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 手に触れるざらざらした感触ににやにやとだらしない顔をさらしてしまう。この数日の疲れも抜けていく。


「ふおぉ……っ。可愛い……」

「お前も可愛い」

「ありがとう、お兄様」


 一部始終を見ていたカーティスは馬を撫でながら半歩、しゃがんでいる羽衣子から離れる。


「謙遜しないのか。お前、結構図々しいな」


 同じく別の馬を撫でていたジョシュアは相変わらずの愛想笑いで肩をすくめる。


「実際はそこまで愛らしい容姿でないことを自覚していますか?」

「ジョシュアさんはその性格の悪さが綺麗な顔で補えないレベルなのを気づいてますか?」


 毛玉を正座した膝の上に乗せ撫でまくる。すると不思議と失礼なにやけ茶髪へのイラつきも緩和されていく。

 にー、にー、と可愛らしい鳴き声を発しながら羽衣子の膝の上で体をくねらせる毛玉に、また、へらっとだらしない顔をしてしまう。


「姉兄の『可愛い』攻撃はもう慣れっこなだけです。身内の欲目が発動していることくらいわかってるんですから、素直にお礼を言うのが一番いい対処法なんですよ」


 ねー? と毛玉に頬ずりをする。


「おい、ウイコ。まさかそれと眠るつもりか」

「え? 駄目ですか?」


 明日には魔王城へつくだろうという最後の野宿。

 眠る場所を決めたところでやって来た黒い小柄な猫とじゃれる羽衣子を、カーティスはつまらなそうに見ている。


「獣臭い」

「馬が周囲にいるのに平気な人が今更気にしないでくださいよ」


 母のアレルギーの都合と経済的な事情でペットなんて飼えない羽衣子にはこの黒い毛玉の愛らしさの破壊力に勝てる気がしない。しかもこの猫、人懐っこい。

 にゃ、にゃにゃにゃにゃにゃー? と猫と会話するように鳴き真似をすると、ジョシュアに失笑された。十七の地味顔がやったらそうなるのもわかる。それでもいい。今の羽衣子は黒い猫と二人きりの世界に浸かっている。


「ここまで溜まった疲労で発狂寸前でしたけど、この猫ちゃんと眠ることで明日の私のコンディションは最高になります」

「では明日の朝までウイコが捕まえておいて、朝食にはその猫を焼い」

「ぎゃーっ! やめて! やめてください! 貴方、動物愛護団体に殺されますよジョシュアさん」


 にやけ顔のジョシュアの言っている言葉が理解できたのか、猫は羽衣子の腕の中に小さくなってブルブル震えている。震えながら胸にすり寄ってくる。

 可哀想に。私の胸でいくらでもお泣きなさい、と更に強く猫を抱きしめる。


「随分人に慣れているね。こんな森の中にいるのに、獣に近い種類じゃないね。元飼い猫にしたってなんだってこんなところまで来たんだろうね」


 さりげなくアリステアが肩に回してきた手をはらいながら、そうですね、と頷く。ヤマネコやネコ科の獣ではなく、住宅地に普通に歩いているような猫だ。人懐っこさも野良とは思えない。

 目をくりくりさせて羽衣子を見つめて来る猫から目を離せなくなってしまう。ああ、だけどテレビで、なかなか目を逸らさないと猫は威嚇されていると勘違いするらしいと言っていた。

 とりあえず一端目を離し、またゆっくり猫の方を向くと、まだこちらを涙目で見ていた。


「この世界でのどの出会いよりもこの子との出会いが幸せを感じます」


 羽衣子の腕の中でくねくねする猫を撫でようとしたアリステアの手がガリッとひっかかれた。

 ずっと温和な雰囲気だったアリステアが険しい表情を浮かべる。


「オスだ、こいつ」

「そんな、ひっかかれたくらいで断言しなくても」

「絶対そうだよ。確かめてごらん」


 自分以外男性しかいない場所でそんなにどうどうとするのは気が引けるが。そしてレディだった場合猫ちゃんに申し訳ない。

 悶々としていると首根っこを掴まれた猫はカーティスにさらわれてしまった。


「オスだな」


 ほらね、と笑ってアリステアの手がまた肩に回されたのでまた払う。


「二分の一の確率だから不思議でもないですけどね。ああ! あったかい! めちゃくちゃあったかい!」


 猫と一緒にマントにくるまって、きゃっきゃっとじゃれ合っていると不意に不安になる。この猫、とても華奢である。


「眠ってる間にぷちっとやっちゃいそう……」

「そいつの命に関わることを軽い擬音で表現するお前もなかなか残酷だな」


 マントの中から猫を引き抜いたカーティスはぺいっと猫を遠くへ放る。


「ああっ! 猫ちゃん!」

「お前に潰されないよう逃がしてやったんだ。俺が悪いような顔で責めるな」


 茂みの中から、にーにー猫の鳴き声がする。よかった、無事か。


「それにあの猫……、覚えのある匂いをしていたからな」

「え? じゃあ飼い主さんはカーティスさんの知り合いかもしれないってことですか?」


 茂みが、がさがさっと揺れ、猫が走って逃げる、足音が聞こえる。


「……そうだな。そうかもしれない」




***




 幼稚園のお昼寝の時間を思い出した。

 羽衣子よりも先に起きた男の子が、こっそり外に遊びに行こうとして羽衣子の髪を踏んだ時。ちょっと踏まれただけなのにそれは激痛で、禿げたかと思った。痛くて号泣して、髪を踏んだ男の子は大げさに泣くなと逆切れをした。

