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わざわざあちらから出向いてくれた大将とその側近を見送ったのち、アリステアは部屋に戻り項垂れている友人の隣に座った。
友人の背中をさすりながら彼が少々不憫になった。
「君もああして感情的になるんだね」
少しだけ落ち着いてきた異界から来た友人は、深呼吸をして、もう大丈夫だとアリステアの手をはらう。
「しかしカーティス殿下を殴るのはいただけなかったね。歯が抜けたりしたら打ち首どころじゃすまないよ」
腫れてはいたが。
しかし、あの人も殴られることは覚悟の上だったようだ。彼のお付の、魔導士の息子はちゃっかり後ろに下がって裁きの拳から逃れていた。
「ああ。後で謝罪する」
正直に言って、アリステアには彼の妹にあのカーティス王太子殿下があそこまで情をわかしているとは驚きだった。彼女に果たして、それほどの魅力や価値があるだろうか、と。
女性は世界の宝だ。癒されるし、傍にいると男よりも気分が上がる。男は女を守らなければいけない。それはこの世の暗黙のルールであると両親に教わった。景衣の妹も例外ではない。
だがしかし、大きなことを成し遂げようとする王太子は違う。何もかもを、平等に扱わなければならない。それが最も上に立つ者の定めだ。
おそらくあの元王太子は、私兵が一人命を落とすたび嘆き悲しむ。誰に対しても平等に。けれど、一人、自分の支持者がさらわれたところでそれに構う暇はない。まして、その救出に自らが出向くこともない。彼には守らなければいけない多くの物が他にあるからだ。不必要に危険に飛び込みしくじれば膨大な数の人間を絶望へ突き落す。
にも関わらず、景衣の妹を連れ戻す際は自ら動くのを当然のように言っていた。あのお嬢さんはカーティスの平等の枠からはみ出たということだ。何故? 果たして彼女にはそれだけの価値が、あるのだろうか。
「俺が、悪かったんだ」
額に手をあて、焦点の定まらない瞳で、友人は床を見つめる。
「王子だけのせいじゃない。羽衣子は昔からしっかりしていたから、ずっと安心していた。何かあっても自分でどうにかできるだろうとどこかで思っていた。あの子は、女の子なのに、勝手に」
アリステアにはむしろ過保護に見えていたのだが。
しかしよくよく考えれば、彼女は最終的にどの場面でも自分で選んだ場所に落ち着いていた。彼女が大丈夫だ、問題ない、と言えば、たしかに景衣は比較的すぐに諦めている。
「俺が悪かったんだ。こんなことになるなら無理にでも姉貴に羽衣子を預けておくべきだったんだ。こんなことになると、考えることもできなかった」
それまで薄々感じてはいたが、アリステアの中で今、それが確信に変わった。彼は自分の世界で、ブカツという集団のリーダーをしていたらしい。アリステアが思うに、彼はリーダーに向いた人柄と実力だが、向いた性格ではない。
二桁も年下の友人はアリステアと同じくらいに周囲をよく見ている。けれども、自分のことが見えていない。
「君、自分のことを神様とでも思っているようだね」
「……? 思ったことはないが」
「自分のことをえらく過大評価している、ということだよ」
きょとんとする景衣の肩に腕を回す。ああ、本当は女の子にこういうことをしたいんだけどなあ。
「ウイコさんがさらわれることなんてわかりっこなかったんだよ。予知能力なんて君にはないだろう。そんなことをいちいち言っていたら、自然災害だって犯罪だって、この世で起きたこと全部、自分のせいなんて言い出しかねないね、君」
第二王子にどんな意図が合って景衣の妹をさらったのか。あの情報屋の少年は何が目的なのか。
それはわからないが、どちらも女子供を傷つけるような人間には見えなかった。魔王城でのことを思い返しても、第二王子は羽衣子に興味がある風こそあったものの、敵意は見られなかった。
