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これは相当頭の中がお花畑。
婚約は嫌だと主張しているくせに、毎晩毎晩、どうしましょうエイ様、どうしましょう、と自分のところにやって来る彼女を見て、この世間知らずはどうやって育ったのだろうと不思議に思う。
美しい宰相の一人娘が毎晩勇者のもとを訪れているという噂は、着々と広まっている。周囲に勘違いをさせたら男漁りする予定の彼女にとって厄介なことになっているのだ。
末っ子、というのもあり、誰かの面倒をみるのも一度はしてみたくて安請け合いしてしまったが、ここまで考えなしの行動が多いと考えものである。
「聞いていらっしゃいますか? エイ様」
「聞いてる聞いてる」
レダはどうやら、毎日国王のもとへ抗議へ行っているらしい。王様も暇じゃないだろうに、若くて可愛い女には弱いのか? よく追い返さないものだ。
しかし成果はなし。
それどころか、英衣とレダの距離が縮まっているという噂を王も耳にしているそうだ。
どうしてそんな噂がたってしまったのでしょう? と首を傾げるレダに、お前が毎晩俺に部屋に来るせいだと言ってもこのお嬢様は不満そうに頬を膨らませ文句を言う。
「だってエイ様は夜しかお時間がないではありませんか」
「毎晩来なくたっていいだろ。それに夜に男の部屋に入ることへ抵抗を持て。こっちの世界は婚前交渉に厳しいんだろ?」
侍女にそれとなく、婚前交渉のないようにと釘を刺されているが、指一本触れていない。
「こっ、こっ、こっ、あ、当たり前です!」
「今度はニワトリの真似かよ。あのな、せめて毎晩じゃなくて、成果が出てから俺のとこに来ればいいだろ」
「私に押し付けないでください。エイ様は協力してくださるとおっしゃったわ」
確かに言ったが、それをことごとく邪魔をするのがレダなのだ。不仲な噂でも流せば王や宰相が考えるだろうと兵士たちや侍女たちが多い場所でレダへの不満を言っても、毎晩毎晩レダがこちらへ来ていれば仲が良すぎるゆえの不満であろうと思われる。
それどころか先日などは、英衣が「あの女は口うるさくガーガー言ってちっとも可愛くない」と人気の多い場所で言ったのを偶然レダが聞いて泣いてしまい、英衣が必死に謝っている現場を多くの人間に目撃されてしまった。それでまた、もうすっかり尻に敷かれているとの噂まで流れた。
婚約なんて建前で、レダは真の愛を探しているのだ、と、将来レダの夫になる候補たちの前で彼女に愛を教えてやれと声をあげても、いやいやレダ様はもう勇者様と……。と男たちは引いていく。
社交の場で英衣にずっとひっついているこの女も謎だ。積極的な男性は苦手だから、エイ様と一緒にいるとそれから逃げられるのです、だそうだが、完全に矛盾している。お前は俺との婚約をなかったことにして、別に運命の相手を見つけたいんだろうが!
「レダは俺と結婚するのは絶対に嫌なんだろ」
「そうです!」
即答されると人間なので多少悲しいが、目標を見失っていないようでひとまず安心して溜息をつき、少し笑った。
「あ……う……、そうですが、絶対というほど絶対嫌なわけでは……」
じっとこちらを見ていたレダは指を組み替えるのをもじもじと繰り返して俯く。
「別に今更気遣われても返って感じ悪い。大丈夫だよ。俺も元の世界で、大人しくて可愛い女の子と幸せな家庭を築く予定だからお前に迫ったりしねえ」
彼女はまだいないけど。大人しくて可愛い女の子なんてファンタジーだバーカ、という一番上の姉の言葉なんて信じずに諦めないで探し続ける所存だ。
「それにレダは俺のタイプじゃないから」
「なっ! わ、わ、私だって! 貴方みたいにレディへの気遣いができない男性はちっともタイプじゃありません!」
もう何度も同じようなことを言われているので英衣は適当に、はいはい、へいへい、と聞き流すが、奪われた枕で叩かれて聞いているふりを大人しくするのもできなくなった。柔らかい枕でも叩きつけられれば痛い。
「凶暴過ぎんだよ、お嬢様!」
「可愛いって言ってくれるくせにっ! このペテン師っ!」
「うおっ」
