↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
前世で処刑された公爵令嬢、社畜OLに転生したら、処刑した魔法使いが専業主夫としてキスをせがんできます  作者: カクナノゾム


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
84/89

84 精神世界の隠し撮り

——光の中にいた。


 蒼い光じゃない。もっと温かい、金色の光。太陽みたいな。朝日みたいな。


 体がない。足元も見えない。上も下もない。ただ、光の中を漂っている。


(ここ……どこ?)


 死んだのか。また? 前世に続いて二回目? さすがに二度目の死は勘弁してほしい。


 でも、痛みはなかった。温かくて、柔らかくて、どこかで嗅いだことのある匂いがする。


 ——朝ご飯の、匂い?


 フレンチトーストの匂い。焼きたてのパンとバターの甘い香り。エリオットが毎朝作ってくれる、あの味の記憶。


(ああ、これ——エリオットの記憶だ)


 § § §


 光の中で、景色が変わった。


 暗い路地裏。雨が降っている。石畳の上に、痩せこけた子供が倒れていた。


 ——エリオット?


 小さい。十歳くらいか。銀色の髪はぼさぼさで泥だらけ。服はぼろぼろ。腕には痣がある。殴られた痕だ。


(これが……スラムにいた頃のエリオット……)


 子供の目は虚ろだった。雨に打たれながら、もう動こうとしない。諦めた子供の目。世界の全てに裏切られた子供の目。


 胸が、締めつけられた。


 ——この子を助けたい。


 反射的にそう思った。でもこれは記憶だ。過去の映像だ。手を伸ばしても届かない。


 でも、わかった。


 この路地裏に、いつか「未来の私」が来るのだと。この子を助けて、「あなたは世界で一番立派な魔法使いになるのよ」と励ますのだと。


 四百年分の感情が、それを教えてくれた。


 § § §


 景色が、また変わった。


 宮廷。噴水のある庭園。陽だまりの中で、若い魔術師が本を読んでいる。


 エリオットだ。宮廷魔術師になったばかりの頃。まだ少し若くて、でもあのポーカーフェイスはもう完成している。


 その横を、金髪の少女が通り過ぎた。


 ——カレンシュ。前世の私。


 十四歳くらい。まだ子供っぽい顔。でも、背筋だけはぴんと伸びている。公爵家の令嬢としての誇り。


 少女が、エリオットの方を見た。


「ねえ、あなた。筆頭魔術師の方でしょ? 帳簿の計算、手伝ってくれない? 人手が足りないの」


 ——ただ、それだけ。


 それだけの言葉で、この男の四百年は決まったのだ。


(そんなことで……)


 でも、わかった。わかってしまった。


 エリオットの感情が、今、私の中に流れ込んでいるから。


 あの瞬間——「化け物」でも「道具」でもなく、ただの「人間」として声をかけてもらえた瞬間の、あの——


 言葉にならない。


 感謝とか、喜びとか、そんな軽い言葉じゃ全然足りない。


 魂が震える、というのはこういうことなのだと、初めて理解した。


 § § §


 記憶が加速した。


 宮廷の日々。一緒に帳簿を読んだ夜。お茶を淹れた昼下がり。うどんを差し出した手の温もり。


 逮捕の報。地下牢。拷問の手順書。世界が赤く染まった瞬間。


 二日間の禁術解析。寝ずに、食べずに、寿命を削って。


 処刑台。あの日の雨。鎖の音。群衆の罵声。


 そして——光。


 自分が撃った光の中で消えていくカレンシュの目。恨みの目。


(痛い——)


 エリオットの痛みが、直接流れ込んでくる。四百年分の。


 あの目を、四百年間、一秒も忘れられなかった男の痛みが。


 § § §


 亜空間。


 闇。虚無。何もない。三畳の暗い泡の中で、一人。


 十年。二十年。五十年。百年。


 声を忘れた。顔を忘れた。名前を忘れかけた。


 でも——光だけは。あの輝きだけは。


 走り続けた。闇の中を。


 ——見つけた。


 光。温かい。眩しい。太陽みたいな。


(ここだ。ここにいた)


 エリオットの感情が、津波のように押し寄せた。


 安堵。歓喜。恐怖。希望。絶望から一転しての、圧倒的な——


 ——愛。


 たった一言で表すなら、それしかなかった。


 三百年分の、重すぎる、深すぎる、どうしようもない——愛。


 § § §


 ——その瞬間。


 精神世界の金色の光の中に、白い円盤が現れた。


 ウィィィィン。


 る、んすけ?


(なんでここに!?)


 でもるんすけはそんな疑問など関係なしに、感情の濁流——重すぎる不安と執着と、四百年分の孤独の澱——に向かって、ノズルを展開した。


 ズゾゾゾゾゾゾ——ッ!!


