お婿さん、いらっしゃい
エルフの里についた。
あまり規模の大きくない、村と言える集落だ。
木材加工技術がそれほど発達していないのか、広めに切り拓かれた森の中にログハウスのような家々が点在していた。家の近くに囲われた柵の中では鳥が放し飼いにされており、夕食の煙が牧歌的な雰囲気を感じさせる。静かな集落だ。
「あれ、ミスティ。何で顔を隠すの?」
ミスティは、マントのフードを被って口元を結び、顔を隠していた。
「私、里の中でも一番醜いから……」
「里の人にも、何か言われるの?」
「そうじゃないけど……恥ずかしいの」
なるほど。
容姿の差別を受けるエルフの集落でも、ミスティは顔を隠さなきゃいけないらしい。周囲の声がどうかはともかく、コンプレックスというのはぬぐい難いものなんだろう。
「ミスティの家では、素顔を見せてくれるよね?」
「えっ」
「里の中で一番――ってことは、ぼくにとっては一番美人ってことだよ?」
できるだけ、にっこりと笑顔でフードの中を覗き込む。
ミスティは顔を真っ赤にしていた。
「わ、私の家はこっちよ?」
間隔をあけて建つログハウスの一軒を指す。
案内された家は、他の建物よりも少し大きめのように見えた。
「私の父は、ここの村長をしているの」
「お嬢様だったんだ、ミスティ」
「お、おじょうさま、かな? もうちょっと、顔が良ければそう言えたかも……」
塞ぎ込むミスティに歩み寄り、力なく降ろされた手を無言で握る。
ミスティは驚いていたようだけど、何も言わず恥ずかしそうにぼくの目を見て、きゅっと手を握り返してきた。
うん。ミスティは、うつむかない方が可愛いな。直接は言えないけど。
「入って。家族に紹介するわ」
そう言って、彼女はぼくの手を引く。
家の中には、ミスティに似た雰囲気のエルフがいた。初老と言えるくらいの風貌で、ミスティと同じ金色の髪は白髪が混じり、白金色になっていた。
やはりと言うか、この人もダンディさを感じさせる美形だ。
「ただいま、お父様」
「おかえり、ミスティ。獲物は狩れたかね――」
ミスティの父親ということは、ここの村長さんなんだろう。
初老の男性の視線が、ぼくを目にした瞬間に険しくなった。
「その男は誰だ、ミスティ? ――エルフではないようだが?」
「聞いて、お父様! この人はツナグ、森の中で出会ったの」
「他の種族をかどわかすなんて、なんてことをしているんだね、ミスティ! これ以上他の種族に疎まれたらどうするんだ! ――旅の方かね、少年。申し訳ない、我が娘がこのような……」
ぼく、誘拐される方なんです?
普通、怪しい奴を連れてきたミスティの方を心配しそうなんですが。
必死に頭を下げるお父上に、ぼくは罪悪感をかきたてられて慌てた。
「お、落ち着いてください、村長さん。ぼくは、ミスティに里まで案内してもらったんです。誘拐されたとかじゃないですから!」
「案内? 望んで、ですか? まさか、そんな物好きがいるわけが……」
「お父様、ツナグはね。私たちの容姿を気持ち悪く思わないの! 私のことも、美人だって言ってくれたのよ!」
ミスティが両手を頬に当ててはしゃぐ。
ミスティにとってはよほど嬉しかったんだろう、ぼくの出自の説明より優先して舞い上がっちゃってるくらいだ。
娘の言葉に、村長さんは唖然としてぼくを見た。
「娘が……美人ですと……? し、失礼ながら、心にも無いことを仰って我らエルフに取り入ろうとも、得することはありませんぞ! 奴隷にしようにも、我ら醜いエルフの奴隷など、買い手がつかぬはず!」
「あの、いえ。他意はないです。娘さんに見惚れてしまったのは本当ですけど。――誓って、本心です」
奴隷て。
そんな制度まだ残ってるの?
