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ちょっと短めです。
腕を組んで、部屋の端から端を行ったり来たりしている一応主を見守りながら、ジョシュアは後悔していた。
過去最悪の機嫌の悪さ。これをなだめるには最低でも一週間かかる。ああ、しかし初恋をこじらせた主はあの貧相な小娘がちょっとぶりっこをしてすり寄るなり機嫌取りをすれば過去催促で上機嫌に戻るかもしれない。
「遅い」
もう何度言ったかもわからないその単語。そして次に来るのは、お前にも責任がある。
「お前にも責任がある」
ほら、やはり。
「反省しています」
もう何度も繰り返したやりとりである。
「あいつもあいつだ! 行かないようなことを言って結局行くのか! 何なんだあいつは!」
「我が家の下働きですね」
「そういうことを言っているんじゃない! そして下働きでもない」
「では元王太子の女ですか」
「お……っ、俺の、女ではない……」
だが彼の中で無意識にあの娘に対する所有欲が芽生えているのも確か。口でそう言ってもどこかであの娘が自分の元にあるのが当然と思っている節もある。
羽衣子の姉の正論を押しのけてまで連れ帰ったのは正直笑えた。彼が人間個人に対しなかなか興味を示さない反面、興味を持てばとことん執着するのは傷つきたくないからだとジョシュアは分析している。
その彼が、いずれ必ず別れの時を迎える娘に興味を持った。それどころか人生で初めてであろう恋情を芽生えさせた。
観察している身としては大変に面白い。
「しかし、たしかに遅いですね」
もう日も沈んだ。この暗い中帰ってくるのは平和慣れしている羽衣子には困難だろう。
「まさか本当に手を出されて朝帰り、ということはないでしょうが……」
「言い切れるか! 何故オルフェに任せた」
使える物は使うのが信条。などと言えば、オルフェを使えるものとした判断がそもそもの間違いだったと指摘を受けるだろう。
さすがのオルフェでもカーティスの言う通り女なら誰でもいいということはないだろう。だが異界から来たあの娘は愛らしいわけではないが見れない顔でもない。男を誘惑できるほどではないが、萎えさせるような体でもない。
これはもしかしたらもしかするのか。
基本嫌いな幼馴染の元王太子に美しい初恋の思い出でも作ってやろうと思っていたが、失敗したか。さほど重要な課題でもないので落ち込むようなことではないが。
「はーい、お届け物」
ギシと音を立てて開いた扉から投げられる紙袋が五つ。中に調味料や食材が見える。聞こえた声は贔屓にしている魔族の情報屋。
しかし主が待っていた娘の姿はない。
「オルフェ!」
飛び出て行った主を追うと、オルフェは木の上からこちらを見下ろし微笑んでいる。
「ウイコはどうした」
「だーいじょぶだよ。危ないことなんてないからさ。怖い顔すんなよカーティス様」
ジョシュアも辺りを見回すがどこにも羽衣子の姿はない。
「どこにいる」
「ハロルド様んとこ」
見張っていろとジョシュアに言い残し小屋に戻ったカーティスはすぐまた出て来て、たずさえた弓矢でオルフェを狙う。
「芸達者ですね」
念力で払われたもののそれがなければ真っすぐ顔の中心に向かっていた。オルフェが念力を使えることを踏まえての容赦のなさだろうが、狙った位置からして相当怒っている。
「ウイコはどこだ」
「だーかーらー、ハロルド様のとこ」
カーティスほど芸達者ではないのであまり自信はなかったが、そういえば持っていたことを思い出してジョシュアも懐から取り出したナイフを投げてみる。
やはり慣れている武器ではないのでオルフェが立つ枝に刺さった。
「十分危険地帯でしょう」
「そんなことねえよ。あの子はハロルド様のお気に入りみたいだし、可愛がってくれるよ。ま、ウイちゃんのこと騙したみたいになっちゃったけどさ。ハロルド様は基本温厚だしいい男だし、すぐにほだされて俺に感謝してくれんじゃないかな」
「ふざけるな!」
ナイフを引き抜いて落としたオルフェはふっと笑を消した。
「ふざけてんのは、あんただろ」
ほう、と少しだけ感心した。まだ幼さも残る少年が、こんな表情をできるとは。仕事がら、知らなくていいことも多く知っているだろう。子供らしい純粋さは保てないのも仕方ない。
それにしてもその憤りと苛立ちを孕んだ顔は何を憂いているのか。誰を、哀れんでいるのか。
しばし観察していると、また、ぱっとあどけない笑を浮かべたオルフェはおどけた調子になる。
「俺はお金くれるお客さんの味方なの。カーティス様よりハロルド様の方が上客なんだよ。あ、ウイちゃんに罪はないからね。さすがの俺もウイちゃんが無理やり夜の試合に持ち込まれそうになったらハロルド様のとこからこっちに戻してやるよ。そんな心配ないと思うけどね」
「待て!!」
去るオルフェをカーティスが追いかけようとするのを止める。
「冷静になりなさい。オルフェを捕まえたところでウイコが帰ってくるとは限りませんよ」
「だが!」
「冷静に。確実に取り戻す方法を考えなさい。考えましょう」
最悪、城に押し入る決行日には確実に侵入し連れ戻せる可能性も上がる。だがそれでは主は納得しないだろう。ジョシュアの主は、一つの大きな組織の将でもある。不安定な状態で大きな作戦に向かうのも懸命ではない。
ならばより早く、より確実に、連れ戻す策を練らなければいけない。
星の出てきた空を見上げた。
「……まずはこの不甲斐ない状況を彼女の兄上に伝えることからですかね」




