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死んでしまえばよかったのに。
誰もいない廊下で、あの男の部屋の扉を見つめ呟いた。
「うわ……」
だから驚いた。落胆するような少年の声がして、振り向くと傷だらけの異界から来た勇者がげんなりとした顔でレダを見ていた。
「いらしたのですね、勇者様」
「いらしたってか、今いらっしゃったとこ」
平和な世界で育った武術経験のない勇者は日々鍛錬に勤しんでいる。
召喚された当初は、勝手に巻き込んだこちらの世界へ文句を言い続けていたが、魔王を倒さない限り帰れないと知ると渋々王の言うことに従った。
彼が出した条件は家族の捜索と保護。全てが終わったら必ず全員を帰すこと。一応、王も、宰相であるレダの父も了承したが、国民がそれを許すかどうか。レダは不可能だと思う。それをわかって教えていない以上、レダも彼を騙していることになる。
「……怖」
「私がですか?」
「うん」
「……」
「……」
聞こえてしまいましたか? と尋ねれば、また、うん、と返ってくる。
「できれば、見なかったこと、聞かなかったことにしていただけませんか?」
「言いふらすことじゃないから別にいいけど」
あっさりと了承され、拍子抜けしてしまう。瞬きを何度もして動揺を露わにすると、勇者はちらと扉を見た。
「俺には関係も興味もないから」
王子の部屋の前で、殺意のある発言をしていても。別世界の勇者様は興味がないらしい。本当に? と怪しんで視線をなげると、勇者は苦笑する。
「言っても俺が得することないだろ」
「そうですね……」
ふと気になって、自分の顔に手をあてた。
「そんなに怖い顔をしていたでしょうか」
「してたね。魔女みたいだった」
「そっ、そんな……」
ショックなのと恥ずかしいのとで青くも赤くもなっている顔を両手で隠す。
「お、お恥ずかしいところをお見せしてしまい申し訳ありません」
「そんなことで謝らなくてもいいって」
素通りして行こうとした勇者は立ち止まって振り返ると、レダをじっと見た。
「あんたさ、宰相の娘だったよな」
「え? ええ」
勇者と顔を合わせたのは召喚の儀が行われ彼がここに来た日だけだった。父の隣で勇者の召喚を見守り、挨拶だけ済ませた。あとは彼が武術の指導を受けているのをレダが一方的に見かけただけ。勇者の方はレダについてうろ覚えなのだろう。
「自分の親父のこと、信じてる?」
「……どういう意味ですか?」
勇者は父を、疑っている。
「ハロルド殿下に、何か言われたのですね?」
「ハロルド殿下? ああ、王子。まだここに来た日以来話してねえよ。何、王子とあんたの親父、仲悪いの?」
それは違う。誰が見てもハロルドは父に従順な若い王子。宰相の的確なアドバイスをきちんと聞き、父を慕っている。
けれど、レダはどうしてもあの男を信じることができない。
昔はあんなに父に反発し、優しい父を陥れようと画策していたくせに、ある日突然素直になった。人間はそんなに簡単に、急激に、変わらない。
「そういうわけでは……。ですが、あの方はよくないことを考えているに違いないのです。民のことなどなんとも思っていない。国を滅ぼしかねないお方なのです!」
「だから、死ねばよかったのにって?」
「あの方は、災厄なのです!」
勇者が他言しないと言ったのでうっかり、感情にまかせて口が動き止まらない。
「元彼の話してる里衣子にそっくりだな」
「モトカレ? なんですか、それは」
「こっちの話」
言語の統一を可能にする魔術も召喚の際組み込んだと聞いていたが、勇者の世界にしかない言葉は訳しようもないようだ。
「勇者様にも、ハロルド殿下に近づくのはお勧めできません。あの方に関わればろくなことにならないのです。カーティス殿下もそうでした」
優しかった王太子。兄のように慕っていた。
国のことを愛していたし、民も彼を愛していた。彼が生きていたならば、父と手をとりあい、平和で幸せな国を作ってくれただろう。
しかしその希望も潰えた。
カーティスがハロルドに毒をもったなど、未だに信じられない。あの優しいカーティス殿下がそんなことをするはずがない。
きっと、ハロルドにはめられたのだ。カーティスも、父も。
