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 悪化させる原因になりかねないアリステアを追い返し、ベッドの横に戻って溜息をついた。病人は苦虫を噛み潰したような顔で目をそらす。


「今日明日で治せるんですか?」

「愚問だな」

「それはどっちですか? 治せるに決まってるって言ってるのか治せるわけないって言ってるのかわからないんですけど」


 額にタオルを乗せて目を閉じたカーティスは息苦しそうに呼吸をしている。水桶を、ダン、とカーティスの枕元に置いたジョシュアはタオルをぬるくなってきたタオルを奪いそこにつける。


「愚かなのはウイコの問いよりも昨晩の貴方ですよ。こんなに大事な時にもう何年もひいていない風邪をひくとは。馬鹿でも風邪をひくというのを、何も今実証しなくてもいいでしょう」


 寒くなったら入ってくるだろうと放置していたのがいけなかった。一晩中寝ないで外にいたカーティスは朝になるとおぼつかない足取りでベッドに倒れ込んだ。

 もう朝食の準備にとりかかっていた羽衣子が様子を見守っていれば、のろのろともぐりこみ、これから寝ようとしていた。

 額に手を当てればやはり、熱があり。床に寝て無理やり泊まったアリステアは大変だ大変だと朝から大騒ぎ。床で寝た癖に大変元気だった。


「寝てないで疲労を逃がさない上に外に出てれば風邪をひくに決まっているでしょう。しかも薄着で」


 ろくにしぼらないでびたびたのタオルをカーティスの額に乗せなおしたジョシュアは足音をたてながら席に着き朝食をとりはじめる。

 三日だけ確保した休暇中に風邪をひいたというのは不幸中の幸いか。しかし自分の馬鹿な行動の末ひいた風邪なので本来気を付けていればこうならなかったと考えただの不幸と考えるべきか。


「何で入らなかったんですか? 寒かったでしょう?」


 タオルをしぼりなおしながらカーティスに訊ねるが返事はない。そこまで意識が朦朧としているのか。

 タオルをのせながら、きちんと聞こえるように耳元で大きな声で訊ねる。


「朝ご飯、食べられそうですか?」


 顔面に大きな手が被せられた。


「近い」

「親切心からの距離ですよ」


 それに貴方、今まで人との距離をあまり気にしていなかったでしょう、と今までのことを思い出す。羽衣子の顔が近いからと意識することもなく、不愉快がることもなかった。


「……いらない」

「駄目ですよ。食べないと治るものも治りませんよ」

「なら訊くな……」


 声が弱弱しい。普段の彼ではなかなか見れない弱った姿が可愛くて可笑しくて噴いてしまった。


「人が風邪で苦しんでいるのに随分楽しそうだな」

「自業自得のくせに態度が大きいな……」


 おかゆは米がないので作れない。果物をすりおろすのでいいか、手抜きだけど。短時間でさっさと作って出して、食べさせて。

 寝不足なのはわかっているので、とりあえず病人は黙って寝ていろと言いつけて寝かせた。


「あの、ジョシュアさん。はなれないんですけど」


 寝付く直前まで、果物を食べている間も、何が面白いのか羽衣子の指をいじっていたカーティスは赤ん坊がするように羽衣子の指を握ったまま。これが本当に赤ん坊にされるなら指を一本一本開かせて抜け出ることもできるだろうが、相手は剣を握って稽古をしている二十歳。

 助けてくれないだろうなと思いながら、しかし他に誰もいないのでジョシュアを呼ぶ。


「今日は休みですからね。離れなくてもいいのではないですか。私の昼食はカーティスが残した朝食で結構ですよ」

「ずっと木の椅子に座って大人しくしていろと……」


 いつ起きるかもわからないのに。おしりも痛い。


「そして一番の問題はこの人の力が強すぎて私の人差し指が駄目になってしまうことで」

「指一本がなんですか」

「右手の人差し指が駄目になったら調理も一苦労なんですけど」

「それはゆゆしいですね。首あたりをくすぐれば緩みますよ。弱いですから」


 それは起こしてしまうのでは。

 恐る恐るくすぐると、小さくふふっと笑ったカーティスの手が本当に緩んだ。


「ジョシュアさんは歩くカーティス辞書ですね」

「そんな実用性のない辞書は果たして必要なものでしょうかね」

「実用的ですよ。今役に立ちましたから」

「無知な小娘の指程度の価値しかないならそれは無価値と一緒でしょう」


 無知な小娘でも三食作る便利な小娘なのだからまあまあ価値だってあるだろう。


「風邪、明後日までに治りますかね」

「どうでしょうね。少なくとも過去に彼が二日以上寝込んだことはありませんから、心配ないとは思いますが。最近はワイルドな生活をして逞しくもなったので、案外今夜にはもうけろっとしているかもしれませんね」


