20
魔王と契約を結んでまで倒そうとしている相手が魔王と取引を終えたばかりに現れる。これにはカーティスだけでなくアリステアやジョシュアさえ動揺を隠せていない。
初めからその存在を認識されていた魔王だけは、何がばれようが人間の王家と敵であることに変わりはないのでどっしりと構えている。
もう一人の王子ということはカーティスの弟。弟王子を通すかどうかは魔王次第。まさかカーティスがいるところに通すほど無神経ではないと思うが。
念のためすぐにフードをかぶったカーティスとアリステアとジョシュアにならって、なんとなく必要のない羽衣子もフードをかぶった。
通すのか、通さないのか。
はらはらしながら魔王を見守っていると、何も発さず微笑んだ魔王は扉の方を見た。
「随分と無作法な客人だ。俺の返事も待てなかったか」
魔王につられて扉の方を見る。
息をのんだ。現れた青年があまりにも……。
「喧嘩を売りに来た人間がお行儀よくしたところで印象はよくならないでしょう」
肩をすくめ涼し気に微笑む青年は、カーティスと同じようにさらさらとした、しかし金ではなく黒い髪を耳にかけ、のんびりした足取りで部屋に入ってくる。彼の後ろには数人の護衛が。
魔王への敬意をはらっていたカーティスは許された護衛の少なさに異を唱えることはなかったが、彼はそうでないから、出された条件も無視したのだろう。
「お久しぶりです。ご無沙汰をしております、魔王陛下」
微笑みを浮かべた青年は緊張した様子もなく、柔らかい物腰で挨拶をする。
「この度は、陛下への礼儀として宣戦布告に参りました。勇者召喚のことは魔王陛下の耳にも入っていらっしゃることでしょう。予告なく攻撃をしかけるほど、我が王家は廃れておりませんので」
予告なく城に乗り込もうとしているこちらとしては痛いことを言われてしまった。
「よほど自信があるらしい。正面から戦っても勝てるという確信があるのか」
「まさか。終わるまで、勝敗はわかりません。父も宰相もこちらに予告をすることを反対していたのですが、それが最低限の礼儀かと思いましてね。知らせようが知らせまいが勝つときは勝ち、敗けるときは敗けます。それが戦争だ」
魔王がにやにやしながら、青年の後ろの護衛を見る。
「その程度の戦士で俺をしのげると思ったか。君を殺すことなど容易い。よくも俺の前に、許可も取らずに出てこれたものだ。君の父や宰相なども、もう一人しかいない大事な王子をよこせたものだな」
青年はくすくす笑って腹をおさえた。
「私を殺しても貴方にメリットはない。貴方は無駄なことをしない主義だ。むしろ、王子を殺した魔王の話が知れれば人間側に開戦派が増える。万一私が殺されたとしても、父や宰相が困ることはありませんからね。私に何かあれば、王家の血は絶えるが、代わりに勇者がいます。いくらでも代えはきくのですよ」
魔王の横にいた姉が声をあげようとして魔王に口をふさがれた。羽衣子も、カーティスに。兄も、アリステアに。
勇者が代わり。弟が代わりに? 冗談じゃない。
ふざけるなと男の方へ行こうにも腕を使って口を塞がれ腹にも腕を回されているので動けない。
「あまり長居をするつもりで来たのでもありませんし、遊びに来たわけではないので手土産もありません。要件は済ませたので、失礼させていただきますね」
青年が振り返るのとほぼ同時に、暴れていた羽衣子とそれをおさえていたカーティスのフードが取れる。
カーティスの顔を見た青年は予想通りとでも言うように嘲るような笑を浮かべ、しかし声をかけずに出て行こうとする。
けれど、少し目線をずらし羽衣子と目が合うと立ち止まり、目を見開かせた。
「あ……、お、弟、を……」
弟を返してください。
羽衣子が言い切る前に速足で近寄って来た青年はカーティスの腕を羽衣子からはなし、羽衣子の腕を引っ張った。
そのまま体は青年の方に倒れ込む。
顔を上げれば間近に、カーティスと同じ色の瞳をした黒髪の青年の顔。
――あ……、やっぱり、似てる。
入って来た時も思った。
顔の作りはあまり似ていない。けれど雰囲気とか、表情の動き方が、喋り方も、被って見えるほどカーティスに似ている。
消えそうな声で、青年が呟く。
「どうして、こんなところに……?」
腕を引っ張った手は離され、代わりに青年の両手が羽衣子の両の頬を包んだ。
「そうか……、勇者は……ニサカ……。だから、君が……。そういうことか」
驚いた顔をしていた彼はゆっくり目元を緩めていき、泣きそうな微笑みを見せた。
「君を、ずっと待ってた」
「え? あ、あの……、どこかで」
会ったことはないはずだ。こんな綺麗な顔を見ればそうそう忘れない。それに、この世界に来てからそう多くの人と関わっていない。おそらく間違いなくカーティスの弟の王子である彼と接触するような場面に出くわした記憶もない。
彼は微笑んだまま、羽衣子の頬を親指で撫でて首を横にふった。
「君が僕を知らないならそれでもいいよ。思い出そうとしなくても、いい」
ハロルド殿下、と、彼の護衛らしい男が彼を呼ぶ。
振り返って男に頷いた彼は羽衣子の頬に口づけて、そこからあまり動かずに耳に口を寄せた。
「またね、ウイコ。名残惜しいけど、もう行くよ」
そっと離れた彼はやはりどこか淋しそうに笑って、護衛の男たちの方へ足を向けた。
魔王に軽い会釈だけして出て行った彼を呆然として見送りながら耳に手を当てる。
名前を呼ばれた。彼は私を知っている? 『思い出そうとしなくてもいい』? 思い出す? 思い出そうとすれば、記憶のどこかに彼がいる?
