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3:時間と重力の死闘です

重力は空気を押し潰すように流れ込み、床がきしんだ。ナユタの姿はそこに立っているはずなのに、輪郭が波紋のように揺れている。

アラヤは時間を加速させた。動きが滑るように速くなるが、次の瞬間には足が沈む。時間が流れても、地面が存在しなければ走れない。ナユタの重力が空間そのものを押し潰し、進路を削り取っていた。


「……これは、力ずくの世界改変だな」

ラーダが息を呑みながら呟く。


アラヤは腕を振り抜く。時間を切り裂き、歪んだ流れを強引に戻す。だがナユタは無言のまま、指先をわずかに動かすだけでその修正を押し潰した。

天井が低くなったような圧迫感。耳鳴り。護衛兵の残骸が床にめり込み、骨も鉄も同じように粉砕されていく。


86400形が動いた。

彼女はアラヤの時間加速に同調し、重力の歪みを見切って飛び込む。拳銃を構える第二書記の前を横切り、ナユタに肉薄した。

「これ以上は――許さない!」


重力波が床を裂いた。86400形の身体は弾かれるように吹き飛ぶ。それでも彼女は空中で体勢をねじ曲げ、ナイフを引き抜き、ナユタの腕に突き立てた。

刹那、黒い血が霧となる。ナユタの動きが鈍った。


「……やるじゃない」

ラーダがかすかに笑った。


だが代償は大きかった。86400形の胸部が押し潰され、骨の折れる音が地下室に響く。床に叩きつけられた彼女は口から鮮血を吐き、目を閉じながらも必死に刃を引き抜いた。

「スターリン……今が……」


アラヤは時間を一点に収束させる。重力の奔流を裂き、ナユタに迫った。二人の能力が衝突し、視界が白く弾ける。秒針が砕け、床が浮かび、世界が数拍の間、無音に閉ざされた。


次の瞬間、ナユタは獣のように咆哮した。壁へと両腕を突き出し、重力の奔流を叩きつける。鋼鉄の壁が紙のように破れ、コンクリート片が雪崩のように落ちた。


崩壊した壁の隙間から、夜の風が吹き込む。ナユタの瞳はなおも虚ろだった。モーリスの声が彼女の口を借りて響いた。

「これで終わりではない。次は――始まりだ」


瓦礫を蹴り飛ばし、ナユタは闇の中へ消えた。


静寂のあと、86400の荒い呼吸だけが残った。

アラヤは彼女の傍らに膝をつく。血に濡れた手が震えていたが、その指先はまだ刃を握りしめていた。


「……勝てなかったな」

86400が呻く。


アラヤは答えなかった。ただ、その手を握り返した。





「何も言わない方がいいわ。傷に触る」

アラヤは86400の口元を押さえ、静かに言った。


「申し訳ございません。同志スターリン……私は……」

86400の声は血に濡れていた。


「喋らないで」

それ以上は許さなかった。


瓦礫の隙間から、四人組が這い出してきた。煤にまみれ、紫煙を吐く余裕もない。


「なんて奴だ……」

第二書記が呻いた。


「お怪我は?同志スターリン」

内務委員長が駆け寄ろうとする。


「大丈夫よ」

アラヤは一言で退けた。


「とにかく退避しましょう。ここは安全ではありません」

第二書記の声は震えていた。


「そんな暇はないわ。ヘリを用意して。モーリスを追う」


「しかし――」


反論は最後まで続かなかった。

内務委員長の顔色が変わった。無線機から伝わってきた言葉を理解した瞬間、彼の手は震え、眼鏡の奥の瞳が絶望に染まった。


「……まさか」


天井の鉄骨が軋む。遠雷のような低い振動が地下に届いた。

防空管制網が自動で作動し、地下室のスクリーンに赤い光が次々と灯っていく。円弧を描く軌跡。弾道ミサイル群が夜空を覆い尽くしていた。


「終末……報復装置」

内務委員長は呟いた。声はすでに人間のものではなく、記録を読み上げる機械に近かった。

「人類そのものを滅ぼす……」


四人組は息を呑んだ。誰もが理解した。国家ではなく、同盟ではなく――世界が終わるという事実を。


アラヤは黙って立ち上がった。

スターリンとしての記憶が脳裏に甦る。数百通の覚書、暗号化された作戦書。

その中にひとつだけ残されていた計画――《重力の虹》。


ラーダが口を開いた。

「それで、一体どうするつもりなの?」


アラヤは彼女を見据えた。

「決まってるわ。『ソラリス』に向かう」


声は硬質で、揺るぎなかった。

選択肢はひとつしかなかった。リセットではなく、観測のやり直し。終末を回避する唯一の方法が、彼女の前に口を開いていた。


四人組は互いに顔を見合わせた。彼らには何も理解できなかった。だが、アラヤだけは知っていた。

――世界の物語を終わらせるのではなく、もう一度「見直す」こと。それが、唯一の生き残り方だった。


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