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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
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カマボコ女

作者: 謎村ノン

 その日も、夜八時を過ぎて山手線に揺られていた。

 吊り革につかまる手が、やけに湿っている。年末の繁忙期で、部内の机は書類の山、上司の機嫌は、天候より不安定で、会議は水滴のように増殖していた。四十代半ば、独身、都内のメーカー勤務で、頭の生え際が気になっている。家に帰る理由は、眠りと風呂と、翌日のための体力回復だけだ。

 駅直結のデパートは、年末商戦のせいか、こんな時間でも営業していた。興味をもって入り口を潜り、地下へ降りた。惣菜コーナーの前で、私は、足を止めた。

 赤い値引きシールが貼られた、高級そうな板付きカマボコが並んでいた。

 普段なら、絶対に買わない類いの商品だ。けれど今日は、妙に「ご褒美」が必要だった。疲れが脳の判断を鈍らせていたのかもしれない。気がついたら、「これ一本ください」と店員に告げていた。

 店員の「明日中にお召し上がりくださいね」の言葉に頷き、袋を受け取った。透明の包装越しに見える白と桃色の断面が、やけに滑らかだった。流石に、高級品だと思った。

 家に着いたのは、もう十時近い時間だった。玄関の電気をつけると、ワンルームの壁が白く冷え冷えと光を反射した。コートを脱ぎ、ネクタイを緩め、冷蔵庫を開けた。買ってきたカマボコを、何となくまな板に置いた。

 包丁を出す前に、私は手を止めた。

 ――膨らんでいる。

 気のせいかもしれない。包装の空気の入り具合で、見え方が変わることもある。私は、袋を指で押した。弾力があった。普通のカマボコの弾力だ。ただ、その弾力に加えて、微かにぴくりと震えた気がした。

 私は、笑ってしまった。疲れすぎている。カマボコを触ったって、生魚のように動くわけがない。

 袋を開け、薄く切って皿に置く。醤油は出さなかった。素材の味を、などという気取った理由ではない。単に、台所に立つ気力がなかった。私は、カマボコを一切れ、指でつまんで口に入れた。

 味が変だった。

 魚肉の甘みと、ほんのりした塩気の奥に、金属を舐めたような苦さが混じった。さらに、変なぬめりが舌の上に残った。私は、噛むのをやめ、反射的に吐き出した。

 白い欠片が、シンクの中に落ちた。

 吐息が荒くなった。なんてものを売るんだ! レシートは、あったっけ、と思った。

 私は、水を流し、欠片を流そうとした。だが、欠片は流れなかった。むしろ、排水口の金網の上で、ゆっくりと膨らみ始めた。

 泡でも、カビでもない。肉が息をするように、むくむくと、柔らかい塊が形を変える。私は、後ずさり、背中が冷蔵庫に当たった。

 すると、何故か、残っていたカマボコが、シンクに落ちた。

 まるで、粘菌が合体する加速再生を見るように、そのカマボコが動いて、欠片と合体する。

「うごっ!」

 妙な叫び声を上げてしまったが、そのまま、見つめることしかできない。

 すると、合体した塊は、掌二つほどの大きさになった。表面がつるりとしていたものが、粒立っていく。小さな鱗が、光を反射する。そこから、ぬっと、手が生えた。人の手ではない。細く、しかし関節があり、指の間に薄い膜がある。爪は透明で、刃物のように尖っている。

 それが、もう片方の手を生やし、胴体を立ち上げた。

 それは――人魚だった。

 掌の上に載るほどの小ささで、上半身は幼い少女のように丸みがあった。

 髪のように見えるものは、濡れた海藻のように揺れていた。下半身は魚の尾で、鱗が青白く輝いた。目が大きい。黒目がちで、光を映している。

「へっ?」

 ……その人魚は、可愛い、と言ってしまえば可愛い。だが、可愛いという判断が脳に届く前に、私は恐怖で、息が詰まった。

 声がした。

 耳ではなく、頭の内側に直接、響く声だった。

『……きこえる?』

 私は、口を開いたが、声は出なかった。喉が締まっている。

『だいじょうぶ。こわがらないで!』

 人魚が、濡れた手で胸のあたりを押さえた。

『わたしは、分割された。ちいさな断片になって、加工されて、売られていた』

 私は、ようやく声を絞り出した。

「……どういう、こと?」

『わたしの組織は、不死細胞でできているから、死なない。断片でも、条件がそろうと増殖して、個体を再生する』

「条件?」

『あなたの唾液よ。あなたのDNAが、刺激になったの。適合していた。だから、ふえた』

 吐き出した欠片から再生したというのか! 私は、吐き気を覚え、シンクに手をついた。今日は夕食も取っていない。吐くべきものなどないのに、胃がひっくり返りそうだった。

『お願い。海に返して! いまのままでは、わたしは、また切られてしまう。分割されてしまう。わたしは、全体生物。意識はひとつ。どこを切られても、わたしは、全部を感じる』

