2:重力使いからご主人様をお守りします
スクリーンが一瞬、暗転した。
砂嵐のようなノイズが走り、先ほどまで流れていた暴動鎮圧の映像が掻き消える。代わりに現れたのは、どこの国旗にも属さない影だった。
「……やあ、同志諸君」
声は無線の歪みを伴っていたが、異様に近かった。まるでこの地下深くの密室に、本人が立っているかのように響いた。スクリーンに映し出された顔――それはモーリスだった。
第二書記が眉を吊り上げる。
「…なんだこれは。回線を切れ!」
通信士が慌てて端末に手を走らせたが、制御盤の光はすべて赤く変わり、操作は受け付けなかった。
「無駄だ」
モーリスの影が笑った。
「世界統制官システムには“欠損”がある。五人で閉じられた環の中に、一つだけ空白が残っていた。その穴は、私のために開いていた。そう考えることはできないか?」
外務大臣の顔色が変わった。
「まさか……」
モーリスは頷いた。
「プロジェクト《1968》。あれは砂峡の戦争を終わらせるための道具だった。だが同時に、全世界を揺さぶるための種でもあった。偽情報は根を張り、大衆は自らの怒りを現実と信じ込んだ。君たちが“記録”と呼ぶものを、私は“信念”で上書きしたのさ」
スクリーンの背景には、各都市の燃え上がる光景が断片的に差し込まれる。首都の広場で走る学生たち、王都の議会前で燃える火炎瓶、皇国の工場地帯を襲う群衆、帝国の戦車に向かって立ち止まる赤黒の旗――映像は次々と切り替わり、目撃者の叫びや匿名映像の断片が洪水のように押し寄せる。
「お前が、これを……?」
首相が喉を詰まらせた。
「違うな」
モーリスの眼差しは冷ややかだった。
「私はただ、鏡を差し出したに過ぎない。映っていたのは、もともと君たちの世界だ」
内務委員長が苛立ちを隠さず叫ぶ。
「このシステムをどうやって……! 我々の指揮権に干渉するなど――」
その声をかき消すように、室内の警報が鳴り響いた。各端末の画面に赤い文字が流れる。
《権限移譲プロトコル発動》
アラヤは沈黙のまま立ち上がった。
紫煙の向こうで四人組の顔が互いに歪み、怒声が飛び交う。だがその喧噪すら、モーリスの声にかき消される。
「君たちの国家は、いまや自壊の回路に入った。だが安心していい。私はその終わりを記録し、記憶する。新しい物語を、ここから始めるためにな」
スクリーンに浮かぶ彼の笑みは、ノイズに滲みながらも確かに刻まれていた。
「これは困ったことになったわね」
ラーダが肩をすくめ、灰色の唇にかすかな笑みを浮かべた。皮肉とも諦念ともつかぬ声音が、地下の密室に響く。
「どうしますか、同志スターリン」
86400が問う。声音は冷静であろうとしたが、その奥に緊張が滲んでいた。
アラヤはためらわず答えた。
「決まってるわ。戦う」
その言葉を待っていたかのように、スクリーンの中のモーリスがわずかに口角を吊り上げる。
「ほう……だが、もう手遅れだよ。既に賽は投げられた」
彼は一拍おき、こちらを見据えた。
「――そうだろ?」
その瞬間、アラヤの視線が横に吸い寄せられる。
ナユタ。
彼女は壊れた操り人形のように首を軋ませ、関節が金属音を鳴らす。空洞のような瞳が、こちらをまっすぐに向いた。
「そうだろ?」
モーリスと同じ声を、同じ抑揚で、彼女がなぞる。
刹那、空気が裏返った。
見えない重圧が最高指令室を襲い、天井灯が一斉に爆ぜ、漆黒が落ちてくる。護衛兵の身体が崩れるように裂け、血が霧のように散った。通信士たちも叫ぶ暇もなく壁に叩きつけられ、赤い煙に変わった。
アラヤは反射的に時間を加速させる。
ラーダの腕を引き、重力の奔流が押し寄せる前に床へ身を投げた。空気が硬質化したような圧迫の中、呼吸さえも計算しなければならなかった。
86400は即座に状況を認識した。重力と時間の干渉、その歪みを嗅ぎ取り、全身を戦闘態勢に切り替える。足音は無い。彼女の動きは影が跳ねるようだった。
四人組の反応は遅れた。
第二書記と内務委員長が懐から拳銃を抜いたのは、血の飛沫がすでに壁に焼き付いた後だった。
首相と外務大臣は叫び声を飲み込み、頭を抱え机の下へ潜り込んだ。
モーリスの声が、闇の中に滲む。
「見ろ。記録に刻まれる前の“記憶”は、こうして容易に改竄できる。人間も、秩序も、歴史も」
アラヤは立ち上がった。
ナユタの瞳はなおも空虚に揺れている。重力が震え、時間が軋む。だがアラヤはその歪みの中に一歩踏み込み、指先に光を集めた。
「……モーリス。これは私の戦いよ」
血の匂いと煙に満ちた密室で、記録されぬ衝突が始まろうとしていた。




