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中性のヨーロッパに近い雰囲気の服装や町並みで日本語を話す人が溢れる風景に違和感を覚えつつ進んでいると、あまりキョロキョロするなと怒られた。
「よくあんな森から町まで辿りつけましたね」
歩いて出かけると言われたときは到底深い森から抜けるなど不可能だと思っていたが三時間も歩けば人の気配のある場所まで辿りついた。三時間もそれなりに長い時間だが森の中から出るまでの時間として考えるならあっという間だった。
「もう何年かはあそこに住んでいるからな。どこを通れば早いか覚えている」
「逃げてるわりに結構頻繁に町に来てるんですね」
「月に一度あるかないかだ。森の中の物だけで生活するには限界があるからな。それに森には酒がない」
「お酒なんて我慢すればいいだけじゃ」
「人生には娯楽が必要だ」
危険を冒してまで手に入れる娯楽が本当に娯楽か不明だ。
「その顔でお酒を飲んでると問題がある気がしますけどね」
ジョシュアはともかく、カーティスは年より大分若く見える。女性的な顔立ちのせいか、年上と言われて驚きはしないが兄より上と訊くとええっとなってしまう。
羽衣子の言葉の意味がわかっていないカーティスは首を傾げ、理解したジョシュアはふっと笑った。
「確かに、飲酒のできる年齢には見えませんね。ウイコの世界ではいくつから飲めるのですか?」
「二十歳ですね」
「ではこちらと同じですね。まあ彼も飲める年になって調子に乗っていますが、あまり強い方ではありません」
「俺が弱いのではなくジョシュアが強すぎるだけだ」
母と姉が同じような会話をしていたなあと思い出す。姉は酒に弱いくせに負けず嫌いなので弱いと言われるとやけになって飲んでしまう。一杯飲んだら即ダウン。この世界でうっかり飲んでいなければいいけれど。飲んで倒れて悪い人にイタズラされていないといいけれど。
ああ、もう、心配になってきた。
兄や弟と比べて姉は子供っぽいところがある。変な人に騙されていなければいいが、一刻も早く見つけたい。
「なんだ、女連れかよ」
いつの間にか隣に来ていたマントの男が舌打ちをした。カーティスとジョシュアは両斜め前にいるので違う。それに声も二人よりやや高め。
ちらりとそちらに顔を向けると、浅黒い肌に銀髪の、羽衣子より少し背の高いくらいの男がへらりと笑って手をふってきた。
戸惑いながら小さくふり返すと、距離をつめられた。体をかがめて下から顔を覗き込んできた男は人懐っこそうな笑みをより深めた。
「あ、意外と可愛いね」
「離れないと妊娠するぞ」
こちらを横目で見ながらのカーティスの忠告にぞっとしてそろそろと男から離れ道の端すれすれを歩くと、ジョシュアに苦笑された。
「もっともこんな幼児体型ではさすがのオルフェも欲情などできないでしょう」
心配しなくてもいいですよ、というジョシュアの笑顔に悪意を感じる。奥歯をかみしめ拳を握り、ぐっとこらえる。怒るな、怒るな。この人たちは命の恩人。
「んで、どうしたんだ、この子。宰相か魔王あたりに対する人質?」
「後で説明する。場所を移すぞ」
***
放課後の体育館裏とか、夜の脇道とか、落書きだらけのトンネルとか、雰囲気がなんとなく嫌だなあという場所は度々あるが、ここまで肌が泡立つような嫌な雰囲気には初めて出会った。
日本は平和な国だったんだなあと今はない当たり前を思い出してうなだれた。
すぐ横の路地では屈強な男四人が殴り合いの喧嘩をし、ゴミ箱によりかかっている青年の財布を中年の女が抜き取っていったり、パンをとりあい子供たちがいがみ合っている。どの人も裕福そうには見えない装いだった。
ここには規則も秩序もない。
