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一緒に連れて来なかったのか、英衣も。
兄のもっともな言い分に頭を抱えた。
「忘れてたんじゃないの……。忘れてたんじゃなくて気が回らなかったの……」
「忘れたのか」
「……うん」
心配していたから、とカーティスに兄のもとに連れて来られたが、兄に言われて初めて気づいた。誰かが城に来てくれるかくれないか、賭けだったが、よく考えれば弟を城から連れ出せると話せば確実に誰かしら来てくれただろう。魔族は勇者が召喚されたことが気に喰わないので、勇者がいなくなればいがみ合いも多少緩んだかもしれない。もっとうまくやればよかった。
けれど羽衣子の右に立つカーティスは首を横にふる。
「もし勇者が突如消えたら国は全力で探し回るだろう。その過程で俺やこの勢力の存在が見つかる可能性が非常に高い」
左に立つジョシュアは大きく頷く。
「それこそ国内外余すところなく隅々まで捜索が行くでしょう。貴方がた兄弟には申し訳ありませんが、宰相の手中にないことがわかった以上安心してあの危険地帯に勇者を残しておきたいのが我々の本音です」
「危険地帯、ですか……?」
兄は危険な場所に弟を残したいとさらっと言ったジョシュアに敵意むき出しだが、羽衣子はどうもそう思えない。
危険、だろうか?
宰相や王でさえ、国民に期待を寄せる勇者に手出しはできないし、ハロルドは、酷いことはしないと思う。それに、
「可愛い女の子と婚約なんてしちゃってるし……」
それで思い出した。
カーティスを見て素直な感想を言う。
「可愛かったです、レダさん」
「会ったのか。元気でやっていたか?」
ジョシュアの父の部屋に案内してくれたのは彼女です、と言ったら怒りそうなので言いたくない。うちの弟と婚約していました、と言って、カーティスがもし動揺をするならそれを見たくもない。
好きになってほしいなんて贅沢は言わないけれど、誰かを好いているカーティスを見るのはさすがに堪えそうなので避けたい。
「はい、お元気で……可愛かったです」
「……お、お前も、そこそこ、わりと、なかなか、か、わいい」
「思ってないですよね。目見ないし」
どこ見て言ってるの。アリの行列見てるじゃないですか。
「思っている!」
「うわ。びっくりした」
がばりと顔をあげたカーティスは真っ赤になって睨んでくる。
「何怒ってるんですか」
「怒っていない。なんだ、お前はすぐに俺を怒っていると決めつけるな」
「怒って顔が真っ赤になってますから。あと目が怖い」
息も上がっているし。
ジョシュアは鼻で笑ってそっぽを向いて、兄は目を細めて瞬きせずにカーティスを凝視している。というか睨んでいる気がする。
「帰るぞ」
「え!?」
怒ったままのカーティスに腕を引っ張られて混乱する。
「来たばかりですよ?」
まだ屋敷の中に入ってもいない。アリステアも狩りから帰ってきていない。一目もカーティスを見ることなく帰せばあの信者は発狂するかもしれない。
「お前を連れ帰ってきたことの報告に来ただけだ」
「貴女が、さらわれて怖い思いをしたのでもう兄から離れたくない、と言い出さないか不安なのでしょう。察してやりなさい」
「違う、ジョシュア、黙れ」
あんな獣道を通ってようやくここまで来たというのに。休憩を挟まないと帰れる気がしない。
「言いませんよ、そんなこと。私が、カーティスさんと一緒にいることを決めたんですから」
姉と魔王の城で待つのでもなく、兄にかくまわれるのでもなく、ハロルドに守られるのでもなく。自分で傍にいたいと望んで一緒にいる。
ぐっと歯を食いしばって手を上げたり下げたりを繰り返したカーティスは最終的に羽衣子の両肩をものすごい握力を使って掴んでくる。
「俺も、お前を傍に置いておく。そう決めた。お前が嫌がっても、俺はもう……」
「痛い」
「誰にも、たとえ弟であってもお前を誰にも……」
「痛い」
「わたさ」
「痛い」
「聞け!」
「だって痛いから!」
掴まれている肩が。
「お前はあらゆることが鈍くさい!」
「どうして痛めつけられた私が罵られるんですか……?」
オルフェにまんまとはめられたことは何度も何度も謝って、鬱陶しいからもう黙れと言われるまで反省した。それでチャラになるとは思っていないが。
鈍くさいと言われるとしても、このタイミングではおかしい。
「私は、カーティスさん以外の誰に何と言われてもカーティスさんにくっついてるつもりです。カーティスさんが駄目だって言うなら諦めますけど」
少しでも力になれるように、傍にいたい。ただ単に、彼を見ていたいという願望と、他にもう一つの理由。カーティスと一緒にいればそのうち、会えるはず。
「ハロルド王子とも、また会わないといけませんから……」
過去の自分が彼にしてしまったことを知りたい。傷つけてしまった彼を、どうして傷つけてしまったのか自分で理解した上で謝りたい。
何より羽衣子は彼に、『またね』と言ったのだから。言ったことには責任を持たなければならない。
「何故?」
見上げると、恐ろしく無表情のカーティスが羽衣子に顔を近づけていた。
近い。まずい。赤面してしまう。
「何故って? ハロルド王子とまた話すために……」
「何故? 本当は何かあいつにされたか? それともちやほやされて手懐けられたか? 思っていたより簡単な女だな。あれか。お前が求める紳士的な男に出会ったと思って浮かれているのか。馬鹿め、あいつは変態だ。おそらく。俺の推測だが」
「推測で人を変態なんて決めつけるもんじゃありませんよ……」
しかも自分の弟を。
目を細めじっとこちらを見て静かに起こるカーティスは、ようやく手懐けた動物があっさり別の人間に懐いたのを見る飼い主のようだ。実際そんな気持ちだろう。異世界から来た期間限定家政婦なんて愛着が湧いたとしてもペットかそれ以下程度。
それでもちょっとだけ嬉しくなってうっかり笑ってしまう。
「独占欲ですか? 残念ながら私はカーティスさんだけの物ではないので」
前にカーティスに言われた言葉を真似て言ってみる。心の中で、おお……! と感動する。こんなセリフ、私ってばすごく恋愛慣れしてる女みたい。こんな感想をもった時点で恋愛慣れなんてしていないわけだが。
思えば、あの時は否定したけれど、本当はその通りだった。女の子を褒めるカーティスを見て、嫉妬していたのかもしれない。彼が女性を仲良くしている姿を見なかったから、あの時初めて嫉妬心を抱いた。
「俺の物だ」
「……はい?」
顔の輪郭を手で撫でられる。
「帰るまででいいから、俺の物でいろ」
バッ、とカーティスとの間に兄がわって入って来た。
「却下」
兄の冷たい声が響く。
その冷たさに反して、羽衣子の頬は熱くなっていく。
「……っ、私は、私の物なので!」
帰るまで、どころか、帰ってからもきっと、心はしばらく、彼の物だと、ひっそり未来を予想した。




