解き放たれる呪縛
熱消磁、という現象がある。
強い磁性を持つ物質を高温で加熱した場合、それぞれキュリー点と呼ばれる温度を超えると磁気の統一性を乱され、磁性を失う現象のことだ。
鉄のキュリー点は約七百七十度と言われている。
千五百度以上ある融点の半分だ。素材の鉄は溶けなくても、高温で磁力は失われる。
磁力で全身を結合させている鉄のゴーレムの弱点は、高温の炎だったということだ。
そのことを説明すると、オルタとミスティはぽかんと間の抜けた顔をした。
まぁ、超常現象を起こす魔道具に科学が通じるかは不明だったし、通じなかったらそのまま溶かすつもりだったんであんまり大した違いではないけど。
幸い通じた以上、このまま自然冷却すれば磁性が放散されて、ただの鉄に戻るだろう。バルバレアでは貴重な鉄だし、この量だと一財産になったかもしれない。
オルタは王宮でも見た磁力の存在の種明かしにも、高熱がそれを消すという仕組みにも、目を輝かせて聞き入っていた。
「五行思想でも火克金――火は金を溶かす、というから、火で倒すのが正解だね」
「それができるのは高位の魔術士だけじゃ……鉄を溶かせる威力の炎なぞ、生半可な魔術士では行使できぬ。それができれば、製鉄技術はドワーフに占有なぞされとらんわ」
「すごいわ、ツナグ! 頼りになるわね!」
ミスティが嬉しそうに飛びついてくる。
その様子にオルタが出遅れたと慌てており、ぼくは苦笑するしかなかった。
「とりあえず、最低でも当分は動けないと思うから、今のうちに資料を持ち出そうか」
「あの傀儡人形兵の魔道具としての核も回収したいところじゃが、さすがに近寄れぬな」
「火傷するからやめといた方が良いよ、オルタ」
あのゴーレムの残骸に触るなら、自然冷却を経た後が良いだろう。
磁力系の魔道具が高熱に晒されて無事だとは思えないけど、それでも今取りに行くのはちょっと無謀だ。
なおもゴーレムの残骸を名残惜しそうに見るオルタをぼくが止めていると、ミスティがため息をついて、放り投げた宝物を拾いに行った。
「ほらほら。もうすぐ里の皆が戻ってくる頃だから、帰る準備はしておきましょ? 一度用事を済ませてから、またツナグに連れてきてもらえば良いじゃない。どうせ、鉄の塊なんだから回収と再利用はするでしょ」
「そうだね、ミスティ。……ほら、そういうわけだから、オルタ」
「むむむ、仕方ないのぅ。しばしの我慢じゃ」
オルタの手を引き、宝物を拾うミスティの方へ向かう。
と、ミスティの手が止まっていた。
「どうしたの、ミスティ?」
「この宝石箱、壊れて中身が見えてるんだけど。これって、確か、開けちゃいけないって話してた奴よ……ね――?」
その瞬間、異変が起こった。
ミスティの手にする宝石箱から黒い淀みのような霧が溢れ、ミスティの身体を取り巻いた。
「――きゃあっ!」
「「ミスティ!」」
ぼくとオルタの声が重なる。
ぼくらが駆け寄る間にも、黒い霧は渦巻き、ミスティの身体に取り込まれていった。
その場に立ち尽くすミスティの身体が、ぐらり、と揺れる。
ぼくは全力で走り、倒れるミスティの身体を抱きとめた。
彼女の身体は意識を失っているようで、力なくぼくの腕にもたれかかっている。呼吸が荒く、発熱が見られた。
「――いかん、封印されておったのは毒系の魔術か!」
「待っててミスティ! 今、治療する!」
ぼくはすぐに『デック』を起動して、ミスティの状態を解析した。
同時に消毒の魔術を周囲に頒布する。ぼくらは健康の恩恵で疾病にはかからないけど、戻ってきた里の男手衆が感染源になるのを防ぐためだ。
数秒もたたず、ミスティの解析結果がでた。
軽度の毒素。致死性ではなく、ぼくの魔術で充分に治療できるものだ。
すぐさま解毒の魔術をかけると、ミスティの身体が淡い光に包まれた。
「師よ、ミスティの容態は!?」
「大丈夫、軽い毒だよ、命に別状は無い。すぐに回復するはずだ」
「軽い毒? ……なぜ、そんなものに封印術が?」
オルタが訝しげに眉根を寄せる。
けれど、ぼくにはそんな疑問に取り合っている余裕は無かった。
魔術の光が収まり、ミスティの身体から毒素が取り除かれる。
しかし、ミスティは目覚めなかった。
「ミスティ? ……ミスティ!?」
身体を揺さぶるも、反応が無い。
脳機能には異常は無いはずだ。内臓も循環器系も、すべて問題なく健康に戻っている。
だと言うのに、彼女は目覚めなかった。
うなされるように、額に薄い汗が滲んでいる。
「何でだよ!? ――身体に異常はないはずだ!」
魔術由来であることに原因があるのかと思い、魔力拡散を使う。
だけど、意味が無い。魔力拡散は魔術の起動を無効化する魔術だ。
魔術の発動によって、すでに起こってしまった現象には関与できない。
けれども、なぜ?
治療魔術によって、彼女は完治しているはずだ。なのに、なぜ悪化する?
「身体に問題は無い……まさか、『呪縛汚染』か?」
「呪縛汚染? どういうこと、オルタ?」
「失われた精神魔術の一種じゃ。対象の精神を捕えて蝕む禁術の一つと伝わっておる。これに囚われた者は意識を失い、無限の眠りに就いて衰弱を続ける。終いには……」
精神を蝕む……それでか!
ぼくの身体から白い炎が溢れ、ミスティを包み込んだ。
『デック』が起動し、魔術が発動する。神炎――『浄火の炎』。
「……ダメか……っ!」
効果は無かった。
浄火の炎は、あくまで対象の悪意や敵意を燃やす魔術だ。
精神に作用はするけど、外的要因で汚染された精神を浄化することはできないらしい。
そのうち、エルフの里の男手衆が手に燭台を抱えて戻ってきた。
彼らはぼくの様子に異変を感じ取ったらしく、慌てて駆け寄ってきた。
「師よ。とにかく、一度里に戻ろう。ミスティを安静にさせるべきじゃ」
オルタの言葉に、ぼくは力なくうなずくしか無かった。