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 ありえません。

 冷静な面持ちのジルはきっぱりと言った。


「若返りの魔術は発見されていません。そもそも魔術は時間と空間を移動するだけの物を、宮廷魔術師を初めとする優秀な者が応用させているのです。万能の物ではありません」


 異世界人ですとまでは言わず、ひとまずはこの時間の人間ではないんです、と、十年後の貴方に会ったことがあります、ということだけ伝えた。羽衣子が知っている時代では王子はそれぞれ二十歳と十八歳だと。兄王子が処刑されただとか、弟王子が毒をもられたとか、今はその辺りを言うとややこしいのであえては言わなかった。

 故に、魔術のそんな常識もわからないのか、というジルの目は冷たい。

 わかりませんよ! 魔術の基本なんて。魔術のない世界で生まれ育ったんですから。


「おそらくですが、この近辺に時空の歪みが生じているのでしょうね」


 時々あることだそうだ。極めて珍しいし魔術師が定期的に各地にその歪みがないか確認するが、人気のないこの辺りは怠っていたのだろうと。

 気が付かずにその歪みに巻き込まれてしまったのだろうとジルは言う。


「じゃあ、ジルさんとハロルド王子が時間を飛び越えてきたんですか?」

「そうとも言い切れません。この周辺の土地がまるまる時間を越えてしまったという可能性もあります」

「……大丈夫なんでしょうか」


 もし羽衣子が遡ってしまったなら、ここには羽衣子の知っているカーティスはいない。羽衣子が待っているカーティスはいなくて、待っていろという彼の言いつけも破るし、まだもう少し一緒にいられるはずだった時間も消えてなくなる。

 それにもとの世界に戻る手立てだって、ジョシュアの父へつながるつてはなくなったことになる。この時間のジョシュアは羽衣子の知り合いではないから。

 兄弟もどこにもいない。一緒に帰るという約束も果たせそうにない。

 そうでなかったとする。本来あるべきでない時間にいるのはハロルドとジルであると。

 それはそれで問題だ。一国の王子が時間の中で迷子なんてシャレにならない。

 しかしジルはしれっとして頷く。


「問題ありません。どちらだったとしても」

「もとの時間に戻れるんですか?」

「ええ。おそらくはアーロン様が殿下を探しに来てくださいます。そこで時間の歪みに気づき、どうにでもしてくださいます」


 アーロン様といえば、ジョシュアの父の名前だ。

 ジル曰く、アーロン・ネルソンという宮廷魔術師は数少ない常識と良識のある権力者だそうだ。ハロルド王子捜索を宰相の口車に乗せられ、王が怠ったとしても、彼は個人的に幼く罪なき王子を捜すし、捜しだせる。加えて、おそらく彼はこの世でも五本の指に入るであろう程に優秀な魔術師であるので時間を遡ったり、飛び越えることは容易であると考えられるため何も問題はない。

 しかし……、とそこでジルは申し訳なさそうにする。


「アーロン様はご多忙故……。また宰相閣下の妨害にも合われるやもしれません。明日、明後日のうちに、とはいかないでしょう。お恥ずかしい話、私も殿下も何も持っておりません。身一つです。ご迷惑でありませんでしたら、しばらくの間お嬢さんのお宅に置かせていただけませんでしょうか」


 道を覚えていればカーティスたちのように数時間歩いて町へ降りることは可能だが、また遭難されては困る。王子を連れてそんなリスクは、彼も背負えないだろう。


「それは、はい、私も家を借りている状態なのでいっこうに構いませんが……」


 いや、待てよ。今は所謂女の一人暮らし状態。男の人を不用意に泊めたりしていいものか……。でもあそこはもともとカーティスとジョシュアが使っていて、いやもっと前にちゃんとした持ち主もいるだろうが優先権は羽衣子よりカーティスたちにある。そのカーティスの弟を追い出して自分だけあの家を使うなんてそんなわけにもいくまい。


