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皿の破片で切った指を手当てしながらデジャヴだと呟く。包丁を持たせたらいけないのはわかっていたが皿でもままならないとは。
「可哀想……、不器用で」
「くどいぞ、ポンコツ女」
自分をポンコツと言うなら皮むきどころか満足に皿洗いもできない貴方はどうなのか。これ以上追い詰めるのも可哀想なので言わないが。
さすがの本人も数分で皿を四枚わったことへの罪悪感と己の不器用さに落ち込んでいる。
「残りは私がするので。お手伝いありがとうございました」
「……無事洗い終えたのは皿一枚とフォーク二本だけだがな」
「お手伝いっていうのは、その気持ちが嬉しいものですから」
しかも断固手伝いなどしないと態度に出ている人が手伝おうとしてくれたのだから感動は大きい。
不満そうに唇を尖らせたカーティスは子供のように落ち着きなく体を揺らしている。そして時々立ち上がって流しを見に来る。
「何ですか?」
「……何でもない」
頬を膨らませてはしぼませ、また膨らましてしぼませ繰り返すカーティスは部屋中を歩き回った後羽衣子の背中を指でつついてきた。
「……何ですか?」
「何も訊かないのか?」
会った日にはちょっと質問しただけで詮索するなと威嚇してきた人がよく言う。
「訊いてほしいんですか?」
「いや、お前が気にしていないのなら話す気はないが」
「そりゃ、気になりますよ。亡くなったはずの王子様がカーティスさんで、王様に処刑された元王子様は王政を立て直そうとしてるって。何から何まで意味不明です」
助けてくれたイケメンが実は正体を隠した王子様でした、なんて母親世代から使われているような少女漫画的展開も、嘘くささに拍車をかけている。
異世界で迷子になる奇想天外な事件を起こしている時点でもうどんなに嘘っぽいことも信じてしまいそうだが。
「けど私は結局よそ者で部外者ですから。カーティスさんが話そうとしないなら深刻そうなことに首をつっこむのはご迷惑だろうし、真剣な人たちを不快にさせるでしょう。私の脚見せるより不快にさせるでしょう」
いつまで根の持っているんだ、とぶつぶつ言うカーティスはようやく大人しく座った。
「……差支えなければ聞いてほしい。お前やお前の兄弟には、勇者を説得させる役を頼むことになるかもしれん。何も知らない人間が上辺だけの交渉をしても、うまくいくことはないだろう。お前たちには迷惑をかけるが……」
洗っていた最後のグラスを落としてわってしまった。
「し……、下手に出るという大人の対応ができたんですね……!」
「馬鹿にするのも大概にしろよ」
椅子に座りながら、聞いてあげてもいいですよ、と調子に乗ったら振りかぶって頭をはたかれた。
「……物心つく頃には、周囲の異変に気付いていた。戦争を望む重鎮たち。欲は誰にでもある。だが民の安らかな日々を踏みにじってまで利益を得ようとする者たちをどうして正しいと思える。正義と国を愛する者たちと、己可愛さに国民に無駄死にを強いる者たちが城の中で争っていた。そして後者の中心にいたのが宰相……マーティス卿だった」
城で育った俺にとって、城に控えるマーティス卿は家族も同然だった。恥ずかしい話、俺の父は政が得意ではない。気も弱い。甘ったれた性格だ。プライドだけが高い。……こんなことを言うのは親不孝というものだが、父に王の器はなかった。そんな父が王になったのは、今は亡き、正妃であった祖母の一人息子だったからだ。故に俺は頭が良く、はきはきとして、あらゆることに長けたマーティス卿を慕っていた。
マーティス卿が開戦派の中心であることは早くから気づいていた。だが、仕事をしていない彼とも接していた俺は、いつかは分かり合えると思っていた。
王に向いていなくとも大らかな父は、魔族との開戦の案などすぐに跳ねのけてくれる。開戦を目論む連中もいつかはきっと気づいてくれる。そう信じて、開戦を反対し、粛清されそうになる者をちまちま手助けしていた。
「その中に、アリステアさんのお家もあったんですね」
「らしいな。その手の案件は多くていちいち記憶していないが、ユーキッド伯爵は確かに開戦反対派だった」
俺には弟が一人いるが、あいつはずっとマーティス卿に反発していた。あんな男が宰相でいいはずがない。あんな男の言葉を信じるなど、王はどうかしてしまった。しきりに俺に訴えていた。あいつも、戦争には反対だった。
