってつけだろう。
あ、あと注意点が一つ。
「夜中に食べると、太るし、にきびができたりしますんで食べ過ぎないほうがいいです」
「――それ、本当っ!?」
ミスティが獣のような目で食いついてきた。
「太れるし、にきびもできるの!? そんな夢のような食べ物があるだなんて! これを夜中にたくさん食べたら、私たちも綺麗になれるのねっ!?」
しまった、二人の価値観を忘れてた。
太る上に肌が荒れるというのは、価値観が逆のカトラシアでは、美容にいい女性の夢を叶える理想的な食べ物だということだ。
向こうで売り出したら、女性たちの奪い合いが起きそうだな。
「お、落ち着いてミスティ……」
「でも! 里に持ち帰ったら、みんなが欲しがるわ! これで私の外見も――」
「ミスティ! ……その、ミスティの姿は、今のままの方が、綺麗だよ?」
「ツナグ……」
興奮していたミスティが、動きを止めて頬を赤らめる。
「つ、ツナグがこのままの方が良いって言うなら……私も、その……そっちの方がいいかな……なんて……」
「ミスティ……」
太ってても、肌が荒れても、ミスティはミスティではあることに変わりはない。
でも、ミスティには美しいままでいて欲しい、という我がままもぼくの中にある。
ぼくらが気恥ずかしさに向かい合ったまま、もじもじしていると、ロアルドさんがミスティからチョコレートを取り上げた。
「――あっ!?」
「ミスティ、ツナグ殿の目からすれば、美容は大敵なのだ。お前はこれを食すことは許さん。……ということで、この夢の食物は私が責任を持っていただく!」
「ひーどーいーっ、お兄様返してーっ!」
それ、明らかに自分がモテるようになりたいからですよね、ロアルドさん?
チョコレートの奪い合いを始めるエルフの兄妹を置いて、ぼくはため息をつきながら、残りのチョコが詰まった箱をそっと閉じた。
美への執念は怖いなぁ。
夕食は、実家に赴くことにした。
案の定というか、学校から帰宅して店を手伝っていた妹たちに捕まり、二人との関係を問い詰められたので取引先の人だとお茶を濁した。
ロアルドさんもミスティも柔らかく対応していたけど、ロアルドさんが妹たちに取り囲まれたり、ミスティがぼくとの関係をほのめかされて赤面しちゃって、恋愛話に餓えた妹たちに真相を迫られたり。果ては両親まで顔を出しかけた。
妹たちのことはまた後日にさておくとして、とにかく大騒ぎだったと言っておく。
夕食は三人でシーフードフライ定食を注文した。
海の鮮魚を食べたことがないという二人のためだ。
「香ばしくて、美味しいですね。これはどういう調理なのですか?」
「小麦粉、溶き卵、パンを粉にしたものをまとわせて、高温の油に泳がせて火を通すんです。その調理法を『揚げる』と言い、この国では人気のある調理法です」
「粉にするって、石臼で?」
「いや、突起の並んだ下ろし金で、摩り下ろすんだよ」
カトラシアの調理法は切る・潰す・焼く・煮る・茹でる、くらいしか無いようで、揚げるも下ろすも目新しい調理法として興味を示していた。
「物資の流れや精錬技術だけでなく、食文化まで発達しているのね」
「むぅ……里はおろか、我々の大陸では及びもつかない文明だ。まるで遥か未来の、魔法の国のようですな」
「ぼくからしてみれば、カトラシアは本物の魔法がある夢の大陸ですけどね」
ファンタジー的な意味で。
何せ、魔物やエルフが存在するんだもんなぁ。軽く話を聞いたところ、ドワーフやドライアド、ドラゴンなんかもいるらしい。あの森には住んでないようだけど。
「この、白いソースも美味しいわね。魚と一緒に食べると最高!」
「タルタルソースだね。マヨネーズっていう、酢と油と卵黄に塩を混ぜたものに、野菜の酢漬けと茹で卵のみじん切りを和えたものだよ。酢はあるから、卵があれば里でも作れるんじゃないかな」
「卵なら、野鳥を飼い馴らしている家があったはずです。ですが……この味に合う、海の魚が手に入りません。新鮮な魚というものが、こんなに美味しいものだったとは!」
「本当ね。肉に比べて繊細な味で、身はぷりぷりほこほこしてて。こんな素敵なものが食べられたなんて、いい思い出になるわ。――ありがとう、ツナグ」
日本人は昔から魚を食べてきた。
何せ、生でも食べるくらいだ。鮮度と流通には、他の国よりも思い入れがある。
「次は、村長さんも誘って一緒に食べにこられたらいいね」
ぼくがそう言うと、ミスティは「それは素敵ね」と笑った。
楽しい夕食の時間は、そうして静かに過ぎていった。
今日やることは全て終わった。後は就寝だ。
隣の部屋に布団を並べて二人に使ってもらって、ぼくはコタツに寝ることにする。
部屋の明かりや水道を魔法の道具だと勘違いする二人に、その仕組みを説明して、風呂を沸かすことにした。
「この国全体に管を通して民衆に水や燃料を行き渡らせるだなんて……少しは理解したつもりになってたけど、壮大すぎて想像もできない……」
「どれだけの費用と技術を費やせばそれが叶うのか――それほどの巨大な資源を民衆のために費やすほど、平民のことを考えている国家は、カトラシアにはないだろう。民衆の理想を体現した天の国というものがあるのなら、この国ではないかと思えるほどだな」
「――二人とも、何話してるんです? お風呂、沸きましたよー」
難しい顔で話しこんでいる二人に、お風呂を案内する。
狭いバスルームだけど二人を連れて蛇口を開け閉めして、湯の調節の仕方と風呂の入り方の作法、シャンプーや石鹸の使い方を教える。
お客様から、ということでロアルドさんが譲り、ミスティが風呂に初挑戦した。
やがて身体から湯気を立ち上らせ、交代でロアルドさんが浴槽に向かう。
「――すっっっごく、気持ち良かったぁ」
風呂上りのミスティの表情は、上気して緩んでいた。
寝間着と替えの下着は、オカムラさんで購入しておいた。
「ごめんね、狭いお風呂で」
「ううん。熱いお湯にゆっくり浸かるのがこんなに気持ちいいだなんて、初めて! きっと、私たちのセカイじゃ、貴族しか使えないわ! ……ツナグって、本当は貴族だったりしないよね?」
「ただの平民だよ。この国に貴族なんて階級はないんだから」
「良かったぁ……身分の違いがあるから一緒になれない、なんて言われたら、どうしようかと思っちゃった」
ほっと安堵の息を吐くミスティ。
こうして日本の服に身を包んでいると、少し耳の長い人間にしか見えない。今日会った店員さんたちも誰も気にしなかったし、言うほど長くもない彼女たちの耳は、いざ実際に目の前にしてみると些細な違いにしか見えないんだろう。
「明日、ぼくは仕事があるから家を出るんだけど。二人もついてきてくれるかな。大事な話があるんだ」
「お父様に話してた、商談のことね。大丈夫、お兄様も承知してるから」
ミスティが力強くうなずく。
日の出てるうちに連絡は取った。明日が本番だ。
――明日、エルフたちの村の未来が、決まる。
……ちなみにその夜、ミスティはこっそり、寝る前に三枚もチョコを食べたらしい。