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ヒールで足を踏んでも、脛を蹴っても、ものともしないで読書にふけっている魔王に飽きて、里衣子はテーブルにつっぷした。
整えられた庭に紅茶とクッキー。そして目の前にはイケメン。
全然楽しくない。
家のリビングでスナック菓子をパーティー開きして緑茶を飲みながらテレビを見たい。見るのは勿論、録画を溜めた昼ドラ。
「ねえ」
クッキーを二枚くわえて、魔王の本をべしりとはたき落とす。
「どうした」
「あんたは何をのんびりティータイム満喫しちゃってるの。うちの可愛い妹が大冒険してる時に」
「必要な時には王子の方から声をかけて来るだろう」
なんてやる気のなさ。フレッシュじゃない。里衣子の生気まで吸いとられてしまいそうだ。
「そんなんだから年寄りとか言われちゃうのよ、あの金髪に」
外見だけなら二十代前半から三十代後半。しかし中身がここまで枯れているとそう言われるのも仕方ない。
「実際年寄りだからな」
「あんたの年齢くらいじゃ年寄とは言わないわよ」
「そうか。三桁にもなれば人間では年寄の域だと思っていた」
耳がおかしくなったようだ。
「三桁じゃなくて三十代でしょ」
「いや、三桁だ。途中から自分で数えるのをやめたが、臣下は覚えているだろう」
頭の中を整理する。魔族と人間の違いは念力の有無と若干の体力だと聞いている。そして年寄りと言うには彼の容姿は若すぎる。
彼の臣下は皆年相応の容姿をしている。
「魔族は君の思い描く化け物と違うが、魔王はだいたい君の想像に沿った化け物だ」
寿命は桁から違う。老化しない。思考干渉できる。生まれながらに魔術が使える。呪術も使える。
「どんな生き物なの……」
「魔族の中に突然変異で生まれた化け物だ」
故に人間の王族のように血筋で決まるものではない。けれども生まれた瞬間から魔王になる運命が決められたために歴代どの魔王も王族という地位に誇りを持ってきた。
次の魔王になりえる子供が生まれればその子供はたちまち城に連れて来られ、城で育てられる。代替わりをするのは先にいる魔王が死ぬか、自ら退いた時。
「へえ。じゃあ家族の記憶はないのね。早く自分の家族を作れるといいわね」
冷めた紅茶をぐびっと飲んで、自分で次を注ぐ。
魔王はこちらを見て、にやにやと笑っている。
「他にはないのか」
「長生きできてよかったわね」
あたしは嫌だけど。
タイムリミットがあるから人生頑張れるんだし。老化しないってのも、そんなに魅力を感じない。常に美しくはありたいけれど、年をとるにつれ出て来る美もあるだろう。
「私は君のそういうところが好きだ」
「どこを言われてるのか全然わからないんだけど」
求められて適当な感想を言っただけだ。
それなのにうっとりした目で見て来るのだから、気持ち悪い! と紅茶と一緒に出てきたお湯をかけてやるが、横に置いてあった日傘で防がれた。
「君のはっきりとした物の見方だ。君の中での区分けは、自分に必要か、不要か、その二択しかない」
家族は必要な物。庇護欲や行き場のない母性と愛情を受け入れてくれる必要な存在。少数の理解ある友人も必要。暇をつぶす、愚痴をこぼす、困ったときに助けてもらえる。その他は大抵皆不必要。
「それ、普通のことでしょ」
「それを自覚していることはあまりない」
好き、嫌い、ではなく、必要、不要で分けている。感情で判別するのではなく客観的に物を見て、理由を持って接する。
対象が動物でも植物でも人間でも、思いやりではなく、まず自分のことを考えて価値をつけてから近づく。
「つまり嫌な女って言いたいのね」
「それは否定しない。だが褒めているつもりだ。自覚している。それを受け入れられる者は少ない。君はそんな自分にも向き合い、受け入れている」
「開き直ってるって言いたいのね」
家族と引き離された話をしても一切同情しなかった。それはこの男が里衣子の人生において不必要な人物だから、感情移入することさえ面倒くさかったのだ。
しかし彼は、それが逆にいいことだと言う。
「安い同情をされてもいい気分ではない。そもそもそれが俺の普通であるから俺はなんとも思っていない」
