スタンド・バイ・ミー
百鬼夜行大花火
BLACK OUT
土曜日
「おーい、早く運べー」
僕は街中にある、大きな葬儀場のバイトをしていた。週一、土曜日勤務。月給は7万円。黒い喪服を着て、お花を祭壇に並べたり、死体の入った棺桶を運んだりする。
人の死に関与できる良い仕事だ、と僕は思う。自分の親族を前に泣いている人達を見たり、その人の一生を滔々と語るのを聞いて、なんとも言えない達成感と言うか、大きな何かを学んだ気になる。
「毎日を大切に生きよう」と思う。
のだが。
「すいません。少しトイレに行ってきます」
「おい、ふざけるな。式の途中で抜け出す奴が在るか」
「ごめんなさい、先輩。見てください」言って、僕は震える右手を木崎先輩の前に上げた。
「どうした」
「痙攣が。このままではちょっとアレなので、落ち着いたらスグに来ます」僕は言って、式場を出た。
この症状に気付き始めたのは、僕が未だ七歳のころだった。若く綺麗だった親戚の女性が死んで、その時に初めて気づいた。
「…はぁ、はぁ」
トイレで改めて自分の顔を見る。自分でも驚くほどに目が見開き、決して尋常では無いほど顔が強張っている。
「またかよ」
僕は、ネクロフィリアなのだ。
※
ネクロフィリア。死体愛好家。
僕がこれを知ったのは中学校一年生の時だった。その文献を見て、間違いなく自分が該当すると思った。
七歳の夏、僕は彼女に恋をした。交通事故に合ったにもかかわらず、彼女の顔には傷一つ無く、驚くほどに綺麗な顔をした彼女を、自分の物にしたいと強く願った。
あれから何度も彼女の事を思ったし、何度も夢に出て来た。だが彼女のことを思えば思うほど、哀しい気持ちになった。
焼かれた。もうあの美しい女性はこの世には居ないのだ。
「異常だ。僕は異常だ」
そう思っていても、これを治したいと思っても、そう簡単に行くわけも無い。挙句の果てには、いつか自分が美しい女性を殺すのではないかと思ってしまう。
高校に上がって、好きな芸能人は厭と言う程聞かれた。そしてその度に、そいつらを羨ましく思った。お前らはテレビのスイッチを点ければ、そこにはその人が映り、笑っているのだ―
「俺はどうすれば良い」
何度か、クラスの女子と付き合ったことがある。しかし、満たされるものは何もなかった。
「死体、死体。異常」
自分が葬式屋でバイトしているのもそれが大きい。棺を開ければ、そこには彼女がすやすやと、まるで生きているかのように眠っているのではないか、という望みを絶ち切れない。
何度も自分に言い聞かせた。自分は異常なのだ。だが、異常であれば異常であるほど、それも普通には見えなくなってくる。美少女と付き合っている美男子よりも、どこかで狂気を吐いている快楽殺人犯が羨ましい。
「いっそ」
自分が死ねば、そんな思いも断ち切れるに違いないのかもしれない。
※
「おい、遅いぞ」
式場に戻ると、木崎先輩が荒々しく手招きした。
僕は小走りで先輩の横に着いた。先輩は冷静な顔のまま、頬にうっすらと笑みを浮かべた。
「お花をお願いします」
その言葉と共にお客様は一旦式場から退場させられる。そして、次は式場の真ん中に花束と棺桶を設置する。
僕は花束を抱え、用意されたテーブルに乗っけた。青や黄色の、涼しげな色の花束が用意されている。
「どうぞ」
その言葉と共に、外で待機していたお客様が、ぞろぞろと式場に入ってくる。
先輩や他の従業員は外に出た。本来なら僕も外に出るハズだったのだが、しばらくそこに立っていた。
式場はワイワイと、まるでお祭りのような雰囲気だ。重苦しさは無く、手を取られた子供たちが、一生懸命高い位置にある棺桶の中に花を入れている。
