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一日かけてボロ小屋に帰り、筋肉痛で唸っていても食事は変わらず作らなければいけない。
頑張って作った食事をしかめっ面でとられるとモヤモヤするが、養ってもらっている身で文句は言うまい。
「どうしたものか……」
不味そうな顔で食後のお茶を飲み込んだカーティスは天井を見上げた。
「予想はしていたが、想像以上の曲者だな。アリステア・ユーキッド。正直気持ち悪い」
「そうですか? 三十でも可愛くて需要のある女装だったと思いますけど」
「そのことじゃない。お前の頭は弱いんじゃなくてポンコツだな」
食後のデザートに皮をむいた林檎を黙ってひっこめて自分で立ち食いすることにした。
「敬意を払え、畏怖の念を抱け。当然のように言うのだから恐ろしいな。神でも天使でも悪魔でもない。王位を継いですらいなかった王子にそこまで言うのはよほどだぞ」
羽衣子の抱えていた林檎のボウルをひったくったジョシュアは、それも当然でしょう、と溜息をつく。
「彼の家はマーティス卿に歯向かい、粛清されそうになっていたところを亡き王子に救われた伯爵家です。レジスタンスとして活動するにあたってユーキッド伯爵は彼を勘当しましたが、伯爵自身反マーティス卿派。密かに彼を支持し、勘当は形だけ、なのでしょう。『鴉』がここまで力をつけたのも伯爵の後ろ盾が大きい。アリステア・ユーキッドは同じ志を持つ王子に共感すると共に恩があります」
「覚えていない」
「当時は似たようなことが多々ありましたからね。王子が存命の間は多くの家が救われていました。多少権力が削がれることはあっても」
奪われたボウルからあっという間に林檎が食され、空になって帰ってくる。別にボウルくらい、洗ってくれても羽衣子はいっこうに構わないのに。
「その王子様って、すごい人だったんですね」
「民からの支持は圧倒的でしたよ。人間臭い人で、親近感も沸いたのでしょう。何より平和主義でしたから」
くだらん、とカーティスが呟く。
「知恵も力もなく、あっけなく死んだ間抜けだ」
「けど、カーティスさんと同じですね、平和主義って」
「……」
ちらりと羽衣子を見てからだまりこんだカーティスに首を傾げると、何故かジョシュアがクスクス笑っている。
「……とりあえず今日一日考える」
「何をですか?」
「『鴉』を吸収するか否だ。アリステアは危う過ぎる」
ふぅん、と声を出すと引いたような顔をされた。
「お前はどこまで呑気なんだ」
「え、だって。私は人を見る目が長けてるわけじゃないですし、この世界の危機を完全に理解しているわけでもないし、カーティスさんにアドバイスなんておこがましいことできません」
頬杖をついて見上げて来る彼は心底呆れた顔をしている。
「そうではなく。姉が魔王に囚われているのに随分と落ち着いているな。不仲だったのか」
「いえ、私が言うのもなんですけど、姉は私のこと大好きだと思います。私にとっても自慢の姉です」
ただ、あの姉が黙って囚われの乙女になるのは想像できない。特に魔王は男らしいので尚更、男女差別断固反対の姉が屈するのは想像しがたい。姉は自分が認めた人以外は基本的に見下してかかるし、実際姉より賢い人はなかなかいない。学力も勿論高いがそういった意味の賢さではなく、どう立ち回れば自分が得をできるか、というのをよくわかっている。
兄の話を聞く限り姉は殺されるようなことはないようだし、自分の想像の中の姉は魔王を倒して自分が魔王になりかねない。
「大丈夫ですよ。姉も、兄みたく人タラシですから、大丈夫。……そう思わないと、正気でいられません」
心配し出したらキリがない。姉のことも、弟のことも。
「そうか……。そうだな。悪かった」
抱えていた空のボウルを足に落としてしまった。木製のそれは意外と重い。
「何をしているんだ……」
「謝れるんですね。謝罪とお礼は死んでもやらない人なのかと思って」
「お前……失礼にも程があるだろう……」
謝れるなら、人の体を貧相とのたまったことも是非とも謝ってもらいたい。
「んんー……。今日一日考えるって言ってもずっと考えてると感覚が麻痺して適当な結論に着いちゃいますよ。午前考えて午後気分転換とか。で、また夜冷静に考えて……あ、でもよるだと冷静さを失うことも……」
「根を詰めすぎるなと言いたいのはわかった」
小屋の中をぐるぐる見回して、そうだ、と思いつく。
「野菜の皮むきをしましょう」
「はあ?」
「別のことに集中しながら考えると、柔軟な思考で結論を出せるもんですよ」
料理をしたり、雑巾を作ったり。
「自分の仕事を俺に押し付けるな」
