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 自分が脱いだ服くらい自分でかけるかたたむかなさい! と叱ると、やり方がわからないときた。そもそも着替えさえ手伝ってもらっているらしい八歳のハロルド少年はそれが当然だろうという顔をしている。

 羽衣子がたたみなさい、と服を渡しても、ぱっ、と手で払って暇つぶしに本棚から取ったカーティスの本にかじりついている。


「そんな環境にいるのは貴方が望んでいるわけじゃないから仕方ないですけど、これを機に多少自分の世話をしてみようという向上心的なものはないんですか?」

「どうして? やってくれる人間がいるんだからできるようになる必要なんてないよ。僕は僕にしかできないようなことだけ極めればいいんだ」


 頭痛がしてこめかみを押す。

 そのセリフは現代日本で言うと、まったく今時の若者は……、と呆れられてしまう定番のものだ。異世界でも使う人がいるとは。


「ここにはやってくれる人間はいませんよ」

「君もジルもいる」

「私は貴方のお世話係ではありません。ジルさんは眠っています」


 ハロルドの二度寝に付き合って、文句を言われながら朝食を作り食べさせて、時刻は既に九時になろうというのにジルは起きない。三十分ほど前、騎士や兵士の朝は早いのでは? と尋ねるとハロルドは肯定したが起こさない方がいいと助言された。

 なんでもジルの寝起きの悪さはハロルドの耳にも届くほど悪いらしい。同僚五人がかりで起こしているのだとか。それ以外が右に出る物がいないほど優れていて寝起きの悪さだけを理由にクビにはできないのだと彼の上官は言うらしい。無理に起こすとこの小屋を半壊させる勢いで暴れかねないので、絶対に起こさない方がいい。さすがに十時までには起きるし緊急事態にも起きるはずだから、とハロルドの必死な様子から嘘でないことは察した。

 もっとも、ジルが重宝されている理由は他に、小生意気な王子様のお世話役を押し付けられてもそつなくやってくれているから、というのもあると思うがそんなこと本人の前では口が裂けても言えない。


「世話係じゃなくてもこの場においての上下関係はウイコより僕の方が上だよ」


 今朝教えたばかりの名前をさっそく呼び捨ててふんぞり返る王子様は実の兄や未来の本人と同じくらい図々しい。


「いいえ。先にこのお家の留守を家主から預かっているのは私です。この家を城とするならば私は言わばここの城主代理です。私のルールには従っていただきます」


 両手広げて、苦笑しながらやれやれ、と首を横にふるハロルドに胸が痛くなった。あれ……子供って、こんなに可愛くないことがあるの?

 外見の無駄遣いが限界を突破している。


「可哀想な頭だね。城って、何言ってるの? ぶた小屋つかまえて」

「ぶ……っ! ぶたじゃなくて人間用の小屋です!」

「ぶた」


 ぴっと、細い指で羽衣子を指して来る。


「うっ、うぁああああっ! 逃げて! 逃げなさい! 私の右手は私の意思ではどうにもできない暴走をしてハロルド王子を打とうとしています」


 そうこれは右手が暴走するだけで私の意思ではありませんからね! と主張していると、馬鹿みたいだ、と呟いてそっぽをむかれた。ちょっと恥ずかしくなって怒りはゆっくりおさまっていく。

 ため息をついて、ハロルドの頭に洋服をぱさっとかける。


「よく考えてください。誰にでもできることができない人に、他の誰もできないようなことができると思いますか? 服を自分でたためないまま、カーティスさ……王子の隣にいるのを、我慢できるんですか?」