父は真面目で、優しい人なので、カーティスの処刑に大変心を痛めていた。今だって、カーティスの名前を耳にするたび、苦しそうな顔をする。けれど王族殺しは犯人が王族でも大罪なのだ。父は、王の下した判断に逆らえなかった。
「陛下も、父も、ハロルド殿下に洗脳されてしまったのです……。でなければ、カーティス殿下の無罪だってきちんと調べて実証できたはずですもの」
「カーティス殿下って、噂の処刑された王子?」
「はい。とても……、とても優しい方でした」
「らしいな。俺のことしごいてくれる兵士たちも、その王子に未練のある奴が結構いるみたいだ」
そう。彼は人望もあった。
だから、やむを得ず処刑を遂行するしかなかった父を恨む者もいる。違う。全部あの第二王子の陰謀なのに。そうに違いないのに。
「どうせ、毒をもられたというのも自作自演です。あるいはまったく別の人間の罪をカーティス殿下にきせてちゃっかり王太子の座を奪ったのです。あんな人、毒で本当に死んでしまえばよかったのに」
勇者は、可笑しそうに笑う。
「あんた美人だし、頭もいいんだろうなって勝手に思ってたけど。結構な馬鹿だな」
「なっ!? ば、馬鹿!? ……生まれて初めて言われました……」
ぎゅっと拳を握って失礼な勇者を睨みつけると、向こうはすました顔でレダと向き合っている。
「それとも気づかないふりしてんの? わからなくもねえよ。俺みたいな部外者の方が、客観的な見方はできるんだろうし。ハロルド王子もうさんくさい雰囲気あるし。けど自分の家族とくらい、あんたもちゃんと向き合った方がいいんじゃねえの」
「私はっ、お父様のことをちゃんとわかっています。他の人がお父様を悪者にしようとしても、私だけは、お父様がお優しいことを知っています!」
「何で他の人があんたのお父様を悪者にするのか、考えるのを避けてるうちはただの知ったかぶりだろ」
そんなことはない。わかっている。全部。悪いのは全部あの意地が悪くて性根の腐った第二王子だ。父は何も悪くない。税を重くするのは事情があるから。魔族と戦争をするのは、魔族が危険だから。民を危険にさらしたいわけじゃない。自らの利益のためなんかじゃない。父は、王に忠誠を捧げている。
「失礼ながら! 知ったかぶりは勇者様の方ですわ!」
「……ごめん」
「え?」
急に笑を消し、暗い顔になった勇者に戸惑う。こんなに一瞬のうちに反省なさっている……? しかもかなり落ち込んでいる。さっきまでの勝気な態度はどこへ?
「ご、ご理解くださったならいいのです! 何も私だって、勇者様を責めたいわけでは」
「じゃなくて」
突然、勇者は壁によりかかりずるりとしゃがみ込んだ。
顔色は最悪。
「医者呼んでくれないか。できるだけこっそり」
「え? えっ? どうなさったのですか?」
「さっき稽古中に頭打ったんだよ。大したことないはずだけど」
「大したことがあるではないですか! どうして放置なさったんです!」
「声でかい。響いて痛い。仕方ねえだろ、後ろに人がいたの気づかないで衝突したんだよ。かっこわりーし、相手の方が真青だったんだから大袈裟に言えねえだろ」
真青になるのも当然。これから人類を救う勇者様に何かあってからでは遅い。
「何をおっしゃっているの!? 優しさのつもりかもしれませんけれど、重症化して死ぬくらいならば早期に解決しなくてはそのお相手は更に苦しい立場になりますよ。馬鹿はどちらですか! 貴方なんて、結構な馬鹿どころか大馬鹿者の中の大馬鹿者ではありませんの!?」
「うるせえっての! その時は大したことねえと思ったんだよ! 早く医者呼んで来いって」
「それで人に物を頼む態度ですか!」
「ちょ……、マジで、頼むから、早く呼んでくれないとそろそろ意識とぶ……」
「あ、そ、そうでした……! すぐ、すぐ連れてきます!」
なんて失礼な勇者様! 選ばれし方というくらいだから、もっと紳士的で素敵な方を想像していたのに! けれど勇者は彼一人。代わりはいない。ここで死なれては困るのだ。カーティスが亡くなった時のように、民は希望を失ったと嘆くことだろう。
あんな悲劇はもうたくさん。
ドレスの裾を持ち上げて、レダはマナーなど気にせず大股で城内の医者の元へ走った。




