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 見ためだけなら、頭、悪そうなのにね。

 それは褒め言葉だ。

 どうもありがとう、あんたは見ため通りの馬鹿ね。もしくは、どうもありがとう、あんたは見ためは頭良さそうなのに、実際そうでもないのね。と。それを言う時が最高に気持ちいい。

 他人に見下されるのは大嫌い。他人を見下すのは大好き。それが、仁坂里衣子という人間だ。

 だからといって、口先だけの女に成り下がるのはプライドが許さず、誰にも見下されないような完璧な人間を目指してきた。自分は誰よりも優れている。そう思いたいがために勉強にも美容にも力を入れて、必要な費用のためには相応の労働をしてきた。

 自他ともに認める性悪。

 それの何がいけないのか。誰だって他人より優位に立ちたい。そんな本能に従順なあたしはむしろ誰より素直な人間。胸をはって言ってのけると、二つ下の弟にはドン引きされた。

 世の怠惰な女たちよりも努力しているあたしは幸せになって然るべき。将来は年収一千万以上の男と結婚して白い犬を飼う。夢を語ると、三つ下の妹は残念なものを見る目で苦笑した。

 こんなに完璧な姉が他にいるわけがない。あんたってなんて幸せなのかね。テレビを見ている四つ下の弟の肩に腕を回してしみじみ語ると、シカトを決め込まれた。

 とにかく自分は完璧な女子なわけだが、だからこそ、自分の人生の中に汚点を生んだことが許せない。

 くそ、くそ、くそっ! あのクソ野郎、絶対許さない。あのブ女も絶対許さない。地獄に落ちてしまえ。元彼氏と腕をからませキスをした元友人のどブスがこちらを見て笑ったあの顔! 一生忘れない。

 姉貴の性格に耐えかねたんだろうと上の弟は言うが、そんなわけがあるか。さすがの自分でも彼氏の前では可愛い子をやっていた。

 お姉ちゃんが心を許してありのままの姿を見せられない男の人なんて、別れて丁度良かったんだよ、と、生まれた時から里衣子のただ一人のアイドルである妹の優しい慰めも逆効果だった。たしかにろくでもない男だったが、里衣子にとって問題なのは破局ではない。あの程度の男に出し抜かれたことだ。

 里衣子にはいい経験になったんじゃないか、これに懲りたらうんたらかんたら、と嫌みを並べる一番下の弟には最後まで言わせずひっぱたいた。

 ある程度クソ野郎とクソ女に報復を終え、それでもむしゃくしゃしていた里衣子が部屋にこもって心に決めたのは、「もう二度と、男なんかに騙されない」だった。

 拗ねたんじゃない、失恋を引きずっているんじゃない! 自分に言い聞かせる。そうよ、あんな顔くらいしか取り柄のない男の裏切り如きでこの、あたしの志が決められたとか? そんなことはこれっぽっちもない。

 あたしは完璧。完璧。鏡を見て呟いているとき、「男を見る目はないけど」と一番下の弟が言ったことを気にしたわけでもない。

 男なんかに頼らなくても女は幸せになれる! 結婚が女の幸せなんて古い!