さすが中世っぽいファンタジー世界。殺伐とした社会だなぁ。
「お父様。ツナグは、魔術士なの。他の天地から来たんですって」
「他の天地?」
状況を飲み込めない村長に、ぼくはミスティにした説明をもう一度繰り返した。
触りを話したところで、どうやら冗談でも下心でもないと判断してくれたらしく、居間に通されてお茶を勧められた。
ぼくの説明を理解してくれた村長は、驚愕とともに感嘆のため息を漏らした。
「何と……伝説の始祖魔術士、世界を渡るもの……実在したのですな……」
世界を渡るもの。
そういや、おじいさんもそんなこと言ってたな。村長さんが知ってるってことは、おじいさんは有名人だったのかな?
「ご存知なんですか?」
「ええ。何千年も前の、神話の時代のお話の一つです。天地を渡ってこの大陸にやってきた一人の大魔術士が、この世に魔術をもたらしたと。主に、人族に伝わる伝承だと、若かりし頃に一度聞いた覚えがありますな」
「別人かな? ――ぼくに魔法をくれたおじいさんは、何千年も生きてるようには見えませんでした。その世界を渡るものって、何人もいるんですか?」
「いえ、歴史上は一人です。ですが、伝承によると、別の天地に渡る方法は魔術の果てにある秘奥――『魔法』なのだと言われています。あるいは、歴史に記されていないだけでその秘奥に辿り着いた賢人が他にもいたのやもしれません」
なるほど。魔法と魔術は、似て非なるものなのか。
でも、どちらも技術――か、それに近いものらしい。努力とか才能とかで、修める人はいたんだろうな。おじいさんも、その一人だったんだろう。
「ぼくの魔法は、もらいものですから。研鑽した人を差し置いて誇れることじゃないです。どうか、大げさに捉えないでください」
「そうはいきません。始祖魔術士と同列のお方となれば、我々も歓待せずにおけましょうか。――貧しい村ですが、どうぞ何日でもごゆっくりお過ごしください」
「あー……お気持ちはありがたいんですが……」
平伏してもてなしてくれるのは、嬉しいし、ありがたいんだけど。
そうもゆっくりはできないんだよね。仕事があるし。
「ごめんなさい。明日の夜までには、元の世界に帰らなきゃいけないんです」
「えっ、そうなの?」
隣に座っていたミスティが、悲しそうな顔をする。
「うん。と言っても、またすぐに来れるから大丈夫だよ。魔法を使えば、近所みたいなものだし」
「そうなんだ。本当は帰ってほしくないけど……また、来てくれるよね?」
「もちろん」
せっかく仲良くなれたのに、すぐさよならじゃ寂しいからね。
あ、そうだ。
「ミスティも一緒に、ぼくの世界に遊びに来る?」
「え!? いいの!?」
ミスティだけでなく、向かいの村長さんまで驚いていた。
「そんなことが、可能なのですか!?」
「ええ。ぼくの魔法の『門』、自分だけじゃなくて、人や物も通れるみたいですから。ぼくの世界に魔法は無いですけど、代わりに科学が発展して物資が豊かな社会ですし、いいお土産も渡せるかもしれませんよ」
「お父様! ツナグの天地はね、私たちが嫌われたりしないところらしいの!」
「何と! そんな世の中があると言うのか……?」
村長さんは、まさに驚天動地という表情をしていた。
まぁ、価値観が違う世界なんて想像しにくいよね。ぼくもこの世界に来て驚愕の連続だもの。
「もちろん、気をつけなきゃいけないことはたくさんあるんだけど。――その辺は、ぼくが教えるよ。ミスティがさっき色々教えてくれたみたいにさ」
「お父様、行ってもいい!?」
「む、むぅ。しかし、初めて会ったばかりの御仁に、そこまで甘えるわけには……」
「あ、村長さんも来ません?」
「何ですと!?」
「娘さん一人を男の家に上げるのは心配でしょ? 何泊かしてもらって、帰りはきっとこの村まで直通ですから、気軽に来れます。――狭い家ですけど、歓迎しますよ?」
