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仁坂景衣にとって、家族は守らなければいけないものであると同時に尊敬すべき人々だった。
物心つく頃には父は他界しており、自分は男で、兄であるのだからと強くいようと心掛けた。学業も、部活動も、全力で取り組んで心身ともに鍛えてきた。
母は勿論尊敬している。女手一つで、働きながら自分たち兄弟を四人も育ててくれた。
適当なように見える二つ上の姉はその実誰よりも責任感が強い。一番上だからと兄弟を支え続け、兄弟の体調が悪くなれば看病し、精神的に不安定になればすぐに見抜いて解決に導く。
一つ下の妹は真面目で、世話好き。真面目すぎて融通がきかないこともあるが自分のやりたいことも我慢して家のことを率先してやってくれている。
二つ下の弟は誰よりも負けず嫌いで努力家。普通と言われるのが嫌で、けれど何か才能がないことを嘆かずただひたすら努力をし、曲がったことが嫌いな正義感のあるいい男だ。
だから、後ろめたくて仕方がなかった。
俺は母さんみたいに家族を養えない。俺は姉貴みたいに家族を第一にできていない。俺は羽衣子と違ってやりたいことをやっている。俺は英衣みたいに自分の弱さに立ち向かう強さがない。
散々家族に支えられて全力で取り組んできた部活動がうまくいかない。家族よりも優先してきたくせに。
姉が痴漢にあって泣いて電話してきた時も、妹が風邪で寝込んでいる時も、弟がいじめっ子と喧嘩をして大ケガをした時も、試合に行った。練習に行った。
それなのに結果を出せていない。後ろめたくて、自分に対してどうしようもないほど腹が立った。
自分に足りない物が何かはわかっている。けれどどうやってそれを補えばいいのかわからない。もどかしく足踏みしていた今、この場所に辿りついたのは運命であると思いたかった。きっとここにヒントがあるから、俺はここに来た。そう思わなければやっていられない。
現実主義の自分がこの世界を受け入れるには、何もかも、開き直るしかなかった。
***
前方を歩く二人があからさまに不機嫌になるのがわかって申し訳なくも思うし理不尽だとも思う。日本に住んでいたら寝ないで道なき道を進むことなんてなかった。しかも徒歩で。そして女であることを言い訳にしたくはないが女の子だし。
オルフェに会った翌日から、件の、レジスタンスの中でも最大の組織のもとへ向かうための最短ルートは体力を著しく削る。
「体力がないな」
立ち止まって振り返ったカーティスは引き返して羽衣子をおぶりまた歩きはじめる。
「カーティスさんはもやしなのに体力があるんですね」
「叩き落すぞ恩知らずの無礼者。ここに残って獣の餌になれ」
「すみませんでした。すみませんでした!」
これだけ歩いてきたのにまだ体力があるのかぶんぶん振り回されて本当に叩き落されそうになる。最後の力を使ってしがみついているとようやく大人しくなった。
「まさかウイコがここまでお荷物になるのは予想外でしたね」
「申し訳ないなとは思ってるんですけど、留守番でもよかったのにとも思います。逃げても行くあてなんてないんだから」
「城に弟がいることが判明しているのに完全に信用して一人にするわけないだろう」
「だって話を聞く限りじゃお城よりカーティスさんたちといる方がまだ若干安全そうですし」
開戦派の宰相が牛耳っているお城なんて魔王ばりにタチが悪い。何も知らないだろう弟は無事だと考えるにしても、ある程度真実を知っている自分は何かのはずみで暗殺されるんじゃ、とか。こんな小娘一人でも勇者の身内となれば話も変わってくるだろうし、勇者に何か吹き込まれれば宰相も不都合だろう。あるいは最悪自分を殺して魔王に罪を擦り付けて勇者の戦意を煽ろうとしたりして。
羽衣子を背中に乗せても変わらないペースで歩くカーティスは溜息をつく。
「お前、騙されやすいだろう」
「え、なんで」
「お前が聞いたのはあくまで俺の意見だけだ。誰しも、自分が正しいと信じて疑わない。俺は自分が正しいと思うから自分をより正当化して意志を保ってきた。だがそれは俺だけじゃない。宰相も、王も、レジスタンスも、誰もがそうだ。自分の理想を語る時、さもそれを正しいあり方だと主張するように話す。もしお前が俺の話より先に宰相の話を聞いていたならそれはそれでなるほどと納得するだろう。簡単に人を信じるな。誰といるのが安全かなんて、危険に陥るまでわからない」
あれ? と目を瞬かせる。ジョシュアを盗み見ると彼も少し驚いた顔をしていた。
「意外と自分に自信がないんですね、カーティスさん」
「は……?」