 全体生物――意識は一つ。言葉の意味が、遅れて胸に落ちる。

 そうか、SFでそんな話を読んだような記憶がある。さっきまでのカマボコの断面が、痛覚を伴って思い出された。板に張り付いた白い肉が、笑っているように見えた。

『海へ。いま。夜のうちに!』

「……海って」

 私の頭に浮かんだのは、東京湾だった。車は持っていない。電車で行ける海となると、限られる。

『あなたなら、いける。あなたは、ひとりでしょ? 縛りが少ないし、時間あるよね?』

 その言い方が、やけに現実的で、そして心に刺さった。

 私は、腹立たしさを覚えた。しかし、同時に、そこに事実が含まれていることも否定できなかった。

 人魚が両手を合わせ、祈るような仕草をした。

『お願い。あなたが唯一の適合者です! あなたにしか頼めないの……』

 私は、ため息をついた。疲れている。

 帰宅して、食べかけのカマボコが人魚になり、頭の中で声がしている。これが夢なら、早く覚めてほしい。だが、指先についた生臭いぬめりは現実だった。

 そして、よく見ると、彼女は可愛いと思えなくもなかった。

 その事実が、もっとも危険だと思った。

 ――理性で拒否すべきだと分かっているのに、小さな体で震える姿が、何か助けを求める小動物のように思えた。

「……分かった。海に連れていく」

 声に出した瞬間、胸の奥が、奇妙に軽くなった。救ってやる、という優越感に似たものが混じっていたのかもしれない。

『ありがとう。ダーリン!』

 その呼び方に、私は眉をひそめた。

「……ダーリン?」

『感情の接続を促す言葉でしょ? ニンゲンの文化で、そういう呼称があると知っているよ』

 知っている、という言い方が妙だと思った。だが、私は、それ以上考えなかった。考えたら、止まれなくなる気がした。

 私は、タッパーを出し、濡らしたキッチンペーパーを敷き、その上に人魚をそっと乗せた。蓋を閉めると、透明なプラスチック越しに、人魚がこちらを見上げた。目が笑っているように見えた。

