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頻度が下がってしまい、更新を待ってくださっている方には本当に申し訳ないです……。新生活に慣れなくて……、という言い訳ですが、ようやく安定してきてまたきちんと更新できそうです。本当に申し訳ありません……!
もぞもぞとベッドで動いたハロルドが羽衣子の服にしがみついた。
うとうとしていた目元をこすってくっついてくるハロルドを確認すると、泣きそうな顔でこちらを見つめていた。
「どうしたんですか?」
「ジルが、起きた」
そう言われてみると、確かに後ろでごそごそ動いている音がする。首だけ回してみると、ジルが荷物をまとめていた。
かれこれ一週間、彼らがここに滞在して経っているが、ジルがまだ薄暗い早朝に起きたのは初めてだ。
彼が起きるのはよほど遅い時間か、あるいは、何か問題が生じた時。危険が迫っているというのか、心配になってジルを呼ぶと彼は頷いた。
「アーロン様が我々を見つけてくださったようです」
ドアの外に気配を感じる、と。
「殿下、支度を」
「わかってるよ……」
ハロルドがのそりと起き上がって間もなく、扉がノックされた。
ごめんください、という声は、まるでジョシュアだ。
出てみれば、息子と似た目鼻立ちの、けれど息子にある邪気を感じない男が立っていた。微笑む顔は子持ちには見えないほど若々しい。
「あの」
「ええ、わかっていますよ」
説明しようとした羽衣子を遮って笑ったアーロンと思しき男は更に、「おおよそ全部。貴方のことも」お付け加えた。
私のことも? 全部、というのはどこからどこまでを?
羽衣子が首を傾げると、アーロンは申し訳なさそうに頭を下げた。
「ハロルド殿下だけでなく愚息やカーティス殿下の世話までさせてしまったようで」
「え……っと……」
「こういった職業ですので。実験や研究でうっかり予期せぬ時間や場所に行ってしまったり見てしまうことが多々ありましてね」
じゃあ自分の子育てが大分失敗してしまう未来も知っているんですねというのはあまりにも失礼か。人間性以外ならまあまあ優秀な息子だし失敗のうちに入らないのかもしれないし。根は悪い人ではない……ない……、うーん、……ない、人、だし。
「殿下、どうされました」
中で、ジルの慌てた声がする。アーロンと一緒に入ってい行くと、腹をおさえてうずくまるハロルドと背中をさするジル。
羽衣子も急いで横に座って様子を見ようとすると、険しい表情をしたハロルドは膝に乗って来て、ひしりとしがみついてきた。羽衣子の胸と腹の間くらいに顔を押し付けて小さく唸っている。
「お腹が痛い……」
「え、だ、大丈夫ですか!?」
今まで平気だったのに! お城暮らしの王子様には劣悪な環境で生活して溜まったストレスのせい? 病は気からと言うし、重病化したらいけない。
頭から背中をさすって、小さく揺らしてやるとかすれた声で返答がきた。
「二、三日もここで休めば、大丈夫、だと思う」
「それは大変だ。一刻も早く城へ戻って、治療をしなければなりませんね」
アーロンは特に遠慮した様子もなくのんびりと言った。
すると顔をあげたハロルドは無表情で首を横にふって気のせいだったと前言を撤回する。
「こんなに早朝に出るのは危ないよ。もう少し明るくなってから帰る」
無表情のまま主張するハロルドにジルは首を傾げている。
「危ないも何も、魔法で飛べば一瞬なのですから心配なことなどありません」
「……」
口を結んだハロルドは、しばらく黙っていた。数分してようやく、羽衣子に声をかけた。必死な目から、背けられる気はしなかった。
「聞き分けのいい方が、良い子だって、ウイコに思ってもらえるのはわかってるんだ。でも、良い子だって思わないでいいから、やっぱり嫌だ。ウイコも一緒に帰りたい」
しゃくりあげながら涙を流すハロルドに、きっぱり、それはできないと言おうとしてもそれを察する彼に遮られてしまう。
「僕はウイコを待たせないよ。こんなとこに、一人にしないよ。ウイコのことを大事にするし、優しくするし、今は、未熟かもしれないけどウイコを守れるようになるよ。帰るまでだけじゃ、足りないよ」
『まで』という期限は無理やりに納得した期間だったようだ。未来に彼にとっても、そうならいいのに。
「早く戻らなければ、カーティス殿下も心配しておいでですし、彼女にも事情があるのですよ、ハロルド殿下」
「わかってる、けど!」
涙目でアーロンを睨んで、すぐに羽衣子を見つめなおしたハロルドはひどく怯えている。
「貴方と一緒に行くのはきっと、私にも貴方にもよくありません」
もし、ここで彼についていったら今から、未来に起きることを回避できるかもしれない。でもそれでは羽衣子の知っている未来について胸にひっかかったままになるし、何よりそもそも、羽衣子はこの世界に絶対に残らない。
「……じゃあ、また会いに来てもいい?」
「いいえ。会いに来ても私はここにいません」
貴方とは違う時間に生きているから。どころか、違う世界に生きているから。
「どうして? どうすれば会えるの? どうしたら、会ってくれるの?」
「私が貴方に会いに行きます」
君は、僕に会うために――。
どういう意味かわからなかった。でも今、わかった。私はここで、貴方に会いに行くことを決めて、貴方に誓ったんですね。
華奢な子供の小指に自分の小指をからめて、約束の証を作って見せる。
鼻をスンスンさせて、ハロルドは涙をぬぐった。
「絶対に? 約束を守る?」
「はい。絶対。だから、よければ、私のお願いもきいてもらえますか?」
貴方のこと、私は愛しているって言えない。今の貴方にも、未来の貴方にも。だけど貴方のこと、嫌いじゃない。素直で、がんばり屋な子。優しくて、いじっぱりな人。愛してないけど、好きだとははっきり言える。
いなくならないでほしい。助けられなかったら後悔する。
自己犠牲を考えているなら、止めたい。
ハロルドがスンスンして頷くのを確認したから、ほっとした。
「私と約束をしてください。また、必ず貴方に会いに来るから。貴方は自分を大切にしてください。自分のことをお兄さんと同じくらいに。貴方のお兄さんも、私も、ジルさんも、色んな人が貴方を大事に思っています。そんな私たちから、どうか貴方を、奪わないで」
とん、と彼の胸に人差し指をあてる。
「貴方の命を大事にして。同時に、貴方の心を大事にして。惑わされないで。気持ちを見失わないで」
意志の強さをそのままに。宰相は、お父さんは、周囲は、耳ざわりの良い囁きをいくつも彼に投げかける。だけどそんなものに屈しないで。
「いいよ……。それで会いに来てくれるなら」
すっごくすっごく、とーっても不満だけどね。頬を膨らませて羽衣子にキスをしたハロルドは、ジルの服を引っ張って差し出されているアーロンの手をとった。
「お嬢さんをお戻しするのは後ほど。まずは殿下とブラウンを城へ戻し、また参ります」
「はい」
ジルは丁寧にあいさつをして、いつかお礼を、と言ってくれた。次会う時は大出世している彼に話しかける勇気があるだろうかとひっそり思った。
仏頂面だったハロルドは、最後の最後で満面の笑みで手をふった。
「またね、ウイコ」
「はい。またね、王子様」
もう、『また』はないと言った未来の貴方。いいえ、また会わないと。たった今、約束してしまったのだから。
強い光と共に姿を消す王子様との約束を、違える気なんて羽衣子にはこれっぽっちもない。