「え……と……。処刑された王子様って、カーティスさんなんですよね? たしか、オルフェさんは、宰相さんに反発していた王子様が処刑されたって言っていましたよね。残っている王子様は、宰相さんの操り人形だって」
「まあ最後まで聞け」
その弟がどういうわけかある日突然マーティス卿に従順になった。それこそ、魔術や呪術で操られているかのようにだ。
すると弟の反発に手を焼いていたマーティス卿はちまちま邪魔をしている俺のことにまで気をかけられるようになる。自慢ではないが慈善活動やら寄付やらで俺は民から人気があったからな。どんどん俺が目障りになっていく。
そこでマーティス卿は俺の弟に毒をもった。
「弟さんに? どうして? もう言いなりなのに」
「正攻法で俺を殺すためだ」
刺客を放ったり自ら手を下して俺を殺し、万が一ばれれば言い訳はきかない。その点冤罪で処刑するとなれば、誰も調査などしない。王族殺しは身内でも重罪だ。ついでに、うまくすれば弟も殺せる。突然態度を改めた弟をマーティス卿は完全に信用していなかった。
案の定、弟は一命をとりとめ、俺は罪をかぶされた。
父は、息子の言葉になど耳も向けずマーティス卿の言う通りに俺を処刑した。
「でも、生きてるんですね」
「ああ……」
処刑台へ向かう前、弟が訪ねてきた。ジョシュアと、ジョシュアの父、そして俺の影を連れてな。
ジョシュアの父は、どうか息子に貴方を守らせてくれとあいつの背中を押した。ジョシュアも、自分を好きなように使えと。馬鹿な奴だ。あいつも城で育った世間知らずなんだがな。
弟は……。俺に逃げろと言った。たとえ自分を殺そうとしたのだとしてもたった一人の兄だからと。ただし二度と自分の前に姿を現すなと。
「そうして現在に至る」
一通り話し終えたカーティスは、そろりと羽衣子の方を盗み見る。
「うーん……。別世界の話みたいですね。実際異世界ですし。でもなんとなく予想していた範疇かな。それでカーティスさんは……、……何ですか」
凝視されていることに気が付いて身じろぎする。
「……おかしいと思わないか」
魔王や魔術師のいる世界に来てしまったのだからおかしいなと思うのは最早日常茶飯事だ。今更何をと見つめ返すと、溜息をつかれた。
「城で起きた事件だ。ろくに調査もされず犯人を、それも王太子をあっさり処刑するのは不自然だ。俺が嘘をついているかもしれない。そうは思わないか」
いやー……、と苦笑してしまう。
「別に思いませんけど……。こんな小娘一人のためにそんな壮大な嘘つかないでしょう。利用したいなら脅せばいいし。洗脳されてるとか操り人形って言われるくらいならお父さんが宰相さんの言いなりになってるのもわかりますし」
それに普通の女子校生の頭ではこのスケールの大きな話を疑いにかかるのは難しい。そうですか、なるほど、そうなんですか、と一つ一つを理解するだけでやっとだ。
話を聞かなくても、処刑からなんとか免れたんだろうなというくらいはわかっていたのでなんとか理解だけはできたが。
「誰かさんは今まで悪事に手を染めたことはないって言いますし。思うに、オルフェさんが言っていた『人間一人殺し終えてる』っていうのは自分自身ってことですよね」
「あの時、あれは殺しではないと言ったがな……。ある意味、殺しでもあった。俺の犠牲になった男は、俺と、弟と、王と、宰相に殺されたようなものだからな」
思い出し、痛ましく目を伏せたカーティスになんと声をかけるべきかわからない。影武者はそういう時のためのものだから。そんな言葉で彼が立ち直るとは思えない。
「……で、カーティスさんは反乱を起こして自分が王様になるってことですか? 王政を立て直すって、そういうことだったんですね」
「いや。違う」
あら、とわざとらしく口元をおさえる。
「落ち着いたら統治は弟に任せるつもりだ」
「すみません、あの、政治のこととかカーティスさんの人間関係とか、詳しいわけじゃないですけど、それはおかしいんじゃないかなーと思います」
宰相の操り人形と化した弟王子。カーティスが自分を殺そうとしたと信じ込んでいる王子にとってカーティスは因縁の相手だ。何より彼も開戦を望む人間。平和を目指すというカーティスの意志に反している。
否定するどころかカーティスは頷いた。
「わかっている。だが何か、理由があるはずだ。弟はある時期までマーティス卿に歯向かっていた。変わったのには何か理由があるはずだ。その問題さえ解決すればまた国民を第一に考えるもとのあいつに戻る……、と思う」
「思うとか、そんな適当じゃ駄目じゃないですか……」