やがて式場からは人がいなくなり、棺桶と僕だけが取り残された。本来ならば先輩たちが来て、せっせと棺桶を火葬場行きのバスに乗せるのだが、今回は先輩たちが中々来なかった。
僕はしばらく、立っていたり体育座りをしたりしながら、その場で先輩たちを待った。しかし先輩たちが来る気配は一向に無く、僕は式場から出た。
「ねぇ」
出た途端だった為、僕は少し声の主にたじろいだ。
「あ、なんでしょう」
声の主は十代中ごろの男だった。ニヤニヤしていて、葬式上には似つかわしくない印象を受けた。
「トイレ、何処ですか?」
「一階です」
僕が言うと、男は「はーい」と伸びのある返事をした。
「あ、あとさ」しかし、すぐに何かを思い出したように僕に話し掛けた。
「なんでしょう」
「本来人間は死んだらなんの意味も無い。未来も過去も築きあげて来たものはすべて本人にとっては無に帰すだろうね。だから俺は、割と否定的じゃないんだ」
僕は男が何を喋っているのか分からず、それよりもトイレに行きたいのならば膀胱が破裂しない内に行った方が良いのでは、と心の中で警告した。
「あ。君の、ネクロフィリアの事ね」
それだけ言うと、男は飛ぶように階段を降りて行った。
後に残された僕は、捜索すべき先輩たちなど頭に無く、ただ男に言われた言葉をずっと頭の中でかき回していた。
「いや、ちょっと待てよ」
僕は階段を見下ろしたが、そこに彼がいる筈も無く、ただ茫然と立ち尽くすという虚しさが僕を包んだ。
「しまった」
僕は我に返り、辺りをグルグル回って先輩たちを探した。しかし中には先輩どころか人っ子一人居ない状態で、僕は何が何だか分からないままエントランスのソファに座っていたが、結局夜まで待っても誰も来る様子は無かった。
月曜日
「昨日、俺鬼見たさ」
クラスでは、巷で噂の妖怪の話で溢れかえっていた。それこそ最初は皆笑い事ではないが、一カ月も経ってしまえば話のネタにするには十分だ。
「うーん」
僕は考える。
あれは、妖怪の仕業だったのだろうか。
しかし、あの場には見るからに妖怪は居なく、そう考えると妖怪が擬人化してあの中に混じっていたとしか思えない。
「うーむ」
しかしあんなことをして妖怪にとってなんの得になると言うのだ。もしや、あの場にいた全員を食べてしまったのだろうか。いやそれなら悲鳴の一つでも上がるし、あれだけの数だ。咀嚼音は免れないだろう。
「どうした、湯浅」
気付くと、そこに上田が立っていた。
「いや、ただぼうっとしてた」
「そっか」
上田は笑った。何故かは知らないが、上田は妖怪を毛嫌いしていた。恐らく教室中で飛び交う妖怪話から逃れる為、僕のところに来たのだろう。
「参った。いやはや参った」
「なんで。妖怪話に付き合っちゃれ」
「つまらん。今時珍しくも無いし」
「いつか消える。そうしたら見た奴が英雄気取れるじゃん」
「消えなかったらどうなる?」
「英雄が消える」僕は言った。「今だけだって。我慢しとけ」
「嫌なんだよなぁ。なんか、会話の途中にゲームの話とか入れてこられる気分」
「いいじゃん、ゲーム」
「やるならいいけど、口に出すなら有害だ」
上田は言って、机の上に座った。
「ゲームねぇ」僕は呟いた。「あのな、上田。例えば自分が街中を歩いているだろ。人ごみの中を。自分は横断歩道の信号が青になるのを待っている。すると、だ」
「すると?」
「長い、長ぁい信号を待っている間に、人ごみは散って行き、やがて辺りは静かになった。ふと後ろを向くとそこに居た人たちは消え、車道を走っていた車は消え、気付くと街には人っ子一人いない状態になった」僕は続けた。「今の時期だから言えることだが、これは妖怪の仕業か?」
僕が言うと、上田は眉をしかめ、露骨に嫌そうな顔をした。