ずっと胸をはって目をふせなかった人の背中が急に小さく感じた。知り合って間もなくても、それが意外だと思うくらいこれまでの彼は自信に満ちていたのに。
「……自信はある。俺は誰よりも正しい。だが正しさの定義は万人が同じではない。それだけの話だ」
「結局自信がないんですね……」
黙り込んだカーティスの肩をつつくと顎でわずらわしそうにはらわれた。
「別の人の話を先に聞いてたら納得したかもわからないですけど、私が最初に話を聞いて納得できたのはカーティスさんの話ですから、今更植え付けられた考えは変えられませんよ。意見をコロコロ変えられるほど強かでもないですし、多分この世界にいる間はカーティスさんを信用してひっついて荷物になる他ありません」
少なくとも、国に追われながら見ず知らずの小娘を助けて、もとの世界に戻ることも手伝ってくれると言うのだから悪い人ではない。勇者である弟につけ込もうという目的があるわけでもなさそうで、比較的素直な人だ。オブラートに包むなどを知らないようだが。
それに平和が好きで戦争が嫌いな人と、自分が参加しない戦争がしたくてたまらない人。羽衣子は前者の方が好きだし信じたい。
「ジョシュアの言った通り可愛げのない女だな」
「すごく素直に貴方を信じますって言ってるのに……」
「どこが素直だ。まずは荷物にならないよう努力をしろ」
顔を少しだけ振り返らせた彼はまた人を小馬鹿にするような笑みを浮かべているのだろうと思った。けれど実際間近で笑っている彼は出会ってからおそらく初めて、綺麗に微笑んでいる。
さっと気持ちを切り替えた。騙されるな。騙されるな自分。いい人だし顔は綺麗でもこの人はうら若い乙女の体を貧相と、脚を見て不快だと言った無礼者。ときめくんじゃない。
「静かに」
ジョシュアの声に従って二人でぴたりと黙る。
耳をすませるとがさがさと道なき道を進んでくる足音が聞こえる。速いテンポのそれはだんだんと大きくなり、羽衣子を下ろしたカーティスとジョシュアは剣に手をかけ準備が整うと、茂みから人影が飛び出してきた。
足音で推定した通りたった一人きり。どんな厳つい男が現れたかと思えばヒラヒラ、キラキラのドレスを着た金髪の美少女だった。
「ああ、どうかお助けください……! 賊に追われているのです!」
カーティスの前で膝をついて拝むポーズをとった美少女は目に涙をため声をあげた。こんな森の中ではありえない格好の彼女をまじまじ見つめたカーティスは溜息をついて素通りしようとする。
ジョシュアは彼女に目も抜けない。
「え! 置いて行っちゃうんですかっ?」
動かないでいる羽衣子の腕を引っ張るカーティスは馬鹿め、と呟く。
「お前やはり騙されやすいな。賊に追われて必死で逃げて来た人間があんなに綺麗な泣き顔なはずないだろう。育ちのいい令嬢が足の不自由な道で、普段無縁の野蛮な男に追われているならもっと大泣きして鼻水を垂れ流すだろう。命か貞操の危機だぞ」
確かに。
そう考えるとドラマなどで綺麗な泣き顔をさらすヒロインは現実味に欠けるのか。
「そしてその女が近づいてくる前に聞こえた足音、ヒールを履いて大人しく生活している令嬢があんな速さで走れるわけがないだろう。練習済みだ。首、鎖骨あたりを見ろ。女騎士ならあり得ても、こんなドレスを着た令嬢風の女にしては立派過ぎるだろう。極め付けには一瞬お前を舐めまわすように見た。お前程度を女と認識して喜ぶほど女に飢えている……男だ」
この際わざわざ自分を貶める言葉を付け加えたのは無視するとして、
「またまたあ……。私より可愛いのに?」
「男でもウイコより愛らしい程度ならいくらでもいるでしょう」
たとえ一理あっても、ですよねー! なんて言ってやる気は羽衣子にはない。
「下がれ、ウイコ」
「え? うわ!」
腕を引いていたはずのカーティスが今度は逆に後ろに押しとばしてきた。美少女の隣に尻餅をついて文句を言ってやろうと前を向くと、カーティスとジョシュアそれぞれが人相の悪い男二人ずつと剣を交えていた。
刃物がはじき合って出る音が生々しい。本当に平和も秩序もない世界に来てしまった。
「ウイコ、お前はその女装男から距離を取っておけ!」
言われてはっとして、こちらに手を伸ばそうとしていた美少女から離れる。悔しそうに歯ぎしりをする美少女から紙一重で逃げていると、飛んできたカーティスの鞘が彼だか彼女だかのわき腹にぐさっと入りうめき声が上がる。
あ、本当だ、うめき声は男だ。
ついでに鞘を拾って自分でも彼だか彼女だかのお腹にベシンと叩きつけた。
「アリス! ……ん?」
「……え?」
カーティスの隙をついて倒れた偽美少女の元へ駆け寄って来た男を見て絶句する。
「……お兄ちゃん……」
「ああ……」
「……一端、凶器をしまいましょう」
「ああ……」