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カーティスによる羽衣子への生立ち話は更に次のお話なのでここはさらっとしています。
もっと円満な雰囲気を予想していた羽衣子は予想外の険悪なムードに圧されていた。よくよく考えれば自分は人質なので、カーティスが卑怯なことをしたことになっているのだろう。
『鴉』の集う屋敷の前で待ち構えていたアリステアと兄。その後ろには軍の男たちが行く人も控え、屋敷の窓から覗く目も、茂みから放たれる殺気も肌で感じる。
面倒くさそうにため息をついたカーティスは兄に声をかける。
「俺たちが危険でないことを説明しておけと言っただろう」
「貴方が誰なのか言えない以上俺の説明には説得力がない。余計なことを言うなというのはそういう意味で捉えてよかったんだろう。力は尽くした」
兄は簡単に頭を下げる人ではないので悪かったと思っている気配もない。
「アリステア・ユーキッド、単刀直入に言う。俺のもとに下れ」
「断る」
失笑して見守るしかできなかった。
頼み方というものがあるだろうに。せめて単刀直入すぎるのをどうにかすればいいのに。この険悪な雰囲気でよくもまあ気負いもせずに切り出せたものだ。
「君がどこの誰か知らない。信頼関係もないのに協力などするはずがないだろう」
「そうだろう。お前は何も知らない。俺のことも、国の置かれた現状も、死んだ王子のこともな」
今は王子は関係ない。羽衣子も思うし、アリステアも言う。けれどカーティスは気にした風もなく、周囲を見回して続ける。
「聞けばこの『鴉』は、亡き王子を支持していた人間の集まりだそうだな。だがお前たちは何を知っている。死んだ王子がどれほど無能だったかも知らない。何故奴は死んだと思う? 自らの力を過信した愚か者だったからだ」
アリステアが真っ赤になって、怒りにぶるぶる震えている。周囲からの殺気もより強くなる。
「ろくに考えもせず父に信頼されていることを疑わなかった。ろくに考えもせず宰相を説き伏せられる、自分ならば国を平和へ導ける。父は理解してくれる。周囲は自分に賛同してくれる。いつか宰相とも分かり合える。そう疑わなかった。浅はかな考えで動き、結果、味方はどこにもいなかったことに気づく。そして死んだ。愚かすぎて笑えるな」
「口を閉じろっ!」
悲鳴のようなアリステアの声が響き渡る。あちこちから、怒りで息を荒げる音が聞こえる。いつでも殺してやる。そんな声が聞こえた気がして、逃げるどころか動くこともできなくなる。
ふっと兄の方を見ても兄は平然と傍観している。目が合えば、「大丈夫だ」と辛うじて羽衣子まで届く大きさで兄が言う。
「あの方を侮辱するな! あの方の何を知っている!」
「貴様らこそ何を知っているっ!」
それまで静かに語っていたカーティスが大声を上げた。
「何を知っている? 何も知らないだろう。王子がどれだけ腐った国の上層に失望したか。王子がどれだけ現実を見誤ったことを嘆いたか。王子がどれだけ浅はかな自分を悔いたか」
こんなに圧力のかかる場面で、何も感じていない様にカーティスはジョシュアと羽衣子の隣からつかつかとアリステアに寄っていく。
「お前たちが追っているのはただの偶像だ。本当の王子はお前たちが思うよりもはるかに愚かで、頼りない存在だった。お前たちが知っているのは一部の人間しか救えなかった王子のあがきの形跡と、絵で見た姿程度だ。何も知らない。お前たちは……」
表では決して取らなかったフードを取ったカーティスは羽衣子にまで聞こえる溜息をついた。
「俺の声さえ、知らなかっただろう」
ざわついていた空気がぴんと張り詰める。アリステアが息を飲み、兄はあくまでも無表情にそれを見守っている。
「王太子殿下」
最初に、そう発したのは誰だったか。