「えーと、でも、ベッドは二つしかなくてですね……」

「勿論自分は外で眠るのでもまったく問題ありません。殿下の寝床さえいただければ」

「あ、いえ、それは全然……」


 でも外に出すのはしのびないので羽衣子が以前使っていた疑似ベッドをこしらえよう。


「それとできれば、殿下にはどうか、時間のズレが生じたことはご内密にいただけませんでしょうか」


 あんなクソガ……いえ大人びた子供でもまだ八つ。不安な気持ちになられるでしょう。ただでさえ生まれて初めて、こんな森の中で過ごすことで不安定になるだろうにそれを増長させたくはないのです、と騎士がもっともなことを言う。

 了解して、いよいよ家につき、ドアを開けると、退屈そうにベッドをゴロゴロしていたハロルドが駆け寄って来た。


「おかえり」

「あ、可愛いー」


 あんなに可愛げのない子供だったのに、わざわざ迎えに来ておかえり、の一言。頭を撫でようとしてかがむも林檎に手がふさがっている。

 すると林檎を一つひったくったハロルドはさーっと離れていく。

 そうですか。おかえりってのは私じゃなくて林檎に言ったんですか。


「殿下。私は殿下にあの場所を動くなと……」

「あーあー。うるさいうるさい。僕を見失った君が悪いんだよ」


 困り顔だったジルは、すっと冷たい無表情になってハロルドをまっすぐ見つめている。その頬には青筋が浮かんでいる。


「林檎、むきますね」


 苦笑して声をかけると、はっとしたジルは、申し訳ありません。ありがとうございます。と羽衣子が勧めた椅子に座る。


「駄目ですよ、ハロルド王子。ジルさんはハロルド王子を一生懸命探したんですよ?」

「だから何?」

「可愛くないクソガキですね」


 林檎の種を取りながら、ついうっかり、本音がぽろっと出てしまった。

 あ、やば。思って椅子に座っている小さいハロルドを見ると、顔を真っ赤にして頬を膨らませ、こちらを睨んでいる。


「あらぁ、可愛い顔して」

「不細工のくせに!」


 不細工って言うな。貴方のお兄さんの嫌な奴の部分を思い出してしまうから。


「生意気だ! ドン愚図女!」

「新しい言葉ですか、ドン愚図って……」


 鈍くさいと愚図を合わせたんですか。皆随分言ってくれるけれど、羽衣子は自分を愚図とは思っていないので心外だ。


「僕は可愛いし、クソガキじゃない!」

「可愛い子供は可愛いって自称しないんですよ」


 十八歳の彼なら決してしないだろう歯ぎしりをするハロルドは、羽衣子が何も言っていないのにさっさと林檎の入ったボウルをさらっていく。


「殿下、お礼はきちんと言わなくてはいけません」


 ジルの注意にも知らん顔のハロルドは、一人でボウルを抱えてジルに林檎を渡そうとしない。

 溜息をついたジルは、ふっと壁に目を向ける。正確には、壁に立てかけてある丸めた紙に。この世界の毎日更新される新聞だ。


「今朝の新聞は確認されましたか?」

「え? いいえ」

「見てもよろしいでしょうか?」


 今朝は忙しくて誰も新聞を開かなかった。巻いてあるものを持ち主として認識する新聞はその人物が読み終えれば文字が消える。つまり今ジルが新聞をひらけば新聞はジルの読むペースを優先して消えていく。


「ええ。今日は読む人が出かけてるので」


 今日のうちにジョシュアが帰ってくることはない。カーティスは情報管理をジョシュアに任せきりであまり新聞を読まない。

 ジルが読むのを横から覗いてみる。ハロルドは林檎に夢中で興味がない様だ。兄弟そろって新聞を読まないなんてあんまり利口そうじゃない王子様がただ。うちの弟もあんまり読もうとしないけど。


「新聞記事には時間を移動する魔術をかけられていません」


 新聞を発行している会社は時間を越えていない。つまりはここに出て来る記事がいつのものかで、今、ここはどの時間軸に存在しているかがわかる。

 しかしジルはわかっていない。羽衣子が見ればそれが過去見たことのある記事か確認できると思っているのかもしれないが、羽衣子は過去のこの世界の事件なんて知らないのだ。判断のしようがない。