けれど彼は異世界の人間。この世界に来て一月程度という短い時間しか経っていない。そのわずかな時間はほとんどずっとカーティスとジョシュアが一緒にいた。敵である彼と会っていたら大問題だ。
ハロルド殿下と呼ばれていた。
ハロルド。
聞いたことのない名前。
「ウイコ!」
肩を掴まれ、今度目の前にあるのは金髪の、よく知っている元王子の顔。
「何もされなかったか? 気分を害することを言われたか? 何ともないか」
「はい……、そういったことは何も。大丈夫です」
囁くように語りかけてきたハロルドの声は、カーティスや他の人物には聞こえていなかったらしい。
何ともないが、気になることは沢山言われた。
「あ! それより、カーティスさんが生きてるってばれちゃったんじゃ……」
「……弟は……、ハロルドは俺が生きていることを知っている。言っただろう。俺を逃がしたのはあいつだ」
一度、ほっとしたが、すぐに駄目なことに気付く。
「でも、カーティスさんが革命を起こそうとしているとばれたら、弟さんも宰相さんにばらしちゃうんじゃ……」
「あいつはそんなに馬鹿じゃない。俺を逃がしたことを言えば俺と繋がっているかもしれないと宰相に疑われ先に自分が潰れることもわかっている」
どうでしょうね、とジョシュアが珍しく口角を下げて天井を見上げている。
「カーティスはハロルド殿下やマーティス卿にとって最大の脅威になりえる。報告をしなければ大惨事になりかねません。ハロルド殿下が本当にマーティス卿に心酔しているならば、知らせないわけにはいかないでしょう。貴女は、事の重大さがわかっていますか? 自分が何をしたのか、わかっているのですか、ウイコ」
そうだ。羽衣子を止めようとしたから、カーティスの顔も見られてしまった。羽衣子が大人しくしていればフードが取れて、ああもはっきり顔を見られることはなかった。
「ごめんなさい……」
「よせ、ジョシュア。お前も気づいていただろう」
真顔になっていたジョシュアは、ふっと人の悪い笑を浮かべる。
「ハロルドは入ってきた瞬間から俺とお前に気づいていた。目も合った。ウイコが何もしなくてもばれていた」
「感情に任せて行動しようとする未熟な小娘にはいい教訓になったでしょう。これから我々と行動を共にするならば、もっと冷静さを持たなければいけません。カーティスの言う通りではありますが、反省はしなさい、ウイコ」
その通りだった。自分から彼らと行くことを選んだのに、これでは今まで以上に彼らの足を引っ張ってしまう。
「はい……。すみませんでした」
「素直でよろしい。安心なさい。カーティスの言う事は間違っていません。ハロルド殿下はそんなに危険な橋は渡りません。カーティスの生存は彼にすればあえて報告することではないでしょう。頂点にいるのが誰であれ、レジスタンスは粛清されます。王家やマーティス卿がこれまで行ってきたことをそのまま続けるだけです。ならば、最優先は保身」
はい、ごめんなさい。はい、すみません。
素直に返事をして謝罪を繰り返すと、どんどんカーティスとジョシュアの表情が浮かなくなっていく。
「どうしたんですか?」
「素直すぎて気味が悪いな」
「嵐が来なければいいのですがね」
酷い、と唸ると、日ごろの自分を思い返せと二人から言われてしまった。
「落ち込み過ぎだ。らしくもない」
苦笑したカーティスが羽衣子の頬に触れる。指が、耳をかすめる。耳にまた人の熱があたったせいで。
――またね、ウイコ。
黒髪の王子の声がまた聞こえた気がした。
またね。
また、会うことがある?