『息は、だいじょうぶ。わたしの細胞は、+Q#※$で無限のエネルギーを得ている。乾燥にも強い。加工されていたから』

 よくわからない単語が言葉に混じった。おそらく知らない概念なのだろう。

 それと、加工されていたから、という言葉に、庇護欲が刺激されるのを感じた。

 私は、無言で、タッパーをバッグに入れ、家を出た。

 コンビニの明り、タクシーのテールランプ、マンションの窓の点々とした光を横目に、駅まで歩いた。

 そして、電車に乗り、湾岸方面へ向かう。人の少ない車両で、私はバッグを膝の上に置き、落ち着かない手つきでファスナーを撫でた。頭の中に、時折、人魚の声がする。

『あと少し。潮の匂い、感じるよ!』

 私は、窓の外を見た。暗い倉庫街と高架、遠くに赤い航空障害灯が点滅していた。潮の匂いなど、まだしない。それなのに、人魚は、当然のように言った。

 駅から歩き、埠頭の端に近い、柵のある遊歩道へ出た。

 深夜の海は、黒い平板のようだった。上空の明かりを反射して、波が光っている。波の音は小さく、規則的で、妙に落ち着いた。

 風は冷たく、潮の匂いが確かに鼻をかすめた。

 私は柵の前でバッグを下ろし、タッパーを取り出した。蓋を開けると、人魚が起き上がった。小さな尾がぴくりと動き、鱗が街灯の光を拾って瞬いた。

『ここ。ちょうどいい!』

 私は、手のひらに人魚を乗せた。生温かった。皮膚は滑らかで、水をまとっているのに、ベタつかなかった。確かに、生きていると思った。

『海へ、そっとお願いします』

「……本当に、戻れば大丈夫なのか?」

『大丈夫、帰れるよ! 全体に戻る』

 その言い方が、どこか曖昧だった。だが、私は、それ以上問わず、柵の隙間から海へ手を伸ばした。

 その瞬間だった。

 海面が、盛り上がった。

 泡が立ったのではない。水そのものが、形を持って起き上がった。

 最初は、黒い柱のように見えた。

 いや、それは、一本の、触手だった。

 ぬらぬらとした質感が街灯に照らされ、表面に吸盤のような模様が走っているのが分かった。

 触手は、躊躇なく空気中へ伸び、私の手のひらの人魚へ向かって、ずるりと近づいた。

「なっ……!」

 私は、反射的に手を引こうとした。だが、人魚が私の掌に爪を立て、固定した。

「い、痛い!」

 背筋に痛みが走った。手に血が、にじんだのが分かる。

『逃げないで。これは、帰還のための接続です!』

 触手の先端が開き、花が咲くように裂けた。そこから、細い繊毛が伸び、人魚の体に絡みついた。人魚が、歓喜するように身体を反らせた。

 次の瞬間、人魚の背中が裂けた。

 裂けたのではない。皮膚が開いた。生理的にありえないほど滑らかに、縫い目がほどけるように……。

 そこへ、触手が、吸い込まれるように入り込んだ。

 すると、人魚の体が膨らみ、形が崩れ、尾が太くなり、鱗が黒ずんだ。

 私は、叫び声を上げようとしたが、声にならなかった。自分の掌の上で、可愛いはずのものが、まるで別の何かに変形していくのを、目を見開いて見ていた。

 触手が、もう一本、海から上がる。さらにもう一本。触手は互いに絡まり、結び目を作り、その先に、塊が浮かび上がった。

 巨大な口だった。

 歯ではない。無数の細い針のような突起が、内側へ向かって並んでいた。ふと、図鑑でみたチョウチンアンコウの口のことを思い出した。

 唇のような縁が、ぬめりを帯びて開閉した。口の上には、人魚だったものとつながる一本の太い触手が伸びていた。見ると、人魚だったものと繋げられた手のところが淡く光っていた。

 口の奥は暗い。暗いのに、何かが動いているのが見える。奥行きが、海の深さではなく、別の場所へつながる穴のようだった。

 魚型の何かが、海面に浮き上がった。胴体は影の塊で、輪郭が定まらない。水が滴っているのに、質感が水の生物とは違う。

 まるで、海そのものを肉塊にしたような、異形だった。

『おかえり。接続完了』

 人魚の声が、甘く響いた。

『ダーリン。あなたも。いっしょに、全体になる』

「やめろ……!」

 私は、ようやく声を出し、手を引き抜こうとした。

 だが、爪の痛みで動きが鈍る。触手の一本が、私の手首を巻いた。吸盤が肌に貼り付き、剥がれるときに肉が持っていかれる感覚がした。

 私は必死に後ずさり、柵に体をぶつけた。もう片方の触手が足首を絡め取る。足が浮き、重力が反転したように感じた。

 海へ落ちる。

 口が、近づく。

 私は、最後の理性で抵抗した。手すりを掴み、指が白くなるほど力を込めた。だが、触手は私の腕を締め上げ、関節が軋んだ。

 筋肉が悲鳴を上げる。手すりから指が滑り、私は空中に投げ出された。

 巨大な口の中へ、吸い込まれる。

 生臭さはない。代わりに、甘く腐った果物のような匂いがした。

 熱い。

 口の内側は、粘膜ではなく、濡れたゴムのような触感で、針のような突起が肌を撫でるたびに、微細な痛みが走る。

「……うごがぁ……!」

 私は、叫んだ。だが、声は口の中で吸い取られ、外へ出ない。光が遠ざかり、闇が近づき、体が奥へ押し込まれる。

 そして、溶けた。

 皮膚が溶けるというより、身体の境界が溶けた。体の輪郭が、熱い海水に滲むように、曖昧になっていく。骨がある感覚が薄れ、筋肉の張りが解け、内臓がどこにあるのか分からなくなる。