 吸ってる。心のゴミを、吸ってる。

 毎日エリオットの魔力を至近距離で浴び続けた結果、このロボット掃除機は単なる家電を超えていた。物理的なゴミだけじゃなく、この六畳一間に溜まり続けた「重すぎる感情のゴミ」まで吸い取れるようになっていたらしい。


 じわじわと、確実に、余剰が消えていく。

 残ったのは純粋な部分だけ。愛の、一番底にある、澄んだやつ。


 と、その時。


 吸いすぎたのか、るんすけが少し傾いた。オーバーヒート寸前の警告音。そして——パン、と小さな光とともに、内部データが溢れ出した。


 精神世界の金色の空間に、映像が投影された。


 § § §


 ——見覚えのある六畳一間。


 私がいない。留守中の昼間か夜か、とにかく一人の部屋。

 ソファに座ったエリオットが、虚空を見つめていた。


「奈々……」


 誰もいないのに、呟いた。

 次の瞬間ふらりと立ち上がり、寝室のドアに手をかけ——寸前で、止まった。


(それ以上はやめな!?)


 止まった。よかった。でもしばらくドアの前で立ち尽くしている。何やってんだこの男は。


 § § §


 映像が切り替わった。


 キッチン。エリオットがフライパンを手に、真顔で中空に向かって話しかけている。


「今夜こそ完璧な夕食で……奈々を、笑顔に……」


 エアーだし巻きをしながら。一人で。


(知ってた。知ってたけど、こうして改めて見るとすごいな……)


 § § §


 映像が、また切り替わった。


 リビング。ソファに座ったエリオットが、充電中のるんすけを見下ろしている。長い沈黙の後、口を開いた。


「……るんすけ」


 るんすけは充電中なので、当然無言。


「奈々は——私のことを、どう思っていると思う」


 無言。


「……そうか」


 何の返事もないのに、エリオットが静かに頷いた。

 最強の大魔法使いが、ロボット掃除機に恋愛相談をしていた。四百年分の孤独を経た末路がこれか。


 笑いが、こみ上げてきた。

 痛みも重さも全部そのままなのに——笑えてしまった。

 この男のことが、愛おしくてたまらなくなった。


 § § §


 光が、ゆっくりと薄れていった。


 金色の世界が消えて、見えたのは——六畳一間の天井だった。


「……っ」


 目を開けた。


 体が重い。頭がぼうっとする。でも、意識はある。生きている。


 上を向いている。床に寝ているのか。横を見ると、エリオットの顔があった。


 すぐ近くに。


 泣いていた。ポーカーフェイスのまま、声もなく。涙が頬を伝って、フローリングに落ちている。


「……奈々」


「うん。生きてる」


「……よかった」


 その一言が、全てだった。


 体を起こした。少しふらふらしたけど、立てた。意識も明瞭だ。


 ——潰れなかった。


 限界OLのメンタルは、大魔法使いの三百年を受け止めきった。


 でも、今はわかる。彼の全てが。記憶も、感情も、痛みも。


 全部、私の中にある。


 そして——温かい。


「成功した?」


「ああ。成功した。魂の婚姻契約は——完了した」


 エリオットの蒼い目を見た。


 奥に、金色の光が揺れている。私の魔力の色。彼の蒼に、私の金が混ざっている。


(つながった)


 魂が。


 二つの人生と、四百年の孤独を越えて——やっと。


 ふと気づくと、部屋の隅でるんすけが——満腹気味にぷるぷると震えていた。タンクがパンパンだ。


「……ねえ」

「何だ」

「るんすけ、留守番中のあんたのデータ全部吸い込んでたんだけど」


 エリオットの動きが、止まった。


「……」

「精神世界で投影されてたよ。全部」

「……全部」

「全部」


 完璧なポーカーフェイスが、みるみる赤くなった。耳から火が出そうだ。


「るんすけに恋愛相談してたでしょ」

「……それは——その——あれは——」

「四百年分の大魔法使いが、ロボット掃除機に、恋愛相談」


 エリオットが、膝から崩れ落ちた。


「るんすけぇぇぇ……ッ!!」


 るんすけはぷるんと身を震わせた。何故か誇らしそうだ。

 六畳一間に、笑い声が響いた。私の笑い声と、エリオットの「違うそうじゃない」という呻き声が混ざり合って。


「ねえ」


「何だ……」


「お腹空いた」


 エリオットが、一瞬きょとんとした——そして、笑った。


 あの不器用な、ぎこちない、でも確かな笑顔。


「朝食を作ろう。フレンチトースト——」


「今日は、二人で作ろ」


「……ああ」


 台所に向かった。並んで。肩が触れて。


 窓の外で、初夏の緑が眩しく揺れていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。