少し手前からまともそうな人の姿はなくなっていた。
酒と油と生ゴミの匂いの充満した広場の地面に座りこんだ三人を見下ろしながら、逃げ出したい気分でいっぱいだった。
「マーティス卿はどこまで城を掌握した」
「あんた話の入り方下手くそだねえ、相変わらず。それよりまずそこの女の子を紹介してよ。逃げ回りながらちゃっかり女作ってたの?」
へらへら笑うオルフェに舌打ちをしたカーティスは羽衣子を見て面倒くさそうな顔をする。説明するのが面倒くさいと顔に書いてある。
「勇者の姉だ。異界から召喚する時に巻き込まれたのを保護した」
「あー……。あー! そういや勇者様が言ってたな。ここに来る前に姉貴と兄貴が消えて、もう一人姉貴がいたのを置いて自分もこんなところに来ちまったって。ん? 勇者様の姉貴ってことはあんた、十七以上? 俺より年上?」
立ち上がったオルフェの顔が近づいて困惑していると、オルフェのマントをカーティスが、羽衣子のマントをジョシュアが引っ張って座らせた。というか、地面に叩きつけられた。
正座に座りなおしてジョシュアを睨むが相手は一切無視を決め込んでいる。
「今年で十七ですけど……。それより、弟を知っているんですか? 話したんですか?」
「勇者様のことはもう国中……、世界中が知ってんじゃないかな。我らが救世主様なんだし。話してはいないよ。会話を盗み聞きしただけ」
「盗み聞き……。でも英衣は、お城にいるんじゃ」
「だからぁ、城に忍び込んだの」
カーティスもジョシュアも何でもないような顔をしている。お城の警備は厳重なのではないかというのは羽衣子の勝手な思い込みなのか、ここにいる自分以外がおかしいのか。
「こちらの質問に答えろオルフェ。マーティス卿はどこまで勢力を広げた」
「せかすなってば。あんたが予想してた通りのペースだよ。城内の過半数がマーティス派。残りは王家派と、反乱勢力の協力者で半々かな」
レジスタンスって? という質問には誰も答えてくれない。心なしか空気がぴりぴりしてきた。周囲の人は自分たちを気にしている様子はない。この肌に悪そうな空気は自分が同行してきたこの三人なのだと察する。
「もっとも王様もハロルド王子もマーティス卿に洗脳されちまってるから実質堕ちてないのはレジスタンスに加担してる冷静な裏切り者だけってことだな」
「洗脳? それも魔法とか魔術的なものですか?」
オルフェは苦笑して、他二人はへっと鼻で笑った。
「魔法も魔術も呪術も万能じゃないよ。勇者様やあんたの世界には魔導士がいなかったらしいから知識はないだろうけどさ。マーティス卿ってのはこの国の宰相のこと。戦争が大好きなイカレタ奴だけど、宰相職についてるわけで頭はいいんだな。人の心につけ込むのも上手い。王も王子もすっかり宰相の操り人形ってわけ」
「へ、へえ……」
戦争が大好きな人が国を牛耳っている現状なんて間違いなくこの国はヤバい。平和が感じられない。
「王様なんてすっげえんだよ。宰相の言う事鵜呑みにして、二人の息子のうち宰相に反発してた一人を処刑しちまったんだから」
「うあぁ……。あの、そんなところにいてうちの弟大丈夫じゃないですよね」
「大丈夫大丈夫。勇者様に害が及んだらいよいよ各地のレジスタンスが暴動を起こすよ」
それからオルフェは指で地面に図を書いて簡単な説明を始めた。
現時点で国内には四つの勢力がある。一番勢いがあるのは王家を掌握している宰相勢力と魔王政権。次に複数点在しているそれぞれの反乱組織。そして最後に、と言ってオルフェは地面にカーティスへ向けた矢印を書いた。
「この人」
「そんなに大きい犯罪組織を仕切っているんですか? カーティスさん」
「お前は何度同じことを言わせれば気が済むんだ。俺は生まれてこの方、世間に顔向けできないような悪事を働いたことはない」