彼女に何事もないことを前提で最速で助け出す方法を考えるのが、今、自分たちに求められていることだ。
「もしかしたらだけど、ケイは前の世界でもそんなだったのかな」
一人で抱え込み、一人で解決しようとする。相談とか、協力という選択肢がそもそも存在しないような人物だ。
こちらの世界に来て、アリステアが組織する『鴉』でも、彼は淡々と、黙々と、任されたことをこなし、他の人間のしなければいけないことまで片付けてくれることもある。皆が一目置いているのも事実だが、いまいち、彼を同士としてよりは頼れる人として特別視している節がある。
彼自身が特別凄いことをしているのではない。事実は、周囲をよく見ているが故に、三手先を読み、行動が早いというだけ。だけ、というがそれも十分にすごいことではあるのだけど。
「神様とリーダーは違うんだよ、ケイ」
「それは、そうだろうな」
「どっちの方が偉いはわかるかい?」
「前者が」
「どっちの方が頼られるかわかるかい?」
「前者が」
肯定も否定もしない。けれど、一つ言い切れることは、
「だけど、人がついていくのは、後者だよ」
神様は初めから決まっているけれど。
リーダーは選ばれるものだ。
ついて行きたいと、そして、支えていきたいと、人が自ら選び、ついていくのは後者なのだ。
「君について来る人間は君にすべてを任せるために君についていくんじゃないよ。君を支えたいという気持ちと共に君についていくんだ」
神様は信仰するもの。リーダーはついていくもの。
「相談も、協力もしない。仲間を信じて、自分の弱さを認められない人間は自分のことを過信している馬鹿者だよ」
「随分な言いようだな。それに俺は自分のことをそこまで話していないが……」
自分の手のひらを見て景衣は小さな溜息をついた。
「心当たりが、ないこともない」
「やっぱりね! 君、プライドが高そうだからねえ。感情見せるのも自分のことあんまり知られたくないからだろ。俺を見てみろよ。なんて自分に正直なんだ! 美しい女性がそこにいれば部下の前でだって喜んで醜態晒して口説きまくるよ」
大きく笑って背中をベシンべシン叩くと、硬い表情だった友人はうっすら笑を浮かべた。
「アリスみたいな大人に、俺もいつかなりたい」
「ええ? 珍しく褒められた。女の子に声をかけられる度胸が欲しいってことかい?」
「そうじゃない。アリスみたいな、励まし方の上手い思いやりのある大人に」
励ましていたと、気付かれていたことに、やはり彼は観察眼が長けているなと感心する。
「あまり抱え込まない様に。君の妹さんは俺も、殿下も、君の仲間も皆で全力を尽くして取り返す。……ので、……あー、やっぱり俺は励ますの向いてないよ。とにかく抱え込んで本来の力が出せなかったら困るぞってこと」
思ったように上手に言葉を繋げられなくて自分のボキャブラリーが壊滅的なことを嘆く。ここでびしっと決めたらもっとかっこよかったんだけどな。
「よろしくお願いします」
立ち上がって深々とアリステアに頭を下げた景衣に、もちろん、と答えると、今度は彼は窓にお辞儀を。そして部屋の扉にお辞儀を。その都度、よろしくお願いしますと繰り返し言う。
何をしているんだと訝しんでいると、複数の窓からひょこひょこと何人も顔を出し、扉が開くと何人もがなだれ込んで来た。どいつもこいつも照れ笑いしながら、アリステアの真似をして、もちろん、と返す。
「盗み聞きしてたのか……。しかも気づかれてたなんてお前らかなり恥ずかしいね」
無作法な部下ばかりなのが少し寂しくなった。
気づいていなかったアリステア様に言われたくないですよ! 平和ボケのケイよりも鈍いアリステア様の方が恥ずかしいでしょう!
あー、あー、聞こえなーい。と、耳をふさいで部下たちの抗議の声を遮断した。