同情する人間は自分の心の隙に入ろうとしているようで嫌だと彼は言う。里衣子は、同情しない人間はつけこもうとしないかもしれないが、つまり初めから興味がないということだ。どっちもどっちだと思う。
ぼーっとして適当に相づちをうっていたら調子にのってキスをしようとするので咄嗟にティーポッドを魔王の頭に落とす。
ゆっくり頭上のティーポッドをテーブルに戻した魔王は咳払いをして調子を整える。
「馬鹿な子ほどかわいいと言うだろう」
ああ、馬鹿なうちの末っ子はたしかに可愛いけど。
「そういうことだ。俺が君に惹かれる理由は」
「あたしは馬鹿になった覚えはない。ずっと才女」
「我儘と言った方がいいかな」
「それはその通り」
クッキーを持った手を掴まれる。
「俺は自分のことが可愛くて周りのことを考えられない君が好きだ。愛情が偏って、狂ってしまった君は弱くて愛おしい」
里衣子の持っていたクッキーを食べた魔王は顔をしかめる。甘い物は嫌いだそうだ。なら食べなければよかったのに。
「君の悲しみも苦しみも、おかしくなってしまった原因も全て知っている。ひねくれてしまった君に寄り添えるのはきっと俺だけだ」
「そりゃあ知ってるでしょうよ。勝手に人の頭の中を覗けるんだから」
「知っているだけじゃない。君のすべてを受け入れ、受け止め、誰よりも君を愛していこう。俺は決して君を孤独にしない。君より先に死ぬこともない。どうか家族など忘れて俺と共に生きていこう」
耳ざわりの良い言葉ばかりが囁かれる。欲しい言葉だけが並べられて、望む未来を約束してくれる。
家族が自分を見放さないのは、家族だから。自分がもし他人だったらどうだろう。
この男は他人なのに全て受け入れてくれる。こんな人が、他にいる?
男の手を、自分の手で包み込む。
この手を取れば、
「ってなるか」
ぐっと力をこめて魔王の手を握る。握りつぶすつもりで。折れろ、こんな奴の手の骨なんて。
「くっ……、惜しかった。少し気持ちが揺らいだだろう」
「このインチキ野郎。あたしの脳内見て、欲しい言葉まんまよこされたら焦るに決まってるでしょ。でも惚れはしない」
一週間後に誕生日会を開く予定だった。ケーキは絶対白いクリームの。プレゼントは魔法少女の変身グッズ。午前はパパと映画でデートして、夜はママと一緒にごちそうを作って、それからパーティー。
計画はばっちり。なのに一週間前になって突然、パパがいなくなった。パーティーは中止。泣いているママを見て最低なことを思った。あんな風になりたくない。
大好きな人に置いてきぼりにされた可哀想なママは里衣子が支えるけど、でも里衣子はママみたいな悲しい思いしたくない。
成長するにつれ、そんなことを思う自分に自己嫌悪することもあった。だけど、好きな人には自分より長生きしてほしい。
性格が悪いと言われたって、別に気にしない。この性格をわかった上で付き合ってくれる友達はいる。でも恋人になってくれる人はあまり理解してくれない。自分が悪いのはわかっていても、それでも、私のことをわかってよ、と我儘を思ってしまう。
君の全てを受け止める。君より先に死なない。
なんてなんて、甘い囁き。
「家族が、家族だからって理由であたしのこと見捨てないんだとしても、あたしのこと大事にしてくれてんのは事実なわけ。『もし』って世界は存在しないの。あたしはあの家族のところに生まれる、それが運命だったんだから、大事にして、大事にされるのも運命なの。だから家族以上に優先させる物は今んとこない。あんたも家族以下」
必要、不要で物事を判断する自分のことは認める。
家族は必要。なんでかって、好きだから必要。そこにいた方がいいから。
必要だから大事にする。好きだから必要。結局根底にあるのは、好きだから、という気持ち。
「……自分で言ってて寒くなってきた。あったかい紅茶、誰か追加持ってきて」
ハナウタを歌って里衣子の向かいから隣に椅子を移動してきた魔王は顎を持ち上げて来る。これがイケメンにしか許されない顎クイという奴か。嘘だな。イケメンにされてもリアルだと気持ち悪い。
「君はやはりいい女だな」
「知ってる」
手で手を払って、クッキーのことだけ考えることにした。