テーブルに乗せられていた手がぐっと拳を作っている。
「重々承知の上だ。……最悪、弟がどうしようもない時は俺が王位をぶん取る。王政を急に廃止しても、うまくいくわけがない。徐々になくしていくしかないんだ。王政も、身分差別も。今突然、政権を国民に渡してもそれはただ丸投げするだけだ。俺たち王族は民が納めた税で生かされている。民に、生かされているんだ。押し付けて逃げるなど許されない。一度王政を立て直し準備をして、俺が死ぬまでに整えられればベストだ」
羽衣子に騙されやすいと注意をしたこともあるが、彼こそ人を安易に信じすぎる。……と、言うよりも、一度信頼した相手への執着が強いのかもしれない。だから、宰相につけ込まれた。
加えて、弟に命を助けられたことで尚更弟への執着が捨てられないのかもしれない。
「それに、問題はそれだけじゃないような……」
「他にどんな問題がある?」
多くの人間は己について客観視できないものだと羽衣子も知っているが、彼も同様に、それができていない。
「周りは納得しませんよ、そんなの」
「わかっている。だからこそ、一つ一つの組織を回って俺の考えを説いて納得した者だけを勢力に組み込んで……」
「それって、急に王政を廃止にすると大変ですよってことしか言っていないんじゃないですか? 多分、だから勢力をここまで大きくできたんですよ」
「どういう意味だ?」
んー……、と言いづらいのをわかってもらいたくて間を作るも、あまりにもまっすぐに見つめられて根負けした。
「多分皆、カーティスさんが王様になると思っているから、カーティスさんに協力しているんですよ。最初に会った時、アリステアさんが言っていたでしょう? 『誇り高い王家』はもうないって。お父さんや弟さんに対する不信感が高まっているのに、信頼していたカーティスさんが弟さんを王様にするなんて言ったら信用は一瞬で崩れかねないんじゃないですか? 王政立て直しどころじゃ……ない……んじゃ……すみません」
俯いて震えるカーティスが怒っているのではないかと思い謝った。しかし顔をあげたカーティスは不思議そうに羽衣子を見た。
「何故謝る?」
「怒っているのかと」
「怒られるようなことは言っていないだろう。確かにお前の言う通りだ。そして俺も本心では理解されないことがわかっているから、弟を王にすることは伏せてきた。だが……」
ふっ、とカーティスの顔に影が差す。
「弟は俺よりもはるかに優秀だ。情けないことに、俺には、国の頂点に立つ覚悟がない。一度失敗した俺が王位になど……」
「つまりことごとく自分に自信がない上に弟さんに劣等感まである、と」
一度失敗したと言うが、彼の弟は国民からの信頼も失い彼以上に誤った方向に進んでいる。にも関わらず弟を支持するほど、実は自分に自信のない彼を見て、なんとなく他人事ではなかった。
お前の姉ちゃんはお人形みたいに可愛いのに。お姉ちゃんは特待生になって家族に楽させるくらい頭がいいのに。お姉ちゃんはあんなに皆から慕われているのに。
羽衣子は全部人並みかそれ以下。特技なんて何もない。兄弟の中でも、同性の姉には特に劣等感を抱いていた。
他人に何を言われても、慣れてしまって簡単に泣かない。羽衣子ちゃんが一番可愛い。姉がそう言ってくれるのが嬉しい。
だけど、何も感じないわけではなかった。
額に手を当てる元王太子を見て、違う、と思った。
彼は自分とは違う。
弟に劣等感を抱いていたとしても、彼が多くの人を惹きつけていることは変わらない。
「私はそれでもいいんじゃないかと思います」
たとえば自分がこの世界の人間だったなら、
「カーティスさんみたいな人が王様だったらいいなって、思います」
驚いた顔をしたカーティスの呼吸の音が急に消えた。生きてますか? と心配になってしまう。
「私も平和が好きですし、ほとんどの人もそうじゃないですか。カーティスさんはイヤミな野郎ですけど、私のことを助けてくれたし、国の人を大切にしてるし、いい奴ですから。カーティスさんは私に、自分の意見を主張できる人が好きって言ったじゃないですか。私もそういう人が好きですし、カーティスさんはそういう人ですよね。今、私に主張させていただけるなら、貴方はもっと自信を持つべき。貴方について来ている人はきっと皆貴方が大好き」
くっ、と喉を鳴らして笑う、自信のない王子様。
「誰が『イヤミな野郎』だ、言い方を考えろ、ウイコ」
ああ、また、貴重な爽やかな微笑みだ。嫌みっぽくない。
羽衣子の頬まで、つられて緩むのを感じた。




