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「あの私、床でも眠れるので……」
今日一日歩き回っていた人を外に追い出して平気で眠るほど無慈悲ではない。それに羽衣子は今日一日ほんの少ししか動いていない。
お疲れでしょう? と外に出て行こうとするジルを引き止めると、首を横にふられた。
「お疲れなのは貴女も同じかと思います。精神的な疲労は体にも影響し、身体的疲労は心にも影響します。どうかお気遣いなく。何より貴女は女性です。体を冷やされてはいけない」
これぞ紳士。強面も逞しいと言い換えればいいだけの話。そして将来的には大出世。なんという優良物件。
少年ハロルドはといえば、早々にベッドに潜り込んだ。硬い、痛いと我儘を言いながら。しかし偶然か本能で選んだのか、迷うことなくカーティスの使っている方に向かった。
「一緒に眠ればいいよ」
ベッドの中でふんぞり返った少年が言う。
「わあ、意外と寛大なんですね、ハロルド王子」
それとも寂しがり屋で一人で眠れないだけだろうか。
私と一緒? ジルさんと一緒?
とりあえずどちらだとしても掛布団をひっぺがすと、少年ハロルドは不機嫌そうに布団を奪い返した。
「君たちでそっちのベッドを使えばいいだろって話。まさか僕のベッドに入れろって言うの? こんなに小さいベッドに? そんなわけないだろ」
寛大じゃなかった。このベッドだって羽衣子には十分大きいのに。羽衣子の家の布団より全然大きいのに。
お城のキングサイズのベッドに慣れた王子様の感覚はおそらく一生理解できない。
そして結婚できる年齢の男女が同じベッドで眠ることがさらっと受け入れられぬことだと理解しているのだろうか。いや、十八歳の貴方や二十歳の貴方のお兄さんと一緒に眠ったが前者は不可抗力で後者は流れができていたし合意だったし。
真顔のジルは羽衣子に空いているベッドを勧め、無言でハロルドのベッドに入り込む。口に出しこそしないが、うるせえクソガキ我儘言うんじゃねえ、と行動で示している。
「ジル! 何してるんだよ! 出ろよ!」
「私が出れば家主のお嬢さんに罪悪感を抱かせてしまいます」
「硬い! でかい! 男臭い!」
「カーティス殿下ならば世話になっている、それも女性に、そんな失礼なことはしないでしょう」
んぐっ、と、ハロルドは口をへの字にしてジルを睨む。
「まさかハロルド殿下が、命の恩人の、それも女性に失礼な振る舞いをしたなどと知ればカーティス殿下はお嘆きになるでしょう」
「つ、告げ口したら許さないよ」
ジルは返事をしない。
仲良しねえ、と見守っていた羽衣子をちらりと見たハロルドは、ベッドの中でじたばたするのをやめて大きなため息をついた。
「ジルよりはあっちの方がまだいい。代わってよ」
「うぇぇ……?」
嫌です。嫌、嫌。首をゆっくり大きく横にふるも、我儘言うなと叱られる。正確に我儘なのは貴方ですが。
十八歳の彼を知っているせいで気がひける。いやだから、十八歳の彼と一緒に眠ったりもしたがあれは不可抗力だし。
「よかったね。君みたいな末端の人間が僕と一緒に眠れるんだよ? 光栄だよね」
「図々しいってよく言われるでしょう……」
偉そうな態度や豊かな表情は十八歳の彼と違っているが、この図々しさは変わっていない。強かなのだと言えば聞こえはいいが。
仕方ない。
ジルもジルで、お願いしますとハロルドの、正しくはカーティスのベッドから出た。
ベッドに入ってすぐ、ハロルドが近づいて来て、なんだなんだ甘えるのか。やっぱり子供ねと微笑んで失敗した。
「思った通りぶよぶよで柔らかいね。ガッチガチのジルよりいいよ」
「ぶよぶよって言い方やめません?」
女の子を表現するならふわふわとか。せめてぷにぷにでもいいから。ぶよぶよは嫌だ。
「ぶよぶよ」
「ふわふわって言ってください」
「可哀想だね。お腹だけぶよぶよなんだね」
「子供なら何でも言っていいと思ってるでしょ」
そんなにぶよぶよじゃない。ちょこっとだけ下腹が出てきた気がしなくもなくもなくもないけど、ズボンに乗るほどではないのでセーフだ。
「ろうそく消しますよ。暗いよー、怖いよーって、言わないでくださいね、王子様」
鼻で笑われた。
***
眠ってからしばらくして目が覚めた。
時間を遡ったりして、熟睡もできず眠りが浅かったせいもある。けれど一番は、こちらに背中を向ける王子様のすすり泣く音が理由だった。
「……うぅ……っ」
そうやって時々、嗚咽も漏らして。
暗くしたときは鼻で笑っていたくせに、消えそうな、小さな声を嗚咽の中に混じらせている。怖い。誰か。助けて。兄上。その四つの単語を繰り返している。
どうしたものか。泣きつかれたら眠るだろうか。でもこんすすり泣きじゃ、大声で泣きじゃくったときほどすぐに眠れない。
かといって、無理に涙を止めればストレスになるだろう。今羽衣子が声をかければ彼は一生懸命涙を引っ込めようとする。
下手なことはすべきでないが、このまま放置するのも心配。
寝ぼけたふりをして抱きしめたら、小さく悲鳴を上げられた。ちょっとだけ傷つく。
「……起きてるの?」
起きてません。だって起きているのにこんなことをしたと知ったら怒るでしょう。
しばらく羽衣子を伺っていたハロルドは、羽衣子の腕をどける。嫌でしたか。すみませんでした。
「うぅ……っ」
と思ったら、寝返りをうったハロルドは羽衣子に体を向け、羽衣子の腕を自分で動かしもとの抱きしめている形に戻した。
しばらく、ひっく、ひっくとしゃくりあげていたハロルドはゆっくりと呼吸を整えていって、短い時間で眠りに入っていった。
翌朝、寝ぼけて僕を抱きしめるなんてありえない、不細工のくせに、と言ってきた彼に、まさか起きていましたなんて言えなかった。
朝は弱いらしいハロルドは羽衣子が起きたことで目を覚ましてしまい不機嫌だが、二度寝を始める。なんてこと。寝顔だけなら可愛くて破壊力はマックス。
寝顔を見れば、やはり子供なのだと改めて思う。助けが来ることが確定しているとはいえ、こんな森の中に放り出されてさぞ不安だっただろう。可哀想に。……でももっと子供らしく素直に不安がってくれたら愛嬌があったのに。
さあ朝食を作ってしまおうと手を洗っていると、服の裾をつんと引っ張られた。
不服そうにしたハロルドがベッドを指さす。
「快適な肉布団がないと眠れない」
「誰が肉布団か」
今朝食を作らないと、ハロルド王子が起きてお腹が空いていても何もあげられませんよ、と説明しても譲らないので仕方なく二度寝に付き合ったら、案の定起きて空腹のハロルドは文句を言ったのだった。