さすがに女の子一人に家に泊まりなよ、とは言えないよね。
交通機関のない世界だけど、魔法があるから行き帰りは気にしなくていい。
ぼくの家は二部屋あるし、寝具も社長が泊まりに来たときの予備があるから大丈夫だ。
「し、しかし、我らごときを、そこまで信用していただいてもよろしいので?」
「なに言ってるんですか、二人だって初対面のぼくを自分の家に上げてくれたじゃないですか。それに、ミスティには危ないところを助けてもらった恩があります」
サーベルラビットは弱い魔物――魔物! ――だったらしいけど、狩りも荒事も経験のないぼくには、充分に命の危機だった。
そこを助けてもらったんだから、家に招待するくらいは何でもない。
「むぅ……間違いは、あってくれた方が嬉しいのですが……」
ちょっとお父様。
不穏なつぶやきを漏らした後、村長さんは心を決めて膝を打った。
「あいにく、私は長ですゆえ村を離れることはできませぬ。代わりにツナグ殿が良ければ、勉強のために、この娘の兄を連れて行っていただきたい」
「兄? ……お兄さんがいるの、ミスティ?」
「う、うん。まだ狩りから帰ってきてないみたいだけど……」
どんな人なんだろう。
二人に似て、きっと美形なんだろうな。
「大丈夫ですよ。――と言っても、会ったこともない人を請け負うのはさすがに腰が引けるので、ご紹介してもらってからになりますけど」
「それはもちろんです。いや、ありがたい! 息子にとっても、いい経験になるでしょう」
「お兄様はやさしい人よ、ツナグ。心配要らないわ、私のことも大切にしてくれてるの」
家族仲も、兄弟仲もいいらしい。
ミスティが悪く思っていない相手なら、きっと問題ないだろう。
「父上、ミスティ、ただいま帰ったぞ!」
折り良く、家の扉が開かれた。
間もなくして居間に獲物だろう、野鳥を数羽ぶら下げたエルフの人が入ってくる。
高い身長に甘いマスク、顔つきは精悍で体格も良い。年齢はぼくよりも上で、角田社長と同じ二十代半ばくらいに見える。美丈夫と言える好男子だった。
もしかしなくても、
「む? そちらの方は?」
「もう。来客中よ、お兄様」
「……騒々しくて面目ない、ツナグ殿。この者が私の長男、ロアルドです」
やっぱり、お兄さんか。
いいなー、美形。この世界では認められていなくても、反射的に羨ましいなーと思ってしまう。ぼくは身長も高くない。こんな整った外見に生まれてたら、もっと女の子との出会いが多い華やかな人生だったのかもしれない。
世の無常を噛み締めて、そんな益体も無いことを考えていると、不意にお兄さんの表情が曇った。
「ふ、不快にさせて申し訳ない。この顔を晒した非礼をお詫びする、人族の客人よ」
「ああ、いえ、不快とかそんなんじゃないです! 頭を上げてください!」
やはりお兄さんも例に漏れず、しっかりとこの世界の住人だった。
ぼくの顔色を読んだんだろう、大仰に土下座し始めたのを慌てて止める。
お兄さんは、不可解そうにぼくの顔を見た。
「し、しかし、私の顔を見て表情を歪められたのは、やはり不快だったのでは……」
「いや、羨ましいなぁと。――同じ男として、お兄さんみたいな外見に生まれてたらなぁ、とつまらないことを考えていました。許してください」
「う、羨ましいとは――?」
「……まぁ、座れ、ロアルド。お前に大切な話がある」
簡潔に説明するのは難しいと思ったのか、村長さんが着席を促した。
鳩が豆鉄砲を食らったような顔のお兄さんに、村長さんとミスティが二人がかりで説明していく。
その勢いは熱が入っていて、確認のために何度か尋ねられてうなずいたものの、基本的にぼくの出番は無かった。思わず苦笑してしまう。
「では、大魔術士殿のセカイ? では、美しさの基準が逆だと――?」