 妹に語った夢は早々に捨て、やり手のキャリアウーマンを目指す。この優秀な頭を使って。


「だからあんたの常軌を逸した超絶綺麗な顔にあたしが屈することはない!」


 腰に手をあて、目の前の男の鼻先に人差し指をつきつける。

 見守っていたギャラリーはヒソヒソ喋っている。

 あの女ヤバいな、イタイな。完璧? ただの馬鹿だろ。顔だけかあ……。しかも言っていることはとんでもない小物だぞ。結局男に捨てられただけだろう。ああ、小物だ。

 里衣子は聞こえないふりをして目の前の美しい男に集中する。


「だが俺は君を愛している!」

「あんたの『愛している』には重みがない!」


 ギャラリーがざわつく。

 陛下になんたる口の利き方をする! と。


 なぜこんなことになってしまったのかというと、こんな奇天烈な世界に来てしまった一月前に遡る。




***




 気づくと目の前には童話の王子様が暮らしていそうな洋風の城の前に立っていた。

 あたりには噴水や花々、石像。シンデレラのデートスポットのような光景。おそらくはこの城の庭。

 自分の陰に、別の影が重なった。


「……」

「……」


 どう見ても西洋人。不自然なくらい真っ黒の長い髪と、不自然なくらい真っ黒な瞳の、美しいという言葉がぴったりの男が里衣子のことを見下ろしていた。

 ガタイのいい弟よりも背が高い。

 しばらく黙って見つめ合っていると、相手から声をかけてきた。


「変わったかっこうをしているな」


 日本語、ぺらぺらだな。

 英語を話すために頭を切り替えたのは無駄になった。

 言われて自分のかっこうを確かめる。家でもぬからない。学生時代のジャージなんて部屋着にしない。もこもこのルームウェア(年を考えろという弟たちの言葉は総スルーしている)は妹とおそろいで買ったものだ。

 たしかに屋外でこのかっこうはおかしい。だがしかし、


「コスプレしている人に言われたくないんですけど……」


 話しかけてきた男はシンデレラの王子様の衣装、黒バージョンのようなかっこうをしている。腰には剣を下げて。


「君、ここがどこだかわかっているのか」

「いえ」


 むしろ訊きたい。

 ここはどこですか。


「俺が誰だかわかっているのか」

「いえ」


 それについては知らないけど知りたいわけでもない。


「……君は人間か?」

「はぁん?」


 人間とは思えないとでも言いたいのか。この、超、美女を!

 と憤慨しかけてすぐ理解した。ああ、天使か女神とでもいいたいのね、と。


「生まれた時から人間ですけど?」

「今すぐにここを出ていけ」


 腕を掴まれ、痛みで顔をしかめる。


「はっ? ちょっと! ちょっと待って! 貴方がどこの誰かなんて知らないし興味もないけど! ここはどこで何であたしがここにいるのかだけ教えてくれませんか!」


 見ず知らずの人間に頭を下げなければいけないなんて最悪だ。だが仕方ない。どうしてこんなところにいるのか。さっきまで家にいたはずだ。動揺して狼狽えるなんて無様なことはしたくないからなんとか自分を落ち着かせているが、本当は内心かなり動揺している。

 ぴくりと眉を動かした男は里衣子を真っ黒な目で見つめる。


「俺が知るはずないだろう。君は何を言っている?」

「だから! 気づいたらここにいたんです。さっきまで家にいたのに……」

「転移の魔法でも使って失敗したんじゃないのか」

「真面目に訊いてるんだけど!?」

「真面目に答えているだろう」


 真面目に魔法なんて言う人間が世の中に一体何人いるのだろうか。それともこの男はそのわずかな中に食い込んだ中二病か。

 掴まれた腕も痛くてイライラしてきて、掴まれている腕の方でない手で男の腕を掴み返す。


「とりあえず離してくれませんか。こんな美人によくこんな扱いができるな」

「女のくせに力が強いな」

「女のくせに? 二十一世紀に男女差別がまで捨てきれてないんですかー?」


 男の顔がゆっくり歪んでいく。面倒くさいと顔に書いてあるのを気にせず、里衣子は手に力を加え続ける。

 そのまま無言の睨み合いを数分続けていると、慌てた足音が近づいて来た。


「陛下っ! 魔王陛下っ!」


 魔王陛下。

 この小太りの中年男も中二仲間か。


「なんだ、騒々しい」


 魔王陛下ってお前のことかよ、と返事をした綺麗な男を凝視する。どう見ても成人済みの男に、いい年をして……と呆れてしまう。

 そしていい加減にこの手を離してほしい。


「人間の王が異界から勇者を召喚したという知らせが……っ!」

「ほう……」


 人間の王ってなんだ。お前らだって人間だろうが。ああ、魔王様(笑)なのか。


「二ホンという世界の、名は、エイ・ニサカと……!」

「はい?」


 俯いて笑いをこらえていた里衣子は知っている名前に過剰に反応した。エイ・ニサカ? 仁坂英衣? 悲しいくらいよく知っている名前に眩暈を覚える。

 あの弟……、エロサイトを開こうとしてワンクリック詐欺にあっている方がよっぽど健全だ。まさかここまで濃い設定で凝った衣装の中二病仲間と勇者ごっこをしていたのか。受験が無事に終わって自由な時間が増えたのはわかるけど、もっと他にやることはなかったのか。

