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時間が過ぎなければいいとこんなに思うのはあの時以来だ、とハロルドは子供っぽい笑で言った。
「魔王陛下にはもう少しねばってほしいなあ」
「他人事みたいに言わないでください」
一週間、ケガが完治していないのをいいことに、ウイコが傍にいてくれないと悪化する、兄上が看病してくれないと永遠に治らない気がする、と駄々をこねて常にどちらかを部屋へとどめようとする。
カーティスはアリステアたちと騒ぎの収拾に走り回ったりレダの様子を見に行ったりと、度々席を外すが羽衣子はここにずっと足止め状態。
帰る支度も、魔王がなかなか姉を返してくれないせいで進まない。
レダについては、彼女の本当の素性は明かさず、二人の王子や事態についていけていない国王が彼女にはなんの罪もないと主張したことで拘束はされていない。しかし彼女自身が外へ出ようとしない。
「だけどウイコだってまで帰りたくないよね?」
ベッドに引っ張り込まれそうになったのをジルに助けられた。二人きりにさせたら弟が何をするかわからないからとカーティスがいない間はジルを見張りに部屋に残している。
「何年も君を待っていたのに、こんなに早く帰るのは薄情だよ」
「それは……、その……」
「まあ、諦めかけていた僕に責める権利はないけど」
ジルの馬鹿はいつまで経ってもウイコと出会った時のカラクリを教えてくれなくて、ずっと悶々としていた僕を馬鹿にしていたに違いない、とここ数日ハロルドが助かったことに喜んで泣き続け真っ赤に目を腫らしたジルが睨まれる。
ため息をついたジルは首を横にふる。
「お嬢さんに再会できない可能性の高いネタばらしをできるはずがないでしょう」
「だからって今朝まで黙っているなんて信じられないよ。神経を疑うね」
「今更私から言うことでもないでしょう。お嬢さんに直接説明していただくまで私も整理できていませんでした。お嬢さんが現代に何も知らず現れたことについては私ですら頭が追いつかなかったのですよ」
「脳筋だからだろ」
思わず笑うと二人から責めるような視線を向けられる。
「お二人とも成長して、出世もしたのに、あまり変わってませんね」
「それは僕を子供だって言いたいのかな?」
「殿下が成長なさったのは図体だけですので、仕方ありません」
「流れで偶然出世できた奴に言われたくないね」
どっちもどっちの憎まれ口をたたく二人をまあまあと宥める。
「もともと良い子だったけれど。見違えるくらい、立派になりましたよ」
口を尖らせたハロルドは、また子供扱いだと拗ねる。
「言っておくけど、今は僕の方が年上だよ」
「そうでしたね」
「会いたかった。ずっとずっと、待ってた」
出会った場所に戻っても、一緒ぶ過ごした建物さえなくなっていて、混乱してそこにそっくりな建物を作ったのだと言う。
「何度行っても君があそこに来ることはなかったから、そのうち行くのが虚しくなって放置していたんだよね」
「え……っと、じゃああの小屋はハロルド王子が建てたものでそこにカーティスさんたちが隠れ住んでいて、私が留守番をしている間にハロルド王子とジルさんが来たからこの時代のハロルド王子が……」
「そんなに一生懸命考えるほど大事なことじゃないよ」
手の甲にキスをされて、引っ込めようとしたら今だけだからと懇願された。
「あの時のウイコも今のウイコだったんだね。あの時からもう、ウイコは兄上を待っていたんだね」
また、泣いてしまいそうな笑顔で。初めて会った時のように。
「兄上より先に……、最初にウイコを見つけたのは僕だよ。でも、ウイコが最初に見つけたのは僕じゃなくて兄上だったんだね」
「……はい」
「大好きだよウイコ。でもウイコは……。……。……いいよね、わざわざ僕が言わなくても。言いたくないからさ」
「……はい」
気まずさから目をそらしたくなるのを必死でおさえる。これ以上彼に不誠実なことはしたくなかった。
「君の目に映れなくても、君に会えてよかったと思っているよ」