「あ、繋句で良いです。そうなんですよ。だから、ぼくから見たミスティはとても可愛いし、お兄さんと村長さんはとても格好良い男性に見えます」
お兄さんは、ぽかんと口を開けていた。
やがて、我に返ったお兄さんは、テーブルに身を乗り出し、猛然とぼくの両手を掴む。
「つ、ツナグ殿、お願いがあります! どうかミスティを! ――妹を、嫁に娶っていただきたい!」
「よ、嫁……って、えええぇぇぇぇぇ!?」
いきなりの申し出に、ぼくは混乱した。
目を回すぼくの様子も視野に入らず、お兄さんはぼくの両手をぐっと握ったまま、怒涛の勢いでまくし立てる。
「気立ての良い、可愛い大事な妹なのです! 容姿さえ人並みならば、どこに出しても恥ずかしくないと思えるほど――対価にこの身、この命を捧げても構いません! ツナグ殿がミスティの容姿を気にかけないのならば、貴方以外に頼める男性はいないのですッ!」
「ロアルド、落ち着かんか!」
「そうよ、お兄様! ツナグが……その、こまっちぇ! ……うぅぅ……」
ミスティも突然の展開に気が動転したのか、舌を噛んで真っ赤になっていた。
お兄さんは涙を浮かべてぼくに懇願してくる。
「あ、あの……そういうのは、ミスティの気持ちが大事ですから……」
「妹が良ければ、受けていただけるのでしょうか?」
うーん、返答に困る。
一応、まだ学生の身だし、自活しているとは言え、裕福な稼ぎとは言えない。
将来的にはともかく、結婚だなんて、まだ早いと感じてしまう。
「ぼくはまだ年若いし、充分に身を立ててもいませんから、結婚だなんて今は考えられません。……でも、ミスティのことはとても好ましく思っています」
「そ、そんな……ツナグ……本当に、いいの?」
ミスティが、もじもじとぼくを見る。
あれ? ミスティはこんな急に、勝手な話をされて嫌じゃないのかな。相手はぼくなんだけど。
そんな仕草で改めて聞かれると、ぼくも照れてしまう。
「い、今言ったように、結婚自体がまだ早いって思ってるから、考えられないよ」
「数年先でも、いいの。私のこと……どう思ってる……?」
「ど、どうって……」
覚悟を決めたほうがいいかもしれない。
精一杯の、勇気を振り絞ろう。
「……ミスティみたいな可愛い子が彼女になってくれたら、嬉しいなって思ってる」
「……っ! 嬉しい!」
飛び跳ねるように、涙を浮かべたミスティがぼくに抱きついてくる。
前にはお兄さん、隣にはミスティ、美形な兄妹二人のエルフに涙ながらに抱きつかれ、これはいったいどんな状況なんだろーか、としみじみ思った。
その後、結婚を推し進めるお兄さんをなだめ、話は落ち着いた。
どんな人だろうと思ったけど、妹思いの優しいお兄さんだ。これなら、家に招待するのに気兼ねは要らない。
「楽しみですな、婿殿!」
ただ、ちょっと強引で暴走しがちなのは、若干……いや、すごく心配だったりする。
本当にこの人、日本に連れて行って大丈夫かな?
うーん。
今日はこのまま泊めてもらうことになり、夕飯をご馳走になることになった。
夕食のメニューは牙ウサギと野菜のシチュー。
それに、野鳥の香草詰め焼きと麦粉のパン。
シチューは鳥と同じく塩と香草だけの味付けだったけど、野菜の旨みと牙ウサギの脂が溶け込んでいて、素朴な味で美味しかった。野菜は異世界産ながらカブやニンジン等、調理後の見た目は同じ野菜である。
鳥の香草焼きも、直火で炙られた食欲をそそる香ばしさに食が進んだ。
パンは白パンではあったものの、若干硬かった。
強力粉なのか、もしくは酵母が無いのかもしれない。
気になったけど、調味料は塩だけなのかな?
日本に来てもらったら、醤油や味噌をお土産に渡したら喜んでもらえるかもしれないな。
明日は村を案内してくれるらしい。
ぼく用に用意された客間に、干し草の布団を敷いてもらって就寝した。
明日が楽しみだ。