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ぐるぐる、ぐるぐる。視界も、頭の中も、心も。
ついでに、お腹も。
うろ覚えの地図を思い出して、今はあの辺を通過したくらいかな、と考える。間もなく十二時。だけど自分一人だと食事を作る気にもなれない。
それにこんな気持ちで包丁を持ったら怪我をする。食べ物が喉を通る気がしない。
朝送り出したとき、何か言いたそうに、けれど口をもごもごさせるだけで黙っていたカーティスと握手した。色気がないなあと苦笑して、待っていますと言えば満足そうに笑って出発していった。
ぐるぐる、ぐるぐる。ぐるぐるしている間に時間が経って、もう十二時。送り出したのは朝の三時。
「……あああああああっ!」
頭をぐしゃぐしゃかきまわしてテーブルにつっぷし、すぐに起き上がる。
しゃきっとしないと。しゃきっとしたい。借りている着替えのもう一着はかわいていない。昨日は洗濯をする間もなく準備を手伝ったり、早く眠ったので先ほど洗濯を終えたばかりだ。悩んで、隅っこに置いてあった制服をひっつかみ外へ飛び出した。水浴びできる川はすぐそこ。獣はこのあたりには出没しないと確認できている。
「うっ!」
「うわっ!?」
何かに足を引っかけ、その何かを潰しながらべしゃりと転ぶ。気のせいであればいいが、蹴るように足を引っかけた時、人の声がした気がする。
恐る恐る体を転がせてよけ、さっきまで下にいた何かを見た。
「……」
「……」
黒髪、碧眼の美少年が、人形のような無表情でこちらをじっと見つめている。真っ白な肌はところどころ泥に汚れて、着ている少年らしい動きやすそうな、でもどう見ても上等な服も汚れがついている。
歳は推定、七、八歳。小学校にあがったばかり程度に見える。けれど雰囲気はまるで大人のよう。
お互い寝転がったまま、お互い黙って見つめ合い、やがて少年の方がゆっくり手を伸ばしてきた。
「最悪だ」
言って、無表情だった少年は顔を不機嫌そうに歪め、羽衣子の髪を鷲づかみにし、引っ張ってくる。
「ちょ、痛い! いったたたたたたっ!」
「普通人を蹴ったらまず謝るものじゃないの?」
「ごめっ! すみませんでした! 痛いよ! 痛いから、美少年!」
「ていうか、僕を蹴ったってこと自体ありえないよ。死刑だよ」
「地味顔が美少年を蹴ると死刑なの!?」
ごめんって、ごめんって!
森に響く声で叫び続けていると、やがて少年は興味をなくしたようにふっと手をはなし、深い溜息をついた。
「ねえ」
「何?」
「お腹すいた。何か持ってない?」
嘘じゃないよ、と言うように、少年の腹が鳴く。
「つかぬことを伺うけどさ、美少年よ。もしかして行き倒れてる最中だったの?」
「見てわからない?」
「ごめん、どっちだ」
行き倒れている人間は救いを差し伸べてくれるかもしれないお姉さんが現れたらもっと下手に出るもんじゃないかな。見た感じだけで言うなら行き倒れているように見えるが。態度で混乱させられる。
「僕みたいな育ちの良さが滲み出ている子供が、こんな森の中で泥だらけになって遊んでたと思う?」
「君、近所のおばさんとかにクソガキって呼ばれない?」
すごい鼻につくクソガキじゃないか。なんだこのデジャヴは。パッと見綺麗な顔なのにこの残念すぎる中身。ああ、あの元王太子。
「すぐそこにお家あるけど、来る?」
行き倒れの少年を放って水浴びなんてできるはずもない。
「無垢な少年が行き倒れてるのにそんな馬鹿な質問するんだね。さっさと運んでくれる。あとちゃんと敬語使ってよ。君と僕じゃ身なりからもわかるように身分の差は歴然だよ」
……育ちのいいお坊ちゃまは人に物を頼む方法は教えてもらえなかったんですね。
しかし身近に育ちのいい態度のでかい男がここ最近いたので耐性がついてしまっている自分も嘆かわしい。
制服を頭の上に乗せ、どうぞ、とかがんで背中を差し出す。のろのろ立ち上がった美少年は羽衣子に乗って満足そうな口調で言う。
「うん、柔らかくてそこそこの乗り心地」
背中の肉が多いって言いたいのか。
***
作った食事のやれ肉が硬いだとか、野菜が苦いだとか、味が濃い、薄い、と言うくせにすごい早さで食べ終わった美少年は、食後のお茶を飲んで一息つくと改めて評価してきた。
「素人にしてはまあまあだったよ」
「君はあんまり友達いないね」
「敬語」
「貴方はあんまり友達いないでしょうね」
「僕と同い年だと僕のような神童について来られる子供はたしかに少ないかもね」
自分で神童とは……。こりゃ友達もいないや。
「それで、どうしてこんな森の中に神童が行き倒れていたんですか?」
「クソ狸にはめられて森に置き去りくらったんだ」
「え! この世界は狸が本当に人間をばかすんですか? ヨーロッパ風なのになんという日本の昔話感」
「……何言ってるの。言葉のあやだよ」
馬鹿にした目でこちらを見る美少年の視線が痛くて目をそらす。
「わかるだろう、誰のこと言ってるのか。狸って言ったらあのクソ宰相に決まってるよ」
「……宰相……」
宰相と関わるような立場の人間? 宰相を狸なんて言える少年……。じっとこちらを見る碧眼。面影が重なる人物が二人思い当たる。
「……この国の王子様は、何人いますか?」
「何言ってるの? ああ、君はもしかして国民じゃないの? それともこの森の中で育ったから情報に疎いの?」
もしかして僕が誰だかもわかっていないの? と言う少年は、当然自分のことを知られていると思っていたらしい。羽衣子が頷くと、説明するのを面倒くさそうにする。
「僕と、カーティス兄上の二人だけだよ」
普通、保険のためにもう何人かいた方がいいと、僕は思うんだけどね。なんて彼の言葉は耳に入っても頭には届かない。
「あ……、貴方の、お名前は……?」
「ハロルド。第二王子のハロルドだよ。僕の名前も知らないなんて、学がないにもほどがあるよ」
眩暈で倒れそうになる体を、なんとか踏ん張って支えた。