 コスプレくらいなら可愛い趣味として温かい目で見れたかもしれないが、ここまで凝っている人たちとここまで凝ったシチュエーションを作ったら帰って来れなくなる。


「英衣が楽しいなら……別にいいけど……」


 中年の設定家来が里衣子を凝視する。


「おい娘! 今、エイと言ったな。勇者の知り合いか」

「娘って……おじさん、入りすぎ……。その設定上勇者、うちの弟だと思いますけど……」

「何……っ!? さすがは魔王陛下! もう勇者の身内を捕らえたのですね」


 魔王陛下(笑)は里衣子を無表情に眺め、頷いた。


「意図してのことではないが……。そうか。そういうことなら、捕まえておく必要があるな。この者を地下牢へ」




***




「おかしい……」


 一月前のことを思い出して里衣子は頭を抱えた。

 お互いに第一印象はよくなかったはず。なのに。


「リーコ! 部下の言葉は気にしないでくれ。今君に無礼なことを言った者には罰を下しておこう。だから機嫌を直してくれ。君は笑顔が一番美しい」


 わざと不細工な顔を作って舌打ちする。


「リーコじゃなくて、リイコ。り、い、こ! 人の名前を勝手にいじるな」

「す、すまない……リーコ……」

「直さないのかよ!」


 何故。何故こんなに懐かれてしまったのか……。更に里衣子は思い出していく。




***




 地下牢がある城まがいの家なんてどんなセレブだ。

 地下牢にも関わらず設置されているふかふかのベッドで跳ねながら、どうしたものかと考えていると、例の自称魔王の男が現れた。

 監禁なんて見つかったら即逮捕だがこの中二はそれをわかっていないかもしれない。そしてこんな城を持っているセレブなら、一般人を監禁したことくらい揉み消すかもしれない。富裕層が憎い。


「何をしている」

「見てわかるでしょ。何もしてないのよ」


 布団派の仁坂家では堪能できなかったベッドの上で跳ね続けながら答える。


「英衣の友達にしてもちょっとやりすぎ。警察駆けこむわよ?」

「友達? 勇者は我々を滅ぼすために呼ばれた。友達どころか最大の敵だ」

「そういう設定はもういいから」


 柵の前まで行って睨みつけても、男は動じず、里衣子の頭に手を置いた。そのまま押さえつけるように下に向けて力をかけられる。


「君に害を加えるつもりはない。だが俺は王だ。魔族を守らなければいけない。君の記憶の中から意識の中から勇者の条件を探らせてもらう。悪く思わないでくれ」

「はい? だからそういうのいいって……」


 突然、吐き気に襲われる。目の前がぐるぐるして、思考がまとまらない。

 気だるくもなって、呼吸も苦しくなって、ようやく男の手が離れると、体中の力が抜けて座り込んだ。

 一体何をしたのだと、呼吸を整えながら睨みつけると、男は里衣子を見てわなわなと震えていた。


「なんということだ……」


 すっと、里衣子と目線の合うように男がしゃがんだ。


「君は素晴らしい……!」


 ぐっと、柵越しに顔が近づいて来る。男は満面の笑を……うっとりとした笑を浮かべている。


「自らに対するその自信。目的のためには手段を選ばない潔さ。他人に屈しない強情さ。努力によって得た知性と美。他人に努力を悟らせない逞しさ。どれをとっても素晴らしい! 君ほど己の道を貫く女を俺は見たことがない!」

