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 よくやりますね、まったく。

 不本意ながら、ジョシュアの言葉に羽衣子も頷いてしまう。

 町への散歩から帰ると、ジョシュアだけでなくアリステアも家で待っていた。休暇中であるので仕事のためではなく、憧れの殿下に会いに来ただけだというが、とうのカーティスは勘弁してくれといった様子。

 そして、憧れのカーティス王太子殿に相手にしてもらえないアリステアが暇つぶしのように選んだのが羽衣子だった。お茶を飲んでまったりしている最中に周りをちょろちょろされたり、ボディタッチが多かったり。

 そんなレベルの低い女のご機嫌取りをよくやりますね、とジョシュアは言いたいのだろう。


「そりゃあ、魅力的な女性がそこにいるのなら、声をかけるのが男としての礼儀だからね」

「魅力的な女性? 残念ながらこの場所でそれを見つけるのは私には困難ですね。どこにいるのでしょうか」


 ジョシュアの嫌みは右耳からいれて左耳から抜いていく。


「家庭的で、食事のしかたが綺麗で、少しつれないところにおとし甲斐がある。ね? 魅力的だ」

「アリステア殿の年齢を考えればウイコは幼いという域ですがそこには触れないのですね。幼児体型の地味顔でも女性ならいい、ということでしょうか」


 無視、無視。平常心、平常心。


「若いなあ、ジョシュア殿。容姿というのは大切なようでそうでもないんだよ。まったくどうでもいいかと訊かれればそういうこともないが」


 胸をはって言うアリステアを見ないでふふふ、と羽衣子は笑った。うちの姉の美貌に目の色を変えて口説きにはいったのはどこの誰だったか。その顔で三十まで独身なわけだ。恋人もいないわけだ。やっぱりこの人、この先もなかなか結婚できそうにない。


「恋は盲目だよ。恋におちれば、突然、その女性が誰よりも愛らしく見えてしまうものさ」


 アリステアのキザな言い回しに、そんなの言葉のあやですよ、とツッコもうとして言葉を失った。アリステアの顔が一瞬のうちにびしゃびしゃに濡れた。

 アリステアも羽衣子も何が起こったのか咄嗟には理解できなかったが、アリステアの向かいに座り、せき込んで顔を真っ赤にしたカーティスが口元を拭っていたので、ああ、はいはい、噴き出したのね、とわかった。

 口元をおさえて俯いているジョシュアは、隣に座っているカーティスの背中をさすっている。


「大丈夫ですか? カーティスさんも、アリステアさんも」

「ふざけたことをぬかすなっ!」

「えっ!? ふざけてないですよ?」


 いたって普通に心配しただけで。むせたみたいですけど大丈夫ですか? 顔びっしゃびしゃですけど大丈夫ですか? と。

 勢いよく立ち上がったカーティスの椅子が後ろに倒れて音をたてる。


「俺の目がおかしいのは、疲れている以外にない! そんな、確証もない戯言をぬかすな! 断じて、これは疲れ目だ!」


 アリステアと羽衣子の顔を交互に見て怒鳴るカーティスは真っ赤になって途中途中むせたり甘噛みしている。


「何の話ですか?」


 腰を引き気味に苦笑して訊ねると、歯ぎしりをして一分近く睨まれ、「……頭を冷やしてくる」と彼が出ていくまで緊張状態が続いた。

 ぶっ、くくくっ、と、部屋の隅によけたジョシュアの笑い声で体に入っていた力が抜けていく。


「あ、タオル」


 顔拭きたいですよね、アリステアさん。あ、そんなことなさそうですね。

 背筋がぞくりとした。

 額をおさえたアリステアはうっとりとして空を見ている。あのカーティス殿下から直接このような罰を与えていただけるとはうんたらかんたら。

 顔にお茶を噴き出されてこの喜びよう。ただの女好きのアラサーの方がよかった。カーティス本人に気持ち悪がられるのも仕方がない。

 そっとアリステアの傍にタオルを置いて、気付かれない様に部屋の奥に逃げた。




***




 自信なんて、欠片もない。

 本当はわからない。何が正しいのか、誰が正しいのか、そもそも、正しくいるのが正しいことなのか。

 この体は、国民に作られた。十五まで、食べられたのも、眠れたのも、学べたのも、国があるから、国民がいるから、王族である自分に与えられていた。与えられるのは、見返りを求められているから。求められている見返りは、『幸福』。果たして幸福とは何か。カーティスが幸福とするのは、平和だった。全ての人間がそうでないかもしれない。けれど、自分と同じ考えの人間が多いことは知っている。

