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兄のマントの中に入って顔だけ兄の顔の下からぽっこり出した。兄の隣にいるアリステアがマントを広げてこちらへおいでと誘ってくるがそれは無視して、兄にもたれかかりながらがくがく震える。
「この恐怖は予想外だった」
俯いて口元だけで笑う。せめて笑っていないと、笑って頭を誤魔化さないと絶叫しそうだった。
けろりとしたカーティスは腕を組んでふん、と鼻を鳴らした。
「魔族と人間は意味もなくいがみあっていると言っただろう。魔族連中にとってこの状況はあれと同じだ。家の中に害虫が侵入するとお前が嫌な顔をするのと同じだ」
「今の私たちは害虫なんですか」
「そこまで極端に略すな」
魔王城に到着し、中に入ることを許されたのは王子と王子の付添人、つまりカーティスとジョシュアで、姉の兄弟だと言えば羽衣子と兄、そしてその付添人を一人許されアリステア。ここまで一緒に来た他のメンバーは外で待っている。
王子を敵に回して即戦争を避けたいのは魔族も同じらしく、客間に案内はされたもののどの魔族も怪訝顔でこちらを観察している。敵意むき出しの者もいる。
フレンドリーなのは種族の問題ではなくオルフェ個人の問題だったのか、とあの無邪気そうな魔族を思い出す。
部屋に控えている魔族の兵士もヒソヒソ話している。
あれは確か死んだはずの第一王子ではないか。どういうことだ。そんな声が聞こえる。そしてそれとは別に、兄弟はアレほど馬鹿そうではないな、という声も。
「カーティスさんを守れる最低限の人数を連れてきたのに、結局外で待たせることになるなんて、皆さん気の毒ですね」
「ああ、いいのいいの。カーティス殿下の護衛をここまでできただけで大変に光栄なことだからね。女の子との旅も楽しめて、いいこと尽くしだったんだから誰も不満なんてないよ」
いやあ! そう考えるとここまで俺が殿下の護衛をできたことは最上の喜びだ! ねえ、殿下! とカーティスに尻尾をふるアリステアに羽衣子は苦笑する。
『鴉』に所属しているのは男だけなので、女は珍しいらしく旅路でかなり優遇されていたなとは思う。けど美しい姉に会ったらここまで一緒に旅をしてきた優しいおじさんたちも自分のことを一瞬で忘れるだろうなと未来を想像して鼻で笑ってしまった。
「それに何かあれば転移の魔法で城の門くらいまでは俺だけでも殿下を避難させられるし、彼らの出番があるとすればそこからだ。丁度いい役割分担だよ」
「アリステアさんは魔法使いなんですか?」
「魔術師になる予定だったならず者だよ」
はっとしてアリステアをまじまじ見つめる。
「若さ維持の魔法を使ってるんですか?」
「それって俺が若いってことかな? 嬉しいことを言ってくれるねえ。大丈夫だよウイコさん。俺は女性であればどれだけ年の差があっても」
何も大丈夫じゃない、と兄がアリステアを睨み、カーティスは老体は無理をするなと慰めるようにアリステアを貶める。
ちなみに若返りや若さを維持する魔法はまだ発見されていないそうだ。
「若返りの魔法なんてあったら最高だけどね」
兄や信仰しているカーティスの意地悪も気にしないアリステアは悲しそうに笑う。しかし三十でこの若さのアリステアが若返ったらどうなるのか、何も変わらないのか、更に子供のような容姿になるのか、想像力の乏しい羽衣子には想像しきれなかった。
「そうですかね。年をとるにつれて人間は経験をつんで綺麗になるって、姉は言っていましたけど」
おばさんになってもおばあさんになっても、綺麗な人は綺麗。むしろ、真に美しい人は年をとるにつれて美しくなる。と姉は長々語っていた。
頭のいい姉は言う事にも説得力があるので、なるほど、と思うことが多い。
皺だって、美しい皺ってのがあるの。よく笑う人は横向きの皺ができるでしょ。あれはいい皺。
そう姉に聞いてから時々母や先生の皺の向きを確認するようになった。ついでに母は、横向きの皺が多かった。
「お前の姉はどんな人物なんだ?」
カーティスの質問に、一言でどう答えればいいのかわからなかった。十七年一緒なのに、いや一緒だからこそ、一言では表しようがない。
「性格が悪くて男運がない、いい女」
「それだ」
兄の簡潔にまとめた姉の像に頷いてしまう。
「お兄ちゃん、お姉ちゃんに直接いい女って言ったことないよね」
「自分の姉貴に言う事じゃないだろう。お前こそ性格が悪いなんて言わないだろう」
「性格が悪いって直接本人に言う事じゃないし……。でもお姉ちゃん、自分で自分の性格が悪いって言ってるし、やることえげつないし、否定することもないから」
あと男運も壊滅的。
モテるし、常に彼氏はいても長続きしない。
ふと、カーティスと目があって、あ! と声をあげる。