「それ褒めてるつもりなの?」


 自分の性格が悪いことは自覚しているが興奮気味にこんなことを言われてもどうすればいいかわからない。というかこんなに嬉しそうに性格のことを指摘されると逆にむかつく。

 興奮した男は里衣子の顎を手で持ち上げ、さらにうっとりと、官能的な表情になった。


「よく見れば美しい。ああ、君の心の内を知った今より一層美しい! 君は俺の理想の女性だ!」

「さっきまでの冷めた雰囲気はどこにいったわけ。そしてあたしはよく見なくても可愛いから」


 それに会ったばかりの彼に事実とは言え性格をどうこう言われるのはやはり腹が立つ。


「取引をしよう、リーコ」

「は……、なんで名前……。リーコじゃなくてリイコな」


 顎に触れていた手を払うと今度は手を包まれた。


「人間はあまり好きではないが、君は違う。攻め入ってくる勇者は君の可愛い弟だろう。だが俺は魔王。攻撃してきた勇者を理由もなく見逃すことはできない」


 芝居がかった悲し気な顔にイライラしながら、だから何、と先を促す。


「俺が義兄となれば勇者も戦う気にはなるまい。俺も、妻の弟を傷つけることなどしない。平和は継続され、君は大事な弟を守れる」

「何言ってるか全然わからないから簡潔にまとめてくれる」


 話が長くてイラつきは募っていく。


「俺の后になれ」


 返事は即答。

 拒否する。




***




 それから、一から説明を受け、なんとか末弟が勇者として召喚されたこと、兄弟全員で巻き込まれたことは理解した。ここが異世界であることも、魔王が本物の魔王であることも。

 そうなってくると心配なのはどこにいるかわかっていない上の弟と妹の安否だった。すぐに探しに行こうとしても、里衣子にはそれが叶わない。魔王の城から出られない呪いをかけられた。

 何度大きな門から外に出ようとしても、里衣子が門を通れば着くのは外ではなく魔王の執務室。魔王と顔を合わせるたびにこっそり盗んだ武器やこっそり拾った枝などで攻撃してみようとしても念力で阻止される。

 記憶をたどる旅から意識を今に戻した里衣子は、すがるように自分の肩を優しく掴む魔王に冷たい目を向ける。


「勘弁してよ。この世界、王様やら貴族やら魔王は一夫多妻制なんでしょ。無理無理、絶対嫌。他人と男を共有とか本当に勘弁してよ。価値観の違いであんたと結婚なんて無理って言ってるでしょ」

「君さえいれば他に何もいらない! 側室などとらない」


 魔王が言っても周りは許さないだろう。


「だいたいあたし、元の世界に帰るし。日本食食べたい。妹のカレーでもいい」

「なら君の記憶を覗いて味を確認して、料理人に再現させよう」

「頭の中覗かれるの、気持ち悪いから無理」

「君の妹であれば一緒にここで暮らせばいい。他の兄弟も」

「そういう問題じゃないんだわ」


 兄弟皆そろっても、自分をここまで育ててくれた母はいない。まだろくに親孝行もしていないのに二度と会えないなんてありえない。親孝行どころか、子供四人全員がいきなり消えたら母はどうなってしまうだろう。心配して、心配して、自分を責める。

 再婚という、新たにつかみかけている幸せも手放してしまうかもしれない。


「この世界にはあたしの好きな俳優いないし、お気に入りの化粧品買えないし、エアコンの快適さを知ってるのにこの世界じゃエアコン存在すらしないし、毎月買ってる雑誌も売ってないし、やっぱり無理。景衣も羽衣子ちゃんも英衣も高校だって卒業してないし。大学は首席キープで卒業する予定だから絶対帰る」

「君のそんな我儘なところが好きだ」

「あたしが言うのもなんだけど、女の趣味悪すぎ。マゾなの?」


 魔王の部下たちが恨みがましそうに里衣子を睨んでいるが、そんなのは無視。外野は黙って端で小会議に徹していろ。


「陛下っ! 魔王陛下っ!」


 初めて魔王に会った日、勇者召喚の知らせに来たのと同じ男が魔王の執務室に駆けこんで来た。


「申し上げます! リイコ……様の兄君と妹君が、人間の王子と共にお目通り願いたいと……!」


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