「どうなんだろうな。妖怪と言うより、死んだイメージが強い」
「街の人たちが?」
「自分が」
それだけ言って、上田は立ち上がった。
「ごめんね、上田。つまんない話で」
「いや、楽しかった。今日は弁当ここで食うわ」
「今日終業式だから弁当ねぇっつーの」
「え?」
上田は自分の席を指差した。そこには、ちゃんと横のフックにお弁当らしき物を入れたバッグが掛かっていた。
「『どんまい』。僕の一番嫌いな言葉だ」
僕が言うと、上田は溜め息を吐き、自分の席に戻った。
「冥土か」
僕は呟いた。
※
家に帰る途中、僕はふと思い立って携帯電話を開いた。
先輩に電話をかけるのだ。
僕は呼び出しの間、ふともしこれで木崎先輩が電話に出なかったらどうしよう、という不安に駆られた。また。電話に出んわなどという至極くだらないワードが瞬時に頭に思い浮かんだ自分に不安に駆られた。
「おう、湯浅か。どうした」
しかしそんな心配も杞憂に過ぎ、先輩は普通に電話に出た。
「あの先輩、今仕事ですか?」
「うん。土曜休んだから、休暇のハズの今日仕事入れた。」
「ああ、なるほど」
「それだけか?」
「ええ、ちょっと」
「なんだよ」
携帯から舌打ちが聞こえ、プツリと電話は切れた。
「なんだ、大丈夫そうだ」
僕は安堵した。
「……」
ハズだった。
※
日々過ごしていて、相手が言ったことをその場で整理せず、そのまま曖昧に返事してしまう時がある。
そうしてなんとか今日という日まで過ごしてきた。
しかし、今になって、猛烈に自分を攻め立てている。
土曜日休んだ?
そんな訳が無い。
土曜、たしかに僕と木崎先輩は話した。一緒に仕事をした。
どっかのミュージシャンが記憶はいつか妄想に変わるなどと言っていたが、彼の言うとおりに推理すればあれは妄想だったのか。いやそんなはずは無い。いくら僕が死体愛好家であり異常者であったとしても、あの引越し屋さんに居そうな屈強な男を独自の妄想壁を生かしてまで生成するまで堕ちたわけでは無い。
僕はポケットにしまった携帯を鷲掴みにし、指が携帯を貫くほどの力で先輩に電話をかけた。
「只今電話に出られません―」
それは木崎先輩の声とは似ても似つかない電子音の塊だった。僕は頬から伝わり落ちる冷や汗を鬱陶しく思い、住宅街にぽつぽつと見える妖怪たちなど見向きもせず、早歩きで家に帰った。
※
妖怪の仕業だ。
そしてその妖怪は、おそらくトイレの所在を聞いてきたあの男だ。
何の因果で僕にトイレの所在を聞いて来たのか、それは謎だ。というよりどうでも良い。あくまで僕とコミュニケーションを取るための手段としか思えないし思わない。
なにが目的で。
僕はベッドの上で毛布に絡まったまま、思想を巡らせた。
「とりあえず、明日葬儀場へ行ってみよう」
先ずは、木崎先輩に会わなければ話が進まない気がした。
火曜日
「……」
何と説明すれば良いものか。
僕は朝起きて、歯を磨いて、服を着て、ジーパンを穿いて此処まで来た。
此処は確かに、土曜までは確実に、僕の仕事場である葬儀場が『在った』場所だった。しかし、そこは更地に「空き地」と汚い字で殴り書きされただけの看板が立っているだけの土地と化していた。
「……」
いや、待てや。
「なんだこれ」
僕はしばらく辺りを散策してみたり携帯を使って地図を見たりしたが、間違いなく『葬儀場が在るはずの場場所』はここだった。
「何しに来とん」
しばらくそこで悩んでいると、10代中頃くらいの少女が隣で体育座りをしていた。これが少々、異常性癖である僕でさえ圧倒される可愛さであったため、僕はしばらく返答に詰まった。
「えーと、ですね」
「やっぱ悩んどるなぁ」
少女はカラカラと笑った。