「自分に自信のあるカーティスさんみたいな」
「それは俺の性格が悪いと言いたいのか」
「え? 自分の性格がいいと思ってるんですか?」
「おい、そこから出てこちらへ来い。お前の口の悪さは俺の性格を言えない。一度痛い目を見ろ」
一度どころじゃない。既に気に入らないことがあると度々叩かれていたような気がする。
「何か痛いことされる前提でこの安全地帯から出たら私はただの馬鹿ですよね」
兄のマントに鼻まで隠れ直す。
「性格のところじゃなくて、いい女ってところをひろってください。ほら、褒めてる。カーティスさんのこと、性格が悪くていい男って、私は褒めてるんですよ」
「そんなことで誤魔化されるか」
腕を探り出されてそのまま兄のマントの中から引きずり出された。最強のバリケードだと思っていたのに案外兄もあっさり羽衣子を手放した。
そのままカーティスの方へ倒れた羽衣子はこれから与えられる痛みを伴う罰にビクビクしながら見上げる。
「他にも言え」
「は?」
ジョシュアがどうでもよさそうに壁にかけてある絵を眺めながら羽衣子に説明をする。
「いい男と言われたのが満更でもなかったんでしょう」
「そうなんですか? 褒められ慣れてそうなのに」
「面と向かって社交辞令っぽくない褒めには慣れていないんですよ。性格のせいで友達も少ないですからね」
あはは、と羽衣子は声をあげて笑う。
「性格云々、一番悪そうなジョシュアさんに言われるなんてカーティスさんも可哀想ですね」
「改めて痛い目を見ますか? 無礼な小娘」
ぶんぶん首を横にふって全力で否定しながら猛反省する。このにやけは絶対に敵に回したらいけない。カーティスと違って女子供だろうが容赦も情けもかけないに違いない。
「うー……んと。顔は綺麗ですよ」
「知っている。だからなんだ」
「カーティスさんって、嫌な人ですね」
顔が綺麗は彼の中では褒め言葉にならないらしい。言われ過ぎたのか。客観的事実を素直に受け入れてそれがどれだけ恵まれたことかわかっていないのか。
どの道、かっこいいですね。知っています。なんてやりとりは言い出した側のストレスがはんぱじゃない。自分から綺麗な顔だと切り出したがそれをさらっと受け入れられてもこんなにむかつく。
「お前がわざとらしく顔はと強調するからだろう」
「だってそんなに一生懸命カーティスさんの観察してませんよ。ここがこう、そこがどう、とか特に気になることもないですし。しかもよく考えるとお互い顔を合わせながら相手を褒めるとかどんな罰ゲーム。恥ずかしすぎる」
喫茶店でいちゃつくバカップルでもなければそんなこと素面でしないだろう。
「それに顔ってすごく大事なんですよ。シンデレラも白雪姫も眠り姫も塔の上のお姫様も始まりは全部顔ですからね。美男美女であるからこそ恋物語が出来上がるんですからね」
「ならお前は顔が綺麗な俺が相手でもいいと」
自分で顔が綺麗な俺と言っても怒れないくらい確かに貴方の顔はお綺麗だが。言わなければ好感度はもっと上がるのに。
「いや私は平均的な身長平均的な収入平均的な顔の優しい人がいいけど」
「つまりお前の中で顔は重要な事項ではない。にも関わらず俺を褒める言葉として顔を使った。矛盾していると思わないか」
「全然思いませんけど」
面倒くさいな。人のことは地味顔だ不細工だ顔のことでいじめてくるくせに彼は褒められて怒るのだから贅沢者にも程がある。
「一般論として顔は大事なんですってば。うちの姉を見ればわかりますよ。惚れますよ」
「お前の姉だろう。たかが知れている」
「実物を見て腰を抜かせ」
足の踏み合いをしていると、ドタドタと騒々しい足音が二つ近づいて来る。そして客間に飛び込んできたのは黒ずくめに黒髪黒目の長身で綺麗な男。
男は飛び込んできたと同時に部屋のドアをものすごい勢いで閉め、鍵をかけ、押さえつけるようにドアによりかかっている。
もう一つ追いついた足音が止まるとドアがガンガン叩かれる。叩くというより殴られる。
「ちょっとっ! 開けなさいよ! 開けろっ!」
ドアを殴る音と共に部屋の外から聞こえるのは姉の声。
姉が無事だったことに安心しつつ、元気すぎる姉が外でどんどん不機嫌になっていくのを感じて兄と一緒に肩を落とす。後の機嫌取りが大変だ。
「今、君を兄弟に会わせるわけにはいかない!」
綺麗な男は汗をダラダラかきながら姉に叫ぶ。
「それはあんたの決めることじゃないでしょ!? あたしが会いたいって言ってんの! 早く開けなさいよっ!」
音が重くなった。ドアを殴るのをやめてタックルに切り替えた様子。
「君が俺の妻になると誓わない限り兄弟には会わせない!」
しん、と途端に静かになった。
「じゃあ、もういい。……窓から飛び降りちゃおうかなー……」
「待て! 待ちなさい! すぐに開けるから!」