 やっぱり、歩く王子辞書。


「嫌いなのに、心配なんですね、カーティスさんのこと」

「……どうでもいいことを、よく覚えていますね」


 どうでもいいことではないし、忘れられるようなことでもない。


「私が、カーティスを裏切るかもしれないと疑っていますか?」


 だから、そんな話を持ち出したのですか、と、ジョシュアはガラス玉のような目で微笑む。そう思ったことがあるのも事実。


「やはり、考え方がまだ幼いのですね。大人は大変なのだと言ったでしょう。私はカーティスをよく思っていません。ですが、彼に仕えたいという気持ちも、忠誠心もあるのですよ」


 カーティスの寝顔を見つめるジョシュアの目に、カーティスが映っていないような気がした。


「どのみち、貴女は知る必要のないことですね。あまり、我々のことに心をさかずともいいのですよ。あと少しすれば、もう二度と関わらない、文字通り別世界の人間なのですから」


 二度と関わらない。

 先ほどまで掴まれていた人差し指がじんわり熱くなっていく。


「せいぜい、カーティスの綺麗な思い出になってくれれば。貴女にはそれ以上の期待はしていません。思い出だけでいいのですよ。美しい記憶さえあれば、人間は、生きていけます」


 嫌い。でも、子供じみた嫌悪。

 カーティスに向けられるジョシュアの目には愛情なんてないけれど、殺意のような強い憎悪もない。


「私のことなんて、すぐに忘れちゃいますよ。カーティスさんやジョシュアさんからしたらただの食事係ですから」

「私にとっては間違いなくそれで間違いありませんがね。……彼に恩を感じているなら、彼が、思い出すだけで満たされるような記憶を貴女が作りなさい」


 思い出すだけで満たされるような記憶。

 ジョシュアの言葉を復唱する。


「無理ですよ」


 顔を顰めるジョシュアに言い聞かすように言う。


「思い出すだけで満たされるような記憶なんて、存在しませんから」


 もう二度と会えない人の記憶なんて、ない方がいい。綺麗さっぱり忘れられた方がいい。母は、もう二度と会えない父のことを思い出す話をすると懐かしそうにしながら悲しそうに笑う。

 ある程度大きかった、父の記憶が兄弟の中で一番多い姉も同じ。

 綺麗な思い出は、尊いかもしれないけれど、二度と感じることができないという悲しみは何よりも上回る。

 写真でしか父を知らない羽衣子や弟の方がよっぽど気が楽だ。


「すぐに忘れられる方が、きっといいですよ」

「いいえ。これから彼は、うまくいってもいかなくても忙しい日々に襲われます。縋る思い出さえあればまだ、彼は安らげる。……私が、そうであるように……」


 くいっと、軽い力で髪を引っ張られた。皮肉っぽく笑ったジョシュアは腰に手をあて、羽衣子を見下ろしている。


「人の心を見透かすように喋る生意気な小娘。自分の心は見えていないのですね。私が教えてあげましょう」


 聞くべきじゃない。

 本能がそう告げているのに、まっすぐ見下ろして来る目から視線が外せない。


「貴女も、彼の記憶に残ることを望んでいるのでしょう」


 何を。


「何を言ってるんですか」


 そんな、無意味なことを、望んでいるわけがない。


「いつか気づけるといいですね。……後悔しないように、きちんと自分の心を向き合うことをお勧めしますよ、小娘」

「自分の気持ちなんて自分が一番よく知ってますよ」


 心臓の音が大きくなったのは、嫌みなにやけ茶髪に言い返したせいで罵倒語がふってくるのを警戒しているから。

 核心をつかれたからではない。


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