1:なべて世は事もなしです
スクリーンに映るのは、セントラル・ニュース。
企業連邦の看板アナウンサー、ナンシー・ペロンが、砂嵐のノイズを割るように声を届けていた。
「……はい。こちらセントラルニュース、ナンシー・ペロンがお伝えします」
声にはわずかな掠れが混じっていた。それは煙のせいでも疲労のせいでもなかった。風に混じる血と塩の匂いが、その声帯を削っていた。
映像は断片的に切り替わる。
東方人民連盟の首都の広場。観測者の位置からでは判別できない数百人の群衆が、黒い影の塊となって揺れている。電話の通話記録が読み上げられる。
「多数の軍人が発砲している……抗議に集まった学生が、戦車に轢かれた……」
不鮮明な映像には、血の帯を引く影が映り、次の瞬間には砂埃に呑まれていた。
政府筋からの公式発表は「スターリンは健康であり、国内秩序に揺らぎはない」というものだった。しかし、ナンシーの声は冷ややかにその声明を切り裂く。
「……ご覧の通り、現地の状況は政府発表のいずれとも整合しません」
画面が揺れ、今度は王室連合。王都の大通りが映る。宗派ごとに異なる旗が押し合うように広がり、議会前の広場を埋め尽くしていた。火炎瓶の炎が夜を赤く染める。
「連合政府は神を失った!」
「我らが記録こそ唯一の真実だ!」
叫び声が飛び交い、やがて銃声に混じった。
祈りの声と