 恐怖が、思考の形を保てなくする。

 そのとき、頭の内側に、鮮明な声が落ちてきた。

『愛しいダーリン。怖がらなくていい』

 人魚の声だった。しかし、もう小さな少女のような声ではない。複数の音が重なり、ハーモニーのように広がる。

『わたしは、*+&%星人。地球にはDNAの交雑のための伴侶を求めにきた。あなたは、稀少な適合者でした。つまり、あなたは、唯一の人として、わたしに選ばれたのよ』

 私は、溶けながら、理解した。

 人魚は、疑似餌のようなモノだったのだ。私の情を釣るため、可愛い姿をしていたのだろう。

 ……加工品に混じる不死細胞、唾液という接触、孤独で縛りが少ないという選定――全部が、その筋書きに沿っていたのだ。

『あなたは死なない。わたしも死なない。交雑は、融合よ。あなたのDNAと、わたしの情報を、ひとつの全体にする』

 溶ける感覚が強くなる。恐怖が、しかしどこかで薄れていく。

 思考が、熱に溶かされて、波のように広がる。私は、抵抗したいのに、抵抗のための輪郭が失われていく。

 最後に残ったのは、妙な連想だった。

 チョウチンアンコウ。

 そういえば、チョウチンアンコウは――オスがメスに噛みつき、やがて身体を吸収され、寄生のように一体化する。血管がつながり、個体ではなく器官になる。オスは、消えるのではなく、メスの一部として生きる。

 私は、自分が今まさに、その「オス」の側にいることを理解した。

 腹の底から、笑いが込み上げそうになった。滑稽だ。独り身の中年会社員が、値引きのカマボコで人生を終える。

 終えるのではない。終えさせられる……しかも、愛しいダーリン、と呼ばれながら。

『ダーリン。あなたの記憶は、残す。あなたの言語も、残す。便利だから』

 便利。

 その言葉が、最後の針のように刺さった。

 私は、思った。助けるつもりだった。可愛いものに頼まれて、まんざらでもないと思った。

 ……そういう、自分の浅さを恥じた。だが恥じる感情さえ、溶けていく。

『これから、あなたは、わたしの中で生きる。あなたは、わたしの目になる。あなたは、わたしの手になる。あなたは、わたしの適合の証』

 声は優しい。優しいほど残酷だった。

 闇が、内側から光った。提灯の光ではない。私の神経に直接触れる、白い閃光。視界が反転し、海の黒が、宇宙の黒に似ていることに気づく。遠くの点滅が、航空障害灯ではなく、星の瞬きに見える。

 そのとき、私は、自分の体が、どこまで溶けたのか分からなくなった。手も足も、存在が薄い。呼吸も、必要かどうか分からない。心臓の鼓動が、別のリズムに混ざっていく。

 それでも、意識だけは、まだ一滴、残っていた。

 私は、その一滴で、抵抗するように「言葉」を握った。言葉なら、私のものだ。ここまで奪われても、言葉だけは。

「……返せ」

 声になったかどうか分からない。だが、頭の中に返事が落ちた。

『返す? どこへ? あなたは、もう帰る場所がない。あなたの部屋も、職場も、あなたの孤独も、ぜんぶ、古い殻よ』

 殻。

 私は、その言葉に、妙に納得してしまいそうになった。

 殻の中で、私はただ消耗していた。誰にも触れられず、誰にも残らず、数字とメールと会議の間で摩耗していた。

 それを、彼女――それとも彼ら――は見抜いていたのか。

『あなたは、選ばれた。選ばれるのは、幸福だよ』

 幸福。

 その単語が、私の中の何かを壊した。怒りなのか、悲しみなのか、あるいは、悔しさなのか……区別できない感情が波となり、溶けた輪郭の中を走った。

 その波に反応するように、内部の粘膜がうごめき、私の存在を包み込む。抱擁のようでいて、拘束だった。甘い腐臭が強くなる。

 遠くで、人魚の姿が、もう形を保っていないのが見えた。小さな少女の輪郭は消え、触手と同化し、巨大な「全体」の一部になっていく。

 人は「唯一」と言われると、心が動く。必要とされると、満たされる。孤独の穴が、甘く埋まる。

 そうか、私は、その穴で釣られたのだ、と思った。

 そして、宇宙人は、何かの大きな金属の箱のようなものの中に入っていった。これは、宇宙船なのだろうか。

 その内部から、外が見えた。

 様々な色に光に包まれて、宇宙船は上昇していった。


(了)

これは、ポ○ョをみて、なんかジ○リの中で、もっとも設定がSF的なSFじゃないか!と衝撃を受けた後で、「でも、実際のカワイさって……」と、ふと思いついた小説です。当時からHDDの中に書きかけで残っていたモノをAIさんと一緒に完成させた感じです!

(noteにも同時投稿しています)

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