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 怒号がそこここで聞こえて、おかしくて笑ってしまう。

 何もかもが思い通りに進むのだから、笑ってしまう。彼女のことを除いては。

 目的地までのんびり進んでいると、城には不似合いの派手でない風貌――といっても下の階で騒いでいる兄とその仲間のように重装備でもない――の男が壁にもたれてうっとうしげな顔をこちらへむけた。

 これは、予想外。

 あんまり色々なことがうまく行き過ぎて、こういう予想外のことが起きると少し面白かった。


「わざわざ会いに来てくれたの? 物好きだなあ、情報屋さん」

「そうだね。わざわざこんなとこに来るなんて俺もどうかしてるよ」


 ハロルドが笑うと一層不快そうに顔を歪めたオルフェは窓を指さす。


「逃がしてあげるよ。女の子じゃないのは惜しいけど、さらってやる。結構気に入ってるよ、あんたのこと」

「まさか、思ってもなかったな。君にそんな提案をされるなんて」


 うんと昔。飢えて倒れていたのを世話してから妙に懐かれた。頼んでもいないのに有益な情報を持って来たり暗躍したり。世話してやった時はほんの子供で役に立たない、自称の情報屋が今は優秀な人材になった。

 決してハロルドのもとに留まらなくても、決してハロルドの敵にならなかった少年。大した意味はなく気まぐれだというのが一点に留まらない理由だろう。気分一つで一定のルール以外に囚われない。

 適当でプライドの高い彼のことがハロルドもわりと気に入っていた。


「君もお察しの通り、僕は何も変更の予定はないよ」


 彼の一定のルールの中には受けた恩は必ず返す、というのがあるそうだ。命を助けてもらったからには、この先の未来、何があってもあんたの頼みはきいてやる。回復した彼に言われた。

 それでもハロルドがなかなか頼みごとをしないと、気まぐれに城にやってきて気まぐれに土産を置いて行く。情報だったり、物だったり。

 そうだ、と思い出す。


「ウイコに会わせてくれてありがとう。おかげで楽しかったよ」

「どういたしまして」


 歯を閉じたまま言ったオルフェは窓に足をかけて暗い顔を隠さない。


「ホントに行くからな」

「うん。今までお世話になったね」

「知らねえぞ!」

「後悔はないからね」

「あんたが決めたことを妨害する気なんてねえけど、俺はあんたのこと間違ってると思うし反対だ」


 そんなことは今すぐやめろと、遠まわしに言っているのだろう。


「いいんだ。僕は間違えたって。正しいことをしたいわけじゃないから」


 怒りに顔を真っ赤にした少年はそれでもポリシーからハロルドを妨害する試みは捨てて舌打ちをして出て行く。

 唇が弧を描く。

 悪くない。心配されるのは。それを解消させることが自分にはできないけれど。

 何も変えない。変えるつもりもない。

 守りたい物は昔から二つきり。そのためならなんだってする。

 国なんてどうでもいい。国民なんてどうでもいい。ハロルドに大切なのは、初めからあった、たった一人の兄。思いやりがあって、暖かくて、才能があって、人を惹きつける。特に最後のはハロルドにないものだ。ハロルドだって兄に惹きつけられた一人だ。大切な、たった一人の家族。父も母も、兄と違う。兄だけが、心を育てるのに必要な物を与えてくれた。

 ずっと一つだった守りたい物に増えたもう一つ。初めて恋をした人。きっと彼女は知らないだろう。本当は、一目見た時から惹かれていた。憎まれ口をたたいたハロルドを慰めて、褒めてくれた。声に耳を傾けてくれた。約束を守って、また、会いに来てくれた。愛しくて、優しくて、けれど、昔も今も、決してハロルドに恋をしてくれない残酷な彼女。



 二つきり。二人きり。



 ハロルドが守りたい物。

 ハロルドが幸せにしたい人。



 すぐそこまで、勇ましい兄の勇ましい兵士たちが迫ってきている。

 ハロルドが手にかけた扉は、玉座の間のもの。中にいるのは父と、母と、宰相マーティス。

 階段を駆け上って来た城と反乱軍の戦士たちを確かめて、勢いよく扉を開ける。蒼白の宰相は剣を手にこちらを睨んでいて。

 マントのフードで顔を隠しているのに、誰だかばれてしまってはいけない。唇だけを動かした。


『さようなら』


 かけつけたどの戦士よりも先に、宰相のもとへつっこんだ。いとも簡単に、ばっさりと切り捨てられる。

 当然。だって、僕は丸腰だ。

 フードの取れたハロルドの顔を見て驚愕する、宰相、両親。近寄ってきた兵士、反乱軍。それと、誰よりも尊敬してやまない、兄。

 ……少し、違う。

 ほとんどの人間の顔に浮かぶのは驚愕。兄だけは、それはほんの一瞬で、次には絶望と悲しみの色が滲んだ。

 ああ、兄上。自分を責めることはしてはいけません。僕は貴方の踏み台になることこそ至上の喜びだった。

我儘言うと、死ぬまでくらいウイコを譲ってほしかったけど。

 

 「王族殺しは……重罪……」


 絞り出せる精一杯の声を出した。


「いかなる……理由があろうと……」


 絶望を隠せない顔のまま、兄がそっと自分の頭を抱き寄せた。残念。兄上のことは大好きだけど、こういうことはどっちかというとウイコにしてほしかったな、なんて。そんな軽口をたたけるほどの体力も残っていない。


「僕を、殺し……たのは、マーティス卿だ……! マーティス卿は、死罪、王は、再起不能……」


 優しい兄上。貴方はきっと、殺せないだろう。簡単に許してしまう。だから足元をすくわれる。それだけが欠点。だったら僕が、そいつを連れて行こう。


 さようなら、ゴードン・マーティス。ざまをみろ。

 さようなら、兄上。どうか良き王に。

 さようなら、ウイコ。どうか幸せに。

 ついでにさようなら、情報屋さんに、アーロン、それと、ジル。まあ適当に、お元気で。


 ぼやけていく視界の中に、羽衣子の姿が浮かんだ気がした。「急いでください」という声と一緒に。


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