顔面にバシリと当たってベッドに倒れると、ベッドの横に立ったレダは満足そうに満面の笑を浮かべて英衣を見下ろしている。腰に手をあて、少し身を屈めているレダに、手を伸ばす。髪が触れてくすぐったくて、頬までつく前に動きを止めた。日中上げられているブロンドは今は一つに結ばれ下ろされている。
「可愛い……」
だが、しかし。
「女は顔じゃないからな」
レダの顔がくしゃりと歪む。
「褒めているのですか。貶しているのですか」
「両方」
ほっ、と起き上がって、首をかく。
いかん、調子がくるった。見下ろされるのはちょっとだけぐっときた。けれどもう随分小さい頃から、絶対に顔で女を選ばないと決めている。一番上の姉を見て、あれは姉だからまだ我慢できるが、簡単に縁を切れる恋人がこんなでは即別れる。同じく二番目の姉を見て、こちらも自覚のない性悪なのでいくら家庭的でも駄目だということもわかっている。
大事なのは優しい子。できれば、おっとりした子。
レダを見て首をふる。
今彼女のことをちょっといいなと思ったのは多分顔が好みだから。いかん。いかんぞ、自分。この女はそれほど仲の良くない異世界の人間にずけずけ物を言ってくるような女だ。
「もう、いいです。そうだわ。今日はきちんとご報告もあります」
「王様には例によって軽くあしらわれたんだろ」
軽くじゃないです! とまた枕で叩かれる。あしらわれているだろう結局。
「……」
「何です?」
「いや……。そこに座るのかって思って」
さっきまで座っていた椅子ではなく、英衣があぐらをかいて座っているベッドの端にちょんと座ったレダは、いけませんか? と不思議そうにする。
婚前交渉というワードには過剰に反応していたのに、行動には隙が多すぎる。
「俺がお前のことタイプじゃなくてよかったな……」
タイプだろうがタイプでなかろうが女ならいいという人間も中にはいるだろうに。お嬢様はそんな危機を察知できないほど安全に守られて育ったに違いない。
「もうそのお話はいいんです! エイ様に、吉報ですわ」
うきうきと両手を握って胸の前で振るお嬢様は、何を言い出すのやら。
「ああ、ですがハロルド殿下といる時点でちょっぴり残念なお知らせかもしれません……」
「いる? 何が。珍しいペットでも飼ってんのか? 動物が大好きなわけじゃないんだけど」
「違います!」
エイ様のお姉様が、このお城にいらっしゃるそうなのです。
***
ベッドの下に潜り込んで、毛布にくるまっていると、背後から笑い声がした。
「うおぁぁあっ!」
「さすがだよウイコ! 媚びた感じのない悲鳴、すごく可愛い!」
「……それは可愛くない悲鳴って言いたいんですね」
寝返りをうつと思っていたよりも近くにいたハロルドに絶叫した。咄嗟に繰り出した蹴りはあっさり受け止められる。
「ベッドで一緒に寝ようよ」
「今日こそは、拒否します」
床で眠っても朝にはベッドで目覚める。ならばベッドの下で眠ればベッドに運ばれることもないだろう。万が一運ばれそうになっても、外に引っ張り出されれば目が覚める。
「そんなにベッドで一緒が嫌なんだ?」
「はい」
年頃の男女が同じベッドで眠るなんて羽衣子は反対。
「じゃあ僕もここで寝よう」
「意味がなくなる! 体が痛くなるからやめなさい!」
王子様が床で眠るなんて前代未聞。そして結局一緒に眠ったら何の意味もない。
「僕とベッドの上で眠るか、僕とベッドの下で眠るか、しかウイコに選択肢はないよ」
「私にはあるけど貴方の頭の中に別々で眠るという選択肢がないんですよね。勘弁してください」
無邪気な笑顔で抱きしめてくるハロルドの胸を押し返していると、部屋の扉がダダダダダダダダダダッ! とすごい速度でノックされる。
「すご。ドリルみたいな速さですね」
「何か急ぎの用かな」
「そう思うなら出てあげてくださいよ……」
急ぎの用かもしれないのにウイコから離れようとする気配はない。
「羽衣子っ!」
外から知っている声が名前を呼んでくる。
「え……。英衣!?」
羽衣子が名前を呼ぶと外からの声もまた大きくなる。
「羽衣子! そこにいるのか!」
「声聞こえたならいるってわかったでしょ……」
「うるせえ馬鹿姉! 早く開けろ!」
開けろと言われても鍛えられた腕で拘束されているのでベッドの下から抜け出せない。羽衣子の頭に顎を乗せたハロルドが、あーあ……と声をもらした。