「私もですよ」
「うん。……うん。……そっか。なら、よかった……」
***
懐かしそうに、悲しそうに思い出し、話していた処刑された王子が生存していたとわかっても簡単に喜べる状況ではない。
王子は正しいことをしていても、彼女にとって彼は平穏を崩した悪役でもあり、しかし大切な人に変わりはなく。
やはり自分は勇者なんて大層なモノじゃない。部屋にこもり、寂しいと泣く女の子一人もうまく励ませない。
度々様子を見に来る王子も拒否するレダが部屋に入れるのは英衣だけ。それでも結局何も言ってやることができなくて、毎日、ただ傍にいることしかできない。
何を言おうとしても軽々しく感じてしまう。優しい言葉をかけたって気休めにしかならず、今のレダはそれを敏感に感じ取ってしまいそうだった。
「入らないのか」
レダの部屋の前でこのままでいいのか、今日こそ彼女の力にならなければと考えこんでいるところで、声をかけられた。
「王子こそ入らないのか」
毎朝来ては、ドアの前で止まって入る様子は一切ない。生きていた王太子。
「……俺の顔も見たくないだろう」
「そんなことないと思うけど」
ただレダは混乱しているだけ。生きていてくれて嬉しい。けれど逃げ続けた自分がどんな顔をして会えばいいのかわからない。そんな心境だろうことは想像できた。
「レダ、入るぞ」
「……他の誰にもお会いしたくありません。お一人でいらして」
勇者に返された言葉に王子は顔を曇らせる。
鍵がかかっているわけでもない。それなのに誰も入ろうとしない。レダに許可された英衣でさえ、入るのを躊躇う。
レダの欲しい言葉が誰にもわからないから。
「だから君が嫌いなんだよ」
ぎょっとする。カーティスも英衣と同じような反応で顔を強張らせた。少なくともどう考えてもレダが言われて喜ぶはずでない言葉を発した人物を振り返った。
寝衣で薄ら笑いを浮かべるハロルドはレダの部屋のドアを殴り更に続ける。
「君が誰の子供だとか誰の兄弟だとか関係ないよ。君のその甘ったれたガキ臭いところが昔から癇に障るんだ。誰にも愛されない、誰も傍にいない、とか、思ってるんだろうけどその通りだよ。お姫様気取りで何もしなかった君に誰かがついて来てくれるとでも? だいたい、君ごときが崇高なる兄上の慈悲を無下にしているのが一番気に入らないよ」
はらはらと見守っていたが、予想外に、部屋からは泣き声でなく反論が聞こえてきた。
「わ、私はお姫様気取りなんて……っ」
「そう? 誰かに守ってもらうのが当たり前だと思ってるように見えるけど。昔は兄上。今は勇者殿。それで? 可哀想な私を守ってくださーい。でも見返りは求めないでね。って、随分都合がいいよねえ。そう思うよね? 勇者殿」
「え、あ、いや」
「どうしてすぐに否定なさらないのですか!」
もちろんそんなことは思っていないが、突然話をふられて咄嗟に反応ができなかった。
「わ、私だって、考えて動いていますし、ただ守られようなんて考えていません! 助け合っていこうとしているんです! 持ちつ持たれつで人間は生きているんです!」
「よくもそんなことが言えるよねえ。今は持たれっぱなしのくせに」
「こ、こ、このっ、悪魔! 最低! 最低です! エイ様もカーティス殿下もどうして何も言ってくださらないのですかっ?」
「ほら、それだよ。どうして何も言ってくれないのって、助けてくれないのはおかしいって言ってるんだ。お姫様気取り」
唸り声が続いてしばらく、ドアが勢いよく開いて、枕を持ったレダがハロルドに攻撃に向かった。そんなもん簡単に避けられるだろうと眺めていたがハロルドはそれを顔面に受け止め、彼の兄は手で顔を覆って首を横にふった。
何日もベッドから出ていないのに突然動けるはずもないだろうと。
「ジルは止めなかったのか」
「撒いてきたんです。過保護すぎるんだ、あの馬鹿」
「ウイコは」
「魔王陛下のところへやりました。姉君をこいしがっていましたから。……今は気まずいし……。ああ、いえ、こちらの話です」