犯罪組織と聞いたオルフェは腹を抱えて笑い出した。
「ある意味正解じゃーん! 人間一人殺し終えてんだから。しかも超大物」
「あれは殺しじゃない」
「何言っちゃってんだ。殺しだよ。あの事件で何人もの人間をどん底に突き落としたんだから、あんたも罪な男だよなあ」
殺しだの事件だの、不穏な単語を発しながら、しかしオルフェは楽しそうにしている。
「この人はね、第四勢力って言うか、第四勢力を作ってる最中。でもあとちょっとで完成かな。あとちょっとで、宰相にも魔王にも立ち向かえるだけの勢力ができあがりそうなんだ」
「はあ……。……あの、立ち向かう必要って、何があるんですか? 何を目的に立ち向かおうとしているんですか?」
魔王に立ち向かうと言うならわかる。けれど王族や宰相に立ち向かう意味は? レジスタンスに立ち向かう意味は? カーティスが第四勢力だとするならその目的は何なのか、いまいちよくわからない。
カーティスはふっと周囲に視線を巡らせた。
「いつの時代も、どの世界でも、平和を望むのは変わらないだろう。俺もそうだ。国が平和であるほどいいことだと思う。毎食用意できて、夜はゆっくり眠りたい。酒が飲みたい、女と遊びたい」
「いや、最後の二つはちょっと……」
飲酒できない年だし、自分が女だし。
「ここにいる連中はそれもままなっていない。生きるのに必死で、俺たちが国に反旗を翻そうと話していることに気づきもしない。ある程度の身分差は必要だろう。急な変革は混乱を招く。徐々に消していくのが一番いい。だが現状、それは年々悪化している」
たしかに。
何故こんな場所でこんな話をするのか不思議だった。誰も他人のことに興味なんて示していない。カーティスやジョシュアが剣をチラつかせているせいでつっかかってくる者もいない。
「軍事の強化のために税が重くなってきているのが原因だ。これまで魔族とは対立していても建前上、古くからの不可侵条約を守ってきたが……。宰相は魔族との開戦を目論んでいる。そのための準備も始めた。手始めに、法を改正した。平和を唱っていた法は戦いによって国を栄えさせることを支持し、他国との同盟にも積極的になった」
「どうしてそんなことを?」
「自分の地位を確固たるものにしたいんだろう。同盟を結ぶ切欠となればマーティス卿は他国からの支持と信頼を得る。戦争で勝って魔族を殲滅すれば英雄だ賢者だと国民にも認められる」
うん? と首を傾げる。
「宰相さんが魔王を倒すなら弟を召喚する必要なんてなかったんじゃ?」
「勇者など口実にすぎない。異世界から選ばれし勇者が来た、なんて言えば一部の国民は勇者に期待と希望を持って戦争に積極的になる」
どうりで適当に選ばれたとしか思えないうちの弟が選ばれたわけだ。
「魔族をやっつけるのはよくないんですか?」
「人間に善人悪人がいるのと一緒で魔族にもそれぞれだ」
「でも、さっき魔族は人間の敵って」
「人間は魔族のことを悪と決めつけ毛嫌いしている。逆も然り。互いが互いに意味も理由もなく、先入観だけで憎み合っている。魔族ばかりを責めているわけじゃない」
「はあ……。というか魔族って、善悪とか憎むとか、人間臭いんですね。てっきりこう、獣みたいなものかと思っていたので」
その気になれば猟銃とかでも殲滅できるんじゃ? なんて軽く考えていた。
オルフェが、ええーっと声をあげる。
「ひっどいなあ。俺たちにだって知能や人格はあるんだよ? 人間と違う部分なんてほんの少しで」
「俺……たち……?」
オルフェが立てた人差し指をくるくる回すのに従って、足元にあった小石がくるくる中で踊り最終的に遠くへ勢いよく飛んで行った。
「魔族と人間の違いなんて、ほっとんど使い物になんねえ上体力奪われるうっすーい念力と、魔力が生まれた時からあるおかげで気楽に魔法が使えるのと、スタミナくらいのもんでさ」