「こっち来いや。面白いもんみせたる」
少女が歩き出すのを見て、僕はようやく分かった。全く、どれだけ鈍感なのだ、僕は。
この少女は、あの男ではないか。
※
僕らは街の喧騒を抜け、幌平橋まで歩いて来た。僕が疲弊しきっている中で、目の前の女は何故この暑さの中汗もかかないのかと思ったが、今思えば妖怪ならばこれくらい序の口なのかもしれない。
「ここ」
橋の下にはスコップが三つ、柱にかけてあり、少女はそれを一つ取って僕に投げた。
「これで何を?」
「掘るの」
彼女は地面を指差した。そしてスコップを地面に刺し、そのまま「浅ッ」とビックリしたように言った。
「どうした」
「いや、深く埋まってあるはずが」
「何が?」
「それは掘り返してからのお楽しみ。いやまぁ、もうその楽しみもないけど」
僕も彼女に続いてスコップを刺した。するとガリ、と何か固い、木のようなものに当たるのが分かった。
「…まさか」
僕は彼女を見た。彼女はニヤニヤしながら土を掘り返していた。
「ほれ、さっさとやれ」
そうして掘り続けること十分。
僕らはそれを掘り返した。
「大体わかってたけどさ」
それは棺だった。黒い板はスコップで大分削られていて、どこか罪悪感を覚えた。
「これも墓荒らしになるのかな」
僕は呟いた。「で、これでどうしろって」
「何をいまさら」
彼女は呆れたように言って、その棺を開けた。
僕は息を呑んだ。
「かわいいよねぇ、この女性」
そこには、七歳の葬儀の、あの時の美人が眠り耽っていたのだ。
僕は棺の中の彼女に見入っていた。辺りは歌うような子供たちの声が響いていた。
※
「俺は餓鬼。あの葬儀場で出会ったね」
気付くと、そこにはあの時の少年が立っていた。というより、少女だった姿が変わった、と言った方が適切だが。
「餓鬼って妖怪だったんだ」
日常での凡庸性がヤケに高い『餓鬼』。僕は初めて、ここでそれが妖怪の名前であることを知った。
「割と周りからは下に見られがちだが、こんなでもすごいこと出来るよ。現に今、お前は分かっただろうけど」餓鬼は頭をボリボリと掻いた。「過去に実在した物を取り出せるってだけだけどさ」
「…これのこと?」
「うん」
はたして何故目の前の妖怪がこの存在の在り処を知っているのだろう。僕が首を傾げると、餓鬼は笑った。
「厳密に言えば、『対象にとって最も大切な物』だ。死体を出したのは初めてだけどな」
「僕の為に?」
「結果的にそうなんだけど、実は自分の為かな」
言って、餓鬼は何かを考えるように唸った。「何人か」「まさか」「建物まで」ブツブツと何かを呟いている。
「どうしたの?」
僕が言ってもすぐには返事は返って来ず、僕はしばらくそこに座ったまま川を眺めていた。
「ああ」
餓鬼はやっと僕の言葉に気付いたようで、ニヤニヤと不気味な笑みを浮かべた。
「被害の数」
「……?」
餓鬼はそれ以上何も言わず、ただニヤニヤと笑っていた。
「…まさか」
僕は携帯を開き、電話帳を見た。
そこには先輩の名前おろか、職場に関連する全ての番号が取り消されていたのだ。
「死体を手に入れるのには何人もの人間を死体にしなければならない、とは。皮肉の極みだな」
妖怪。
僕は餓鬼を見た。
彼はもう原型を留めてはいなかった。角が雄々しく伸び、服は青い浴衣になっている。左右の大きさが一致しない目は炯々と光り、瞳には一人の異常者が映っていた。
僕は彼を睨んだ。しばし僕らは目を合わせていたが、やがて飽きたのか、餓鬼は首を鳴らすと高らかに、下劣な笑い声を上げた。猛々しい風が辺りを舞い、視界が奪われる。
やがて見えた景色に餓鬼の姿は無く、そして彼女の棺桶もどこかへ消えていた。
※
スタンド・バイ・ミー