 浮かび上がって来た記事は、『カーティス王太子殿下十歳誕生日』と初めにでかでか出ている。ああ、うん。これは判断も簡単だ。

 これではっきりした。時間を移動したのは彼らではなく、この家の周辺一帯。ここにいるべきでないのは羽衣子。どこかしらを境目に時間がずれていて、ずれた場所にハロルドとジルは迷い込んでしまった。


「てことは、お二人は来た道をまっすぐ戻れば元の時間に戻れるんですね」

「しかしどこから狂ったのかもわかりませんし、どの道を通って来たのかもお恥ずかしい話定かではありません。やはりここでアーロン様を待たせていただくのが最善策かと」


 二人でひそひそと話して除け者にされたのが気に喰わないのか、ハロルドは頬に林檎を溜めたままボウルをテーブルに叩きつける。


「お行儀悪いですよ、王子様なのに」

「王子はイライラしたらいけないなんて法律ないよ」

「立派な王様になれませんよ」

「王様になるのは兄上で僕じゃない」

「あ、すみません。デリケートな問題でしたか?」

「別に。僕は兄上にこそ王にふさわしいことを知ってるし、王になんてなりたくもないよ。僕は死ぬまで兄上のために力を尽くすんだ。世界は美しくて才能あふれる兄上を中心に回っているんだ。兄上の口から発せられることは全て絶対なんだよ。僕如きが兄上を押しのけて王座につくなんてあってはいけないんだ」


 ちらっとジルを見ると、渋い顔で頷かれた。やっぱりそうですよね。彼は相当患っていますよね。重度のブラコンを。

 なんとなくカーティス信者のアラサー男性が頭に浮かんだ。彼らには通ずるところがある。


「けど僕が思うに、兄上にはもっと選択の自由があってしかるべきだ。国のために兄上の果てしない可能性を無駄にするなんて馬鹿げているよね? 王なんてつまらない役職なんかよりも、兄上はやりたいことをやるべきだよ。兄上が王になりたいって言うなら別だけど」

「王様ってつまらないんですか? 大変だけどやりがいがあるとかじゃないんですか」


 とても夢がつまっている職業だと思うのだが。


「普通はそうなんじゃないの。知らないよ。それぞれでしょ。でもこの国は駄目。権力者の過半数がゴミ以下。兄上の素晴らしい才能を潰す人間ばかり傍にいるから、兄上はなんて不憫なんだろう!」

「んん……」


 患ってるなあ……。

 こっちは兄を崇めて、向こうは弟に劣等感を抱いている。二人のテンションが噛み合っていないようすが目に浮かぶ。


「お兄さんのこと好きなんですね」

「逆に聞くけど、この世に兄上を好きじゃない人間なんているの? あ、イカレてる奴以外で。いるわけないよ。兄上は世界中から、神にも愛されてるんだ」


 ごめんなさい。出会ってからしばらくは私、貴方のお兄さんのことかなり苦手でした。愛してるなんて言える気持ちにはなれませんでした、とは言えない。

 一人で素晴らしい兄上について熱弁するハロルドは徐々に周りが目に入らなくなっている。無視してももう気づかない。もしかするとアリステアの上を行くかもしれない。

 ブラコン美少年を眺めながらジルと淡々と会話をする。彼の方が話が通じる。それどころか礼儀正しいし、下手をすればこの世界に来てから出会った人の中で一番常識がある。


「仲がいいんですね」

「ええ。二人きりの兄弟で、カーティス殿下はハロルド殿下を溺愛なさっていますからね。ハロルド殿下はご両親に放置されすぎた、というのも影響しているようです。カーティス殿下は優秀でいらっしゃるので、憧れの念もあるようでして」


