会場の異様な空気 ——「熱のない群衆」
開会の鐘が鳴り響いた。
魔法学園中央ホールの扉がゆっくりと開き、魔力によって自動的に左右へ滑る。
まぶしいほどの光が差し込み、瞬間、王子は胸が高鳴るのを感じた。
嵐の前にはざわめきがある。
恐怖と憎悪が混ざり合い、やがて爆発する群衆心理。
英雄譚の序章はいつも、群衆のざわつきから始まったはずだ。
——しかし、現実は冷たい水のように背を撫でただけだった。
入場する生徒たちは、列を成さなかった。
背筋を伸ばして殺気立つわけでもない。
歩調は散歩のように穏やかで、足音も吸い込まれるように静かだった。
視線に緊張の色はない。
ただ「そこにホールがあるから入る」という、施設利用者としての自然な態度だけ。
入場口の近くで、二人の少女がひそひそと話す声が聞こえた。
「あの後の統計課題、提出締切延びたって聞いた?」
「ユーフェミア先生の補助魔法で集中戻ったから、昨日の夜に終わったよ。」
――断罪対象の名が出ている。
なのに、誰一人として恐怖も憎悪も纏っていない。
王子はほんの数秒、言葉を失った。
その隙に、会場へ流れ込む人々の空気はさらに淡くなっていく。
ホール内部は、異様なほど整然としていた。
教師陣は紙コップのコーヒーを手に持ち、
上座に腰掛けて談笑している。
生徒たちは座席に落ち着くと、ラップトップを開き、
ペン先を滑らせて課題を続ける。
研究員はスクリーン横の小型端末を開き、魔法論文のスライドを指で送っていた。
王族の断罪会場であるはずの空間が、ただの自習スペースになっていた。
緊張に震えているのは、王子の側近たち――ただそれだけだった。
彼らは視線を交わし、互いの肩を確かめ合うように寄る。
彼らの震えは、敵意の気配にさらされたものではない。
**“この世界で自分たちだけが異物となった”**という疎外感から来る震えだった。
「……会場、冷えておりますな」
側近のひとりが小さく呟いた。
それは決して上品な冗談ではなく、恐怖を隠すための藁のような言葉だった。
侍従は肩を落ち着け、淡々と返す。
「冷えているのではなく、温度が一定なのです」
ただの空調説明だった。
だが、その言葉は王子の耳に死刑宣告のように響いた。
この場には激情がない。
悲鳴も怒号も期待もない。
ただ「最適な温度」と「合理的な会話」だけが支配している。
英雄譚の舞台に立ったはずなのに、
王子は気づく。
ここには舞台が存在しない。
観客が感情を燃やす消防用水槽を、ユーフェミアは世界そのものに張ってしまったのだ。
そして――焚きつける火種がどこにもない。