***
川辺に座り足だけつけながら、見下ろして来る兄の顔を見上げた。
「お兄ちゃん、気づいてたんだね」
「あの屋敷のあちこちに死んだ王子の肖像画があるからな。最初に会った時顔も見た。お前こそ、知らなかったのか」
「うん」
あれだけ亡くなった王子を貶めていた人が本人だと誰が疑おうか。
獣道を通って泥だらけだった足は川の流れですぐに綺麗になった。
「知らなければ、お前をよく知らない怪しい二人組になんて預けない」
「そんなこと言って、結構楽観的だから怪しいよ、お兄ちゃん。こんな世界でも普通に生活して仲間も作ってるし」
「そうでもない。一日も早く姉貴や英衣と合流して帰りたいと思っている」
「……そっか」
こんなところに留まっている暇は、兄にはない。知っている。兄はもしかしたらこの世界のことなんてどうでもいいと思っているかもしれない。すべてを捧げてきた部活動への執着は、羽衣子から見ても時々異常だ。
「帰るぞ、ウイコ」
「うわ」
腕を掴んで自分を立たせたのはてっきり兄だと思っていたので、その声と顔を確認してうっかり声に出してしまった。
失礼な驚きの声に少し不快そうに顔を歪めた。
「アリステアさんとのお話は終わったんですか? カーティスさん」
「ああ。予定通り、奴らは俺の配下になった」
「台詞に漂うラスボス感はカーティスさんの言い方の問題ですかね」
ジョシュアはどこにも見当たらない。アリステアの姿もない。屋敷で待っているらしい。
「帰るって、ここに留まったりしないんですか?」
「ここ以外も集めて勢力にしているんだ。『鴉』だけでも各地に拠点を置いている。ここだけ特別扱いをするわけにもいかん。だいたい建物がでかすぎて落ち着かない」
「庶民的ですね……」
あ、痛い。いたたたたたたた。
肩に担がれて腹にカーティスの肩がめり込んでいる。地面から距離があって怖い。
「歩けますけど!」
「兄とここに留まりたいと言われたら困るからな」
「私に情が移っちゃったんですか?」
「馬鹿が。明日から誰が俺の食事を作る」
「ああ……」
でも正直せっかく会えたのだから兄と一緒にいたい。
お兄ちゃんもそうだよね? と兄を見ると悲しきかな、寂しさの欠片も見せず手をふっている。
「仲いいんですよ? うちの兄弟……」
「まだ何も言っていないだろう……」
***
再び長旅で『鴉』の屋敷から戻り、例によって食事を作った。
満足そうに腹をさすって机につっぷすカーティスとジョシュアが本当に満足しているか少し不安になった。
「お城で生活していたなら、もっと美味しいものを食べてきたんじゃないですか、王太子殿下」
「元、だ。王太子どころかもう王子でもない。この五年はまともな物を食べていないと言っただろう。お前の作る物でも充分だ」
「ああ、二人とも不器用でしたね」
「心外ですね。私は必要なこと以外の技術を磨く時間がなかったんですよ」
五年間料理ができないからまともな食事がとれなかったのだろう。つまり料理は必要な技術だろう。言ったら五、六倍の嫌みが返ってきそうだ。
「二人とも、たまには食器を片付けようくらいは思いませんか」
「もうずっと言っているが、これは俺たちからお前への厚意だ。労働もせず寝床と食料を与えられるお前が心を痛めないようにだな」
「もういいもういい。わかりましたってば。すみませんってば」
期待なんてしていない。流しに向き直ると、隣に人が立った。
「まあ今日くらいは手伝ってやる。長時間歩いて帰ってきて食事も作ったその根性は評価してやろう」
珍しいこともあるものだ、と目を丸くしてカーティスを見てしまう。
「果たして何枚の皿を駄目にするか見物ですね」
「どういう意味だジョシュア」
「バトンが回ってくる前に逃げようかとね」
この後羽衣子はほんの数分で逃げたジョシュアが賢明だったと知ることになるのだった。