「あ……、噂の、魔族なんですね……」
「俺以外だって人間に交じってる魔族もいるよ。魔族に交じってる人間も。案外確執があるったってそんなもんだよなあ。種族の境目なんて適当適当」
話が脱線していることに溜息をついたカーティスは、ともかく、と羽衣子に声をかける。
「どんな内容にせよ戦争なんて初めていいことなんてないということだ。しないで済むならそれが一番。得をするのは国の上層だけ。その上、その上層は戦いに出ないとくる。笑えないだろう。上としては、戦士たちの代わりなどいくらでもいるのだから無駄死にして来いというのが本音だろうが、あいつらこそ代わりはいくらでもいるのだからさっさとくたばるべきだ、死にぞこないの老体どもめ」
「何か権力者に恨みでもあるんですか」
批判するのはわかるが、死にぞこないの老体なんてさらりと出てくるからには私怨もありそうだ。
羽衣子の問いは無視をして、カーティスはオルフェが地面に書いたレジスタンス、という文字をビシッと指さした。
「そしてこいつらもこいつらだ。考えなしに小規模な反乱ばかり起こしてどうにかなるとでも思っているのか。しかもどいつもこいつも政治的知識が欠如している。税が上がった不満ばかり言って、マーティス卿の目論見も城内の荒れ具合もわかっていないのが半分だ」
あ、わかった。
羽衣子は地面の矢印とレジスタンスの間に正符号を書き足す。
「俺がお前らを牛耳ってやるわー! ってことですか?」
ジョシュアとオルフェがブフッと噴き出し、カーティスには頭をスパンと叩かれた。
「俺はそんなに頭が悪そうな喋り方はしない」
「あ、外れですか」
「……間違ってはいないが」
「じゃあ何故私は殴られ……?」
「言い方が馬鹿にしていた。……平たく言えば見込みのあるレジスタンスを吸収して勢力を作っている最中だ」
「それって結局カーティスさんもレジスタンスってことになるんじゃ」
お前は見た通りの馬鹿な女だな。その頭の中は空っぽか?
口に出していないのに彼がそう言っているように見えた。そうとしか見えない。
「レジスタンスは主に王家を滅ぼし革命を目指している。俺が目指すのは王制の立て直しだ」
「今も王政なんじゃ?」
「実権を握っているのは宰相だ。王政とは言いきれない」
こういうのを、日本史で習った気がする。なんだったか。ああ、北条氏の執権政治だ。どこの世界でもわかりやすい権力の頂点がいるとあり得ることなのかもしれない。
「ジョシュアさんとオルフェさんも、その勢力の一員なんですか?」
「私は勢力と言うよりカーティスのおもりですね」
「俺はどこにも所属してないよ。お金くれる人とライトな契約結んで情報収集と提供してるだけ。今んとこじゃカーティス様が一番羽振りがいいんだよねえ」
疑わし気な視線をカーティスに向けると不快そうに顔を顰められた。
「本当に勢力なんて作れてるんですか? はったりなんじゃないですか」
「いい度胸だ。その度胸を買ってお前の寝床は今晩より庭だ」
「すみませんでした」
連盟を組んだ同志たちはいつでも連絡を取れるようになっているらしい。大きく動くまでは息をひそめていると言うカーティスをまた疑わし気に見ていたらまた叩かれた。
「んで、最後に国内最大で最強の組織を吸収するためにカーティス様は今大忙しなんだよ。俺が依頼されてるのはマーティス卿の動きの他にその組織の情報を探れって」
マントの中から四つ折りにされた紙を取り出したオルフェはそれをカーティスに渡し、カーティスはそれを広げて目を見開く。
「冗談だろう」
「マジだよ。どんな事情があるかまでは知らねえけど」
とんだ腑抜けどもだったということか。呟いて、カーティスは頭を抱えた。