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 暴れたせいでカーティスの顎に頭をぶつけてしまった。これまで経験したことのない異性との距離への、暴れるほどの混乱は、静かに、少しずつおさまっていく。痛みのおかげで。

痛い。痛いがダメージが大きいのは自分より相手。


「わあああ……っ! すみません、すみません、顎砕けてませんか?」


 羽衣子の周りを腕で囲ったままのカーティスは頭突きを受けた衝撃で上を向いたまま呻く。


「われた」

「われ……、ふはっ」


 われたと言われると少し違った意味でうけとってしまった。違うとわかっていても所謂ケツアゴになっている彼を想像してあまりにも似合わず笑ってしまった。

 いけない、攻撃を仕掛けた自分が笑ってはいけない。口元をおさえてぶるぶる震えながら大丈夫ですかと尋ねて、こんなに震えた声なら結局失礼だなと思う。


「この石頭。大した中身もないくせに硬さだけは一級品か」

「うちの家族、皆石頭なんです。昨日頭突きされた時もカーティスさんの方が痛かったですよね」


 歯ぎしりをしながら顔を戻したカーティスの顎はわれても砕けてもおらず、赤くなってもいない。歯も折れていない。


「う……んぐ……」

「何だ。どうした。唸りたいのは俺だ」

「いや、はい。そうなんですけど……、近い」


 顔だけでなく体も密着している。

 腕だけでなくマントも使って囲われ、動く自由があるのは首だけで、上を向けばすぐに綺麗な顔がある。

 少しでも離れようとマントの中で両手を使って押し返そうとして失敗したことに気付く。胸板が厚い、なんてどうでもいいことを考えて余計恥ずかしくなった。

 せめて顔は見ない様に、見ない様にと俯き目を瞑る。


「何なんですか、この体勢……」

「こうしていればいくらか暖かいだろう」

「私の世界では、というか、私自身は、年頃の男女が軽い気持ちで密着するのはいかがなものかと……」

「何かするわけじゃない。我慢しろ」


 声が発せられる位置も近い。目を瞑っても、聴覚や触覚が効果を減らしている。


「脚見て不快になるような女とこんなにくっついて体調が悪くならないといいですね」

「何の話を……。……ああ。いつまで根に持っているんだ」


 とても傷ついたのでひょっとすると一生忘れないかもしれません。言うと、素直な謝罪が返ってきた。

 夢ではないかと疑ってしまう。


「拾い食いでもしたんですか? さっきから……、いや、最近? 優しくて怖いんですけど」


 思い返してみれば、昨日、一昨日あたりから優しかった気がしなくもない。言動は相変わらずデリカシーもなかったが。小屋から『鴉』の屋敷に向かう最中もやたら気遣われたし、守るなんて前は自分から言ったりしなかった。

 気持ち無邪気な表情が増えた気がしなくもない。

 あくまで、そんな気がするだけかもしれないが。それくらいの微々たる違いではあるが。


「……? 優しくしているつもりはないが」

「その感じじゃ、率先して優しくしようって心がけは日頃持ち合わせていない人なんですね、カーティスさん。薄々気づいてましたけど」


 だとすると無意識に微妙な優しさを発動させているのか。


「何ですか。何なんですか。本当に、具合悪いんじゃ……。気だるさとか、頭痛とか眩暈とか吐き気とか、あるなら強がらないで言った方がいいですよ」

「俺が優しいと感じたのはいい。お前の勝手だ。だがそれで体調不良を疑われるのは不本意だ。俺はもともと親切だろう」

「本気で言ってます?」

「不思議そうな顔をするな」


 ようやく距離に慣れてきたので目をゆっくり開けた。顔を上げる勇気はまだない。


「たしかに、貴方が良い人ってことはずっと知ってましたよ。でも、紳士! とか、優しい! なんて出会ってから最近まで一回も思わなかったから」

「言わなくていいことまで正直に白状するな。嬉しくもなんともない」


 まず第一印象からして最悪だった。それをぬぐって、「なんて優しい人なの!」と切り替えられるほど羽衣子は強かではない。

 頭のてっぺんに重みがかかって、体ががちがちに固まった。

 これは、多分おそらく、顎を乗せられている。


「お前が優しいと感じる……心当たりが、ないでもないが……」

「もしかして何か私に後ろめたいことをしていて罪悪感で……とかですか? やめてくださいよ、たとえば、実は元の世界に返す方法が絶えたとか今更言ったり」

「お前たちのことは責任を持ってきちんと返す。俺たちの世界の人間が働いた身勝手をお前に押し付けはしない。だが……」


 そこで逆説を使われると嫌なことが続くとしか思えない。返す、けど。ということは返すにあたって何か不都合が生じるということ。もとの場所に返せないくらいだったら、まだ、ギリギリなんとか許せるとしても、もとの時間に返せない、なんて爆弾が投下されないことを祈る。