 だから、良い王になるために、正義であろうとした。

 人の優しさにふれるたび、それを守りたいと思った。

 自分の頭を撫でる父や母。自分に多くの教えをくれた宰相。自分に懐いてちまちまついてくるその娘。宰相のことで衝突していても、きちんと、自分の意見を聞き、きちんと、話し合ってくれる弟。自分のことが嫌いなくせに、世話をやいてくる幼馴染。

 ああ、なんと幸せなことか。この幸せを感じ、余韻に浸れるのは恵まれた環境故。なおのこと、国に尽くそうとした。

 しかし、もう自信はない。

 信じていた父や宰相の優しさは表面上のもの。自分はあっさり切り捨てられるものだった。それだけなら、いい。

 問題は、ここまで自分に知識や思想や志を説いてきた宰相が、自分と別の場所に立っていることだった。

 この胸にある意志は、もしかすれば自分のものではないのかもしれない。あるいは、自分より多くを知る賢い宰相があちらにいるということは、あちらの方が、本来、国のためなのかもしれない。

 そんなはずはない。

 そんなはずはないと思いながら、しかし現に自分は一度失敗し、今、頂点に立ち優位にいるのは宰相である。

 俺がおかしいのか? そう思うのは、宰相の言葉ならば何でも鵜呑みにする父や弟を見てしまったせいかもしれない。洗脳というのは案外簡単にされてしまうのだと。だから自分も知らず知らず、誰かに洗脳でもされているのかと。俺の意志は、本当に俺のものか?

 王家や宰相に対抗するなどと宣って、本当は自分に、大きな力を引っ張る技量などないのではないか。

 思えば自分は、誰にも求められていない。

 自分に学をつけさせた宰相は、従順な人形が欲しかった。平和を! 自由を! と声をあげる民が求めるのは、脚色され、ほとんど原型を残さない架空のカーティス王太子。

 虚しかった。

 誰かに求めてほしい。見つけてほしい。そんな我儘を言える立場でも年でもないくせに情けなくて、惨めで。こんな子供じみたくだらない我儘を持つ自分にどんどん自信が奪われる。

 王子でなければよかった。そんなことは思わない。

 王子でない俺を見てほしい。そんなことも思わない。

 ただ、架空の王子ではなく、本物のカーティス王太子を知った上で認められたかった。



――カーティスさんみたいな人が王様だったらいいなって、思います。



 今まで一度も口に出したことのない我儘に気づかれた。それは恥かしかったが、胸がすっと軽くなった。

 それから彼女の前にいると自分は自信を持つべき、持っていい、一個人になれた。架空の王子ではなく、俺のような人間が上にいてもいいと、一人でも言う人間がいるなら。もう、いいかと開き直った。

 架空の王子を知らない彼女の隣は、居心地がいい。


「違う」


 風にあたりながら呟く。


「違う。あれは、いつか」


 あの女はいつか。遠くない未来。いなくなる。消えていく。二度と手の届かない場所に。あの女の隣は、居心地のいい場所は、永遠ではない。


「違う。違う」


 本来なら、出会うはずもなかった存在。だから、違う。この感情は、違う。そんなはずがない。そんなこと、あるはずがない。


「あ! 帰って来たんですか。アリステアさん、泊まる気満々なんですけどどうしますか?」


 自分の足音を聞きつけてきたのか、家のドアを開けて顔を出した彼女を見て、落胆した。

 違わない。違っていればよかった。

 まだ、彼女がここにいる。まだ、帰っていない。胸をなでおろす。扉にかけられたその手首に自分の贈ったものがあるのを見て、優越感がこみあげてくる。

 恋は盲目。そのせいかどうかはわからない。もともと、それなりの顔ではあったから。けれど今は、誰よりも、その容姿が愛らしく見えて、その声が愛おしくて、いなくなることを考えるのが恐怖で。


「違う」


 わざと声に出す。


「違う、これは、目が疲れているからだ」


 いいや違う。この女が自分にとって特別だからだ。


「だから、何言ってるんですか? どこ行ってたか知りませんけど、早く入ってくれないとドアが閉められなくて寒いんですけど」

「その辺を歩いて来ただけだ……まだ少し外にいる」

「そうですか。風邪ひかなきゃいいですよ。毛布持ってきましょうか」

「いらない」

「本当に、風邪ひかないでくださいよ」


 扉が閉まると同時に、深呼吸をする。

 そんなことを、考えている場合か。俺はまだ成し遂げていない。国への恩を返していない。自分のことに、うつつを抜かしている場合じゃない。

 いなくなる女相手に、こうして、いつか会えなくなる未来を嘆いている場合じゃ、ないのに。


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