カーティスとハロルドの間に入ったレダは、倒れ込んだハロルドを泣きながら枕で叩きつける。
「だったら言わせていただきますが! 何がいけませんか? お姫様気取りでいけないことがありますか? どうせ、どうせ、どうせ皆私のことなんていらないくせに! 忘れてしまうくせに! 何もくれないなら、一時くらい気休めとして守ってくれてもいいでしょうっ!? 馬鹿なお父様なんて嫌い! 貴方も嫌いよこの悪魔! 突然いなくなったカーティス殿下も嫌い! エイ様なんて、大嫌いです! 思わせぶりの魔性!」
「まっ、は、はあ!? 誰が! 俺が!? 生まれてこの方一度も言われたことねえよ!」
怒りの矛先がこちらへ向けられる。
しれっとした顔のハロルドは腕を組んで傍観体勢に入った。
「わ、私のこと、忘れるくせにぃ……っ!」
「なんでそうなるんだよ。なんだよそれ。忘れるなんて一言も言ってねえだろ!」
「忘れないなんて一言もおっしゃらなかったわ」
「そんな当たり前のこといちいち言ってられるかよ」
ひしっと抱きしめてくるレダに二人の王子はわざとらしく気を遣って何も見えないとでも言うように平然と会話をしている。
「当たり前ではありません……。おっしゃっていただかないと、わかりません」
「レダに色んなものをもらったよ」
励まされた。楽観的な考え方だって、安らぎだってもらった。これまでの自分を肯定してくれるようなことを言ってくれた。
こんなわけのわからない体験をしていても、おかしくならずに冷静でいられた。楽しいと思う余裕もできた。
「一生忘れない。レダの幸せをずっと願ってる」
「……っ」
「レダなら大丈夫だ。俺みたいのとだって仲良くやれたんだからさ」
見上げてくるレダの頬をつねって笑った。
「可愛いしさ、お前」
「やっぱり、魔性です……」
このまま部屋にこもってあなたを心配させて、返したくなかった。やっぱり帰らないと言ってくれることを狙っていたんです。嗚咽をもらしながら、レダは無理やり笑った。
「駄目です。私は自分のことしか考えていなかったのに。そんなことまで言わせて、私の幸せのために貴方が犠牲になってくださいなんて、さすがに言えません」
「どっちが魔性なんだか……」
寂しい時に英衣が教えてもらったこと。
どうしてお父さんがいないの。そう言って母を困らせる英衣に、兄弟が教えてくれた。屁理屈っぽくても胸にすとんと落ちた。
「俺たちが一緒にいた時間はなくならないよ」
傍にいられなくても。傍にいた事実、彼女を大事に思う事実は消えない。
「記憶に嘘はない。辛い時に、俺なんかでもいいし、他の誰でもいいから、思い出せばお前のこと大事に思ってるやつは沢山いるよ。偽物じゃない」
今でも相手が覚えてくれているかなんて心配になっても確かめられないなら、一方的に信じてしまえばいい。
「そうです、ね。そうですわ。勝手にエイ様や色んな方を心の支えにいたします。だけどお願いがあります。もし世界の障害がなくまた出会う時があったら、また貴方に恋をさせてください」
来世でも、再来世でも。
「貴方をきっと振り向かせて見せますから」
「なかなかありがたい宣言だけど。その時には勇者じゃないだろうな。それでもいいなら、ぜひ」
彼女に恋はしない。してはいけない。決して彼女を選ばない。
それでももし、出会ったのがこの世界でなければもっと長く彼女といられたのに、とか、もっと近づくことができたのに、とか、悔しいと思うくらい彼女に愛情を持った。
もし、同じ世界で出会っていたら。それを考えたらきりがないくらい、彼女と離れたくないと思う。
可愛くて良い子で、自分を好きだと言ってくれる彼女とのことを真剣に考えることもままならない。うまくいかない。
それでも。
「前進しないと生きていけないんだよなあ……」
ちらと傍観を決め込む王子二人を見た。どことなく落ち込んでいて、同時にどことなくすっきりとした表情のハロルドに対して、悩んでいる様子のカーティスが、何故か酷い現実を恨まざるを得ない今の自分と重なった。