「お前を返すのが、惜しくなっている」

「は……い……?」


 予想していたどのパターンとも違った内容が続いた。

 驚いて、うっかり顔を上げてしまう。

 すぐ目の前にある顔は、羽衣子の頭がいきなり動いたことに驚いた顔をした後、複雑そうに笑った。

 羽衣子はもっと嫌みっぽい顔をしてほしい。でないと無駄に緊張してしまう。


「前に、好き嫌いを言えるほどお前のことを知らないと言ったな」

「はあ……。そんな話もしましたね」


 何をしていた時だったか。ああ、野菜の皮をむいた時。


「今は少し違う。お前のことを、そこそこ気に入っている」


 瞬きもせず、じっと向けられる碧い目に耐えられずに俯き直し、さっきよりも強く目を瞑る。


「自覚しているんだ。俺は、酷く単純で間抜けな人間だ。だからお前のことをこうもあっさり信用しようとしている自分もあまり好きではない」


 髪をそっと手で梳かれる。母以外に、こんな仕草を受けたことがない。あまりにも熱が上がりすぎて耳がピリピリしてきた。

 胸元までのばした直毛の黒髪は、自分が手入れをできる限界の長さとしてここまでにした。なのに、この世界ではリンスもトリートメントもドライヤーも使っていないので大分痛んでしまった。


「……それでも嬉しかった。俺が王であればいいと言われたことが。死んだ王子のことをろくに知らないお前に、俺自身を評価されたことが。わかっている。言うだけならお前以外にも誰にでもできる。俺がお前を助けたから、お前が俺を良い人間だと思い込んでいるだけかもしれないということもわかっている」


 髪に触れている手が震えている。


「言葉だけでほだされるのは俺が弱い証だ。甘い言葉にすがって、誰かを信じようとしてしまう。……俺は、死んだ王子が嫌いだ。民に期待を持たせておいて、何も成し遂げられずに死んだ。そして、期待を裏切られながらその期待を捨てきらない者たちが語り継ぎ広められた王子はどんどん実物より偉大な人間になり、最早俺ではなくなった。俺はそんなに大層な人間じゃない」


 どうして見張りにも気づかれないよう、あの場所を離れたのか、羽衣子はわかった気がした。あの場所は窮屈だったのだ。あの場所では、彼は彼ではないカーティス王子でいなければならない。あの場所にいる人々が見ているのは、彼ではないカーティス王子。どれだけカーティスが自分自身を貫こうとしても、周囲は彼を、亡くなった偉大な王子にしか見ることができない。

そのくせ寂しがりだから一人では抜け出さず、王子を知らない羽衣子を連れてきた。


「向けられる期待や希望を嫌なものだとは言わない。架空の王子の存在があったからこそ、俺の勢力はここまで大きくなった。だが、俺を認めついて来てくれた戦友たちは皆、俺自身を認めたわけじゃない。それが……、それがどうしようもなく……」


 その後の言葉を、彼は続けなかった。それを口に出してしまえば、ついてきてくれた仲間たちを突き放すとでも思ったのだろう。

 羽衣子は声に出さず、唇だけを動かして彼の言葉を繋いだ。


 “虚しい”

 “淋しい”


「単純な人間なんだ……とても。俺自身を見てくれるお前が傍にいると妙に落ち着く。俺自身を認めてくれたお前を失うのが、恐ろしい」


 声まで震えている。

 泣いている?

 顔を上げて彼の顔を見ると、泣いてはいなかった。

 泣きそうになりながら、笑っていた。

 きゅっと、知らず知らずのうちに胸の前で両手を握っていた。このあたりが、ちくりと痛んだ。


「願わくばこの先、お前が俺の唯一の存在にならないように……。……どうか俺の唯一の存在にならないでくれ」

「唯……一……」


 それは、どんな意味で。

 それを言うのは、そうなるかもしれないと、思っているから?


「それにしても貧相な体だ」

「……は?」


 ふっと溜息をついたカーティスは一瞬で表情を変え、小馬鹿にするような笑でマントの中をちらっと覗く。


「お前は本当に女か? 胸部だけ男なんだろう。そうに違いない」


 マントの中で羽衣子は自分の体を抱きしめた。


「そんな……わけ……ないでしょう……」


 怒りをおさえるためにできるだけ声のボリュームを落とし平静を保とうとしてみる。


「なら何か板のようなものを入れているのか? わざわざご苦労なことだな」

「歯を食いしばりなさい」


 今朝とは違い、今度は羽衣子からカーティスの額に自慢の石頭を打ち付けた。


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