 素晴らしい兄上の話は尽きないようで、うっとりした顔で天井を見上げながらハロルドの話は止まらない。


「しかしカーティス殿下に追いつこうと真似をしているうちに器用貧乏なハロルド殿下はどれも驚異的な上達ぶりを見せ、カーティス殿下は劣等感に襲われています」


 それは知ってた。


「もっとも、カーティス殿下もなかなか重傷で、似たようなものなので」


 あれと、と言いたげに、ジルはハロルドを見る。あの人もこんなに重度のブラコンなのか。そりゃそうか。自分を追放した弟を王様にしたいと言うくらいなのだから。


「兄弟でいがみ合わず仲が良いのは、微笑ましいのですが……。互いが互いに、自分ではなく兄弟が王位を継ぐべきだという結論に至ったようでなかなかうまくいきません」


 二人とも消極的……と言うのはしっくりこない。二人とも積極的に兄弟を王にしたがっている。


「ねえ! 聞いてるのっ?」


 椅子でジタバタしたハロルドに聞いてますよー、と適当に笑って答えて、そうだ、と提案する。


「近くに川があるんです。汚れたままじゃ気持ち悪いでしょう?」

「かわぁ?」


 手しか洗ってあげなかったので気を遣ったつもりだが、ハロルドは冗談だろうと馬鹿にした顔で復唱した。


「僕に川で体を洗えって言ってるの?」

「でも、汗だってかいたでしょう?」


 それに汚れた体のままでベッドに入るわけにはいかないでしょう。ここのベッドは貴方の敬愛する兄上の物ですよ。言うとややこしくなるけど。


「場所を教えていただければ私が殿下を洗いますので」

「そうですね。じゃあ私は着替えと毛布を用意しておきますから」


 カーティスとジョシュアの物だが、カーティスの弟になら貸しても大丈夫だろうと勝手に判断する。その護衛の方を素っ裸にしておくことも忍びないので、そこも勝手に自己判断。

 ハロルドにはどれも大きいだろうが、小さくて着れないよりはマシだろう。

 小さな歩幅で、ひょこひょこ後退するハロルドは顔をしかめている。


「行かないよ」

「どうしてですか?」


 ハロルド捕獲に向けて体勢を整えたジルはやれやれと首をすくめる。


「風呂嫌いの子供は珍しくないのです」

「ああ。特に男の子は多いですよね」


 川が冷たいから嫌だとかではなく、単に綺麗になるのが嫌だと。


「け、怪我をしたから入れないんだよ」


 どこですか? と尋ねれば手首を指さすハロルド。見ると、少しだけすりむけている。血が出ないくらいの、ほんのかすり傷。

 これがしみるって? さっき手を洗った時だって水に触れただろうに。

 それでもハロルドは譲らない。


「布をあてて入ればいいでしょう。それに、カーティス殿下であればそのような我儘はおっしゃいません」

「子供を比べる大人なんて最低だよジル。成長を妨げるよ」


 揚げ足をとってくる少年王子に未来の騎士団長はぐっと黙ってしまう。


「だいたい布って何? 君は清潔なそれを持ってるわけ。自分も汚れてるくせに」

「うちにも包帯なんかはありませんね……」


 傷にあてられる布なんて……。

 やめてよ。気づかないで私。制服の存在に。学校で特に指定のない洋服屋さんで買った安かったワイシャツ。安かったけどおろしたてのワイシャツ。あれだったら白くて清潔感もあるし、ここに来てからも時々洗濯して綺麗だからって。嫌だ、嫌だ。まだ三回しか学校に着て行っていない。

 でもここにあるのは制服以外ほとんどカーティスとジョシュアの物だ。勝手に改造までしたら弁償しなくてはいけない。


「……もぉおおっ!」


 カーティスにずっと借りていた護身用の短剣がこんなところで初めて役に立つとは思わなかった。

 ワイシャツにナイフを入れて丁度いいサイズにし、ハロルドの手首にグルグル巻きにする。


「はいこれで大丈夫! 行きますよ!」


 私のワイシャツまで犠牲にしたんだからもう我儘言わないの! とハロルドを抱えて、ジルに渡し、タオル、着替え等々持って二人を強引に連れ出した。


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