「別に最後まで調理しろってんじゃないですよ。皮むきだけ。剣のお稽古をしながら考え事をしてちゃ怪我が心配ですけど、皮むきだったら考え事に夢中で手が滑っても最悪指一本おじゃんにするだけです」
「指一本も大事だろうが。何を大したことがないように言っているんだ」
剣で絶命するのに比べたらなんでもないではないか。もっとも羽衣子も指切断なんてお断りだが、羽衣子は慣れているのでそこまで酷い事故は起こさない。
「皆でやれば一気に夕飯分の下ごしらえも終わらせられますねえ」
カーティスとジョシュアでざっと一人五人分ほど食べるのでなかなか用意が面倒くさい。その分二人ともよく動くので燃費が悪いわけではないようだが。
これは名案、と包丁を三本取り出して、皮むきに向かない包丁は自分様だな、と計画を進めていく。
「俺はやらんぞ」
「あれ? ジョシュアさんは……」
「あいつ……!」
いない。逃げられた。
「けど最終的に結論を出すのはジョシュアさんじゃなくてカーティスさんなんですよね? じゃあいいです。カーティスさんだけで」
「じゃあとはなんだ。考え事をする時のリラックスのためというのは言い訳だろう。お前、ただ手伝わせたいだけだろう」
「まさかそんな」
ほんの少ししか、手伝ってもらえてラッキーなんて思っていない。
***
カーティスのむき終えたニンジンをじっくり眺めて、苦笑した。
「これ、どこかに血が染みてたりしませんよね」
「そんなことがあったとしても悪いのは俺じゃない。無理強いしたお前だ」
手当て済みのカーティスの傷だらけの手を見て涙がじんわり滲んできた。
「こんなに不器用なんて可哀想……っ」
「黙れポンコツ女」
まだニンジン一本しかむいていないのにこのありさま。羽衣子も気が気ではなくて見守るのに忙しくまだ作業に取り掛かれていない。
「そりゃあ、自分でまともな食事も用意できませんよねこれじゃ」
羽衣子の作るごくごく一般的な家庭料理にあれだけ満足するのも頷ける。剣を扱っていた時はあんなに軽やかだったのに、包丁は駄目なのか。
なんか無理させてすみませんでした、と謝ってもう彼を座らせる。羽衣子も椅子に座り、ゴミ箱を脚の間に挟んで今度こそ自分も皮むきを始める。
ジョシュアはまだ帰って来ない。
「あの、見られてると緊張するんですけど……」
「気にするな、続けろ」
「気が散るんですけど」
「俺もお前に凝視されながらやっていた。お前もプレッシャーに負けて指を切れ」
「酷い……」
そんなヘマ、今更しないけど。
いつも通りのペースでやっていると、舌打ちをされた。
「何ですか……」
「お前に一つでも劣っている物がある自分が情けない」
「何でそんなに私を過小評価なさっていらっしゃるのか……」
貧乏ゆすりまで始めている。
「明日に出発して明後日向こうに到着する予定ですか? それだったら明日の朝出発すればいいのに」
「そうしたら向こうに着くのが夜になるだろう」
「ああ、夜は安心して眠りたいですもんね、皆」
「そして女と酒でも平等に楽しめるべきだ」
「だからそれはわかりませんって」
皮をむきながらカーティスの顔をじっと見る。顔は綺麗なのに。かっこいいことを適当にでも言えば女の数人簡単にひっかけそうだ。喋ったらがっかり。手先だけでなく生き方まで不器用な人だ。
「おい、本当に指を切るぞ」
「あ、大丈夫です。慣れてるんで」
「料理人でも手元を見ずに調理はしないだろう……」
「覚えの早い子供の頃からやっていたので。ご心配ありがとうございます」
「……別に心配したわけじゃない」
「ツンデレですか」
もういつから家事を始めたのかも思い出せない。始めの頃は母が仕事と両立していたが、そのうち羽衣子一人で担うようになっていた。特に料理は兄弟全員が苦手なので誰かに代わってもらうわけにはいかなかった。
「それで、アリステアさんと仲良くするかどうか決めたんですか?」
「誰かのおかげで忘れかけていた。誰かのおかげでな」
「そんな、私のおかげですか? ありがとうございます」
「厚顔無恥という言葉を知っているか」
現代文の成績だけは昔から良くて、と言うと現代文が何だかわかってもらえなかった。
「私には、どうして迷うのかがわからないんですけど。アリステアさんが王子様と同じ志を持ってるなら、平和主義ってことですよね。カーティスさんと同じじゃないですか。カーティスさんの勢力って大きいんですよね? アリステアさんとカーティスさんが一緒になって魔王に対抗できるなら、姉を助けてほしい私は是非とも一緒になってほしいんですが」
ふん、とカーティスは溜息をつく。
「お前の言うことも一理あるがな」