「カーティスサって何……。兄上の名前を間違えないでくれる」


 本を抱えて頬を膨らましたハロルドはしばらくして、本を置き、頬をすぼませて羽衣子の方へよってきた。

 それから怒ったようにひっつかんでいる服を振り回す。


「早く教えてよ」

「人に物を頼む時の態度も後で教えてあげますね」


 自分のたたんであった服を広げて、一つ一つ教えていくとまあまあうまく真似をしていく。


「い……がいと、器用なんですね」


 あらお兄さんと違うんですね。

 たたんだ服をぽんぽん叩きながら、ハロルドは首を傾げる。普通だろうというように。いいえ多分、貴方のお兄さんはゆっくり教えてもここまで綺麗にはたためなかったと思う。


「兄上よりは、手先は器用だと思うけど」

「結構探すとありますよね、お兄さんの欠点」

「欠点に数えるほどのものじゃないからいいんだよ。兄上は優秀なんだ」


 あまり兄上の話をするとまた世界に浸かってしまいそうなので話を逸らすことを試みる。


「ハロルド王子は剣のお稽古もするんですか?」

「するよ。でも、兄上は体をいじめ……鍛えるのが好きみたいだけど、僕は室内でのんびりしている方が好きかな」


 十八歳のハロルドを思い出してみる。確かに雰囲気は、活発そうに見えなかった。ゆったり部屋で紅茶を飲んで読書をしている方が、彼には似合っている気がする。


「絵を描いたり、本を読んだり、物を作るほうがずっと楽しいよ。疲れないし」


 でもいざとなったときに兄上を守れないといけないから。

 仏頂面で呟くハロルドに頬が緩んだ。


「意外と良い子なんですね」

「……意外とって、余計。別に良い子にしてもいないし。仕方ないからやらされてるだけだよ、全部」

「全部やらされているわけじゃないでしょう?」


 頭を撫でてやると、ハロルドの体が硬直したように見えた。


「きちんと自分で理由や意味を見つけて頑張れるんだから、良い子ですよ」


 まだ八歳の子供がそこまでできてしまうのは成長しすぎの気もするが。好きなことだから頑張る、というのは立派な理由で、羽衣子のような一般家庭に生まれた子供はほとんどがそうして自分の道を決めていく。それだって大したことだ。

 けれどハロルドは、決められたことを決められたことだからとやっているわけではない。


「お兄さんを守りたいっていう目的のために、自分で頑張る理由と意味をきちんと定めたんなら、貴方はきちんと自分の意志も持っているんですね」

「……どうだろ」


 撫でられた頭を自分で少しだけ触って、難しい顔で俯いたハロルドは弱弱しい声を出す。


「僕は王族に向いてないんだよ。意志なんてすごいものはないよ。国民も国もどうでもいいって、本当は思ってる。兄上は、王族の体は国民に作られて守られているから、命をかけて恩返ししないといけないって教えてくれたよ。理解はできたけど、感情を入れることはできなかった」


 何を思ったのか。羽衣子の手を引っ張って自分の頭に乗せたハロルドは、落ち着くから続けろと可愛くな命令形のおねだりをしてきた。

 はいはい、と撫でると、また話し出す。


「だって顔も知らない人のために命をかけるなんて、想像できないよ。どこかの誰かのために、兄上がいつか死んでしまうかもしれないのも、おかしいよ。国のために死ねるなら本望って、兄上は言うけど、兄上は、兄上が死んでしまって悲しむ人がいるのをわかっていないのかな?」


 きっとそういうことではなくて、必要になったら戦争をしなくてはならないかもしれないし、仕事に追われ忙殺されても栄誉なこと、とスケールの大きな話をしただろうカーティスだが。しかし受け取り方のニュアンスが変わってもハロルドにとって大切なことは変わっていない。ハロルドが最も重く見ているのはカーティスが生きることに執着しているか否かだけだろう。

 昔から突っ走って周りが見えなかったんですね、とカーティスの顔を思い浮かべて苦笑する。今はどの辺りについただろうか。ああけれど、アーロンにもとの時間に戻してもらうとすれば最終的にどの時間に戻ることになるのだろう。いつから遡っていたのかわからないからそんなことを考えても無駄だった。


「それじゃあ尚更、ハロルド王子がお兄さんを助けてあげないといけませんね」


 ぽろぽろと涙の粒を落とすハロルドを恐る恐る抱きしめても、嫌がられなかった。


「大丈夫です。ハロルド王子が自分の気持ちを大切にして、自分を信じて、好きって気持ちを忘れなければ、お兄さんだってハロルド王子や色んな人に大切にされていることに気づきますよ」

「……うん」


 ゆっくりためらいながら、ハロルドも羽衣子を抱きしめて、何度かひゃっくりをした。


「ねえウイコ。ウイコはどうしてこんなところに住んでるの?」


 住んでいるのはこの小屋ではなくこの世界ですらないんですけどね。居候しているだけで。


「他に行くところがなかったから……ですかね」


 始めはたったそれだけの理由だった。あと一応、ゆるっゆるの軟禁状態だった。でも今は違う。

 がばりと、涙に濡れた顔をあげたハロルドは、大きな声を出した。


「じゃあ一緒に帰ろうよ! 僕が雇ってあげるよ。ここよりずっと便利な生活ができるよ」

「……ぶたの分際でいいんですか」

「見慣れるとまあまあ見れたもんだよ」

「嬉しくないなぁ……」


 もうちょっと上手にフォローできないものか。


「ウイコは僕の話をきちんと聞いてくれるからお喋りしてるとちょっと楽しい」

「それは……、嬉しいですね。ありがとうございます」


 にっこり笑って、一緒に行こうと言うハロルドに、でも、ごめんなさいと首を横にふる。


「ここで待ってるって、約束したんです」

「誰かを待ってるの?」

「はい」

「どうしても待っていないといけないの?」

「はい」


 顔を俯かせてまたぎゅっと抱きしめてきたハロルドは、そっかぁ、と呟く。


「じゃあ、帰るまででいいや」


 残念だけど、約束は守らないといけないって兄上に言われたから、ウイコも仕方ないね、とハロルドは素直に引き下がってくれた。


「帰るまで、一緒にいよう」


 涙声を呟いたハロルドの言葉が羽衣子の胸にひっかかる。前にも誰かに、似たようなことを言われた気がしたから。


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