 坊主だった彼には羽衣子の受けた痛みなどわかるまい。

 しかし、今は違う。


「いあぁぁぁあっ!」

「大袈裟な声をあげないでください」


 眠っていた羽衣子の髪を踏んだジョシュアは鬱陶しそうに眉を寄せた。

 ジョシュアはあの男の子と違って踏まれたら痛い髪の長さだ。羽衣子の痛みだってちょっと考えればわかるだろう。

 しかも、土足で踏まれた。

 幸いにもまだ薄暗いこの早朝に、羽衣子の声で起きた者はいなかった。


「まず謝りませんか……!」


 声をひそめて抗議するが、完全に無視をされる。

 そのまま馬の方へ向かったジョシュアは、馬の傍に置いていた荷物に手をかける。くそぅと仏頂面のまま何をしているのか気になってジョシュアの方に向かうと、煩わしいという顔をされ、口でも言われた。


「何をしてるんですか?」

「見てわかるでしょう」

「整理ですか? こんなに早くから?」


 皆が起きてからでも十分間に合う。ジョシュアもずっと、皆と同じ時間に自分の荷物を整えていた。


「私の仕事は二人分ですからね。他と一緒に始めては間に合わない」


 そういえば、ジョシュアは皆と同じ時間に支度をしているが、羽衣子よりも後に起きたことはない。羽衣子が起きた時には彼はもうすっかり目覚めている。開始事態は皆よりも早くしていたのだろう。

 よく見てみると、今ジョシュアが整理をしているのはカーティスの荷物だ。


「え? でも、カーティスさんも毎朝自分で支度してますよね?」

「前もってある程度は私が整えているんですよ。なんせ生まれてから十五年、常に世話係が周囲にいた人ですからね。変なところで抜けています。忘れ物でもされたら困るんですよ」


 しかしプライドが高いので、自分が目の前で手伝おうとすると怒るのだと。


「お母さんみたいですね」


 子供の遠足の前日の。


「良い意味でも悪い意味でも、昔から変わらない人ですからね。純粋とも言えるし、単純とも言える。善が良いことで、悪が悪いことだから善でいようと必死になっている。もっと楽な生き方もあったはずだ。王子の肩書を捨てて、戦争に関わらずに穏やかに生きる方がずっと幸せになれた」


 手を止めて、眠っているカーティスの後ろ姿を見ながら、ジョシュアは薄く笑っている。


「ジョシュアさんもお城で育ったんですよね。カーティスさんに聞きました。幼馴染、なんですよね」

「……そうですね。歳も同じで、そりが合いましたから、昔からほとんど一緒に行動していました。生まれた時からの友人ということになりますね。彼は見ていて面白いですから、昔から楽しませてもらいましたよ」


 懐かしそうに目を細めて笑うジョシュアはカーティスから目を逸らさない。


「彼は、王の器を持っている」


 力強く言うジョシュアに、違和感を覚えた。


「お二人は仲がいいんですね」

「ええ、昔から、親よりも長く時間を共有しましたから」

「信頼し合ってるんですね」

「そうですね。無邪気すぎて危なっかしいですが、彼は優秀な人間です。他人の気持ちも考えられる」


 胸がざわつく。

 もやもやしていた違和感が、すとんと一つの答えに落ち着いた。


「ジョシュアさんはカーティスさんのこと、嫌いなんですね」


 昔から一緒にいた。長い時間を共有してきた。彼は優秀。

 どれもカーティスと親しい理由を言っているようで、違う。

 一緒にいた時間が長いのも時間を共有したというのもただの客観的事実。彼が優秀だというのはただの人物評価。

 無理に理由を探して、口に出して、カーティスを信用していると自分に言い聞かせているよう。

 数十秒沈黙を置いたジョシュアは、くつくつと愉快そうに笑う。


「不思議ですか? 私がカーティスについていくのが」


 嫌いかどうか、ジョシュアは口に出さないが、しばらく置かれた沈黙は肯定ということだろう。

 どうして、嫌いな人について行こうとするのか。羽衣子にはわからない。父親にそうするようジョシュアが言いつけられたのだとしても、カーティスならジョシュアに選択肢を与えたはずだ。荊の道について来るか。

 質問に対して羽衣子が頷くと、ジョシュアは寂しそうに笑顔を作る。


「大人は大変なのですよ、小娘」


 答えになっていない答えに対して、言及するのが怖かった。部外者の羽衣子がどこまで聞いていいのかわからない。

 ふー……っと、長いジョシュアの溜息で、張り詰めた空気が緩んだ。


「もう少し眠っていなさい。ただでさえ体力がないのですから、途中で力尽きて余計足手まといになられては困りますよ」

「……はい」


 二度寝なんて、できる気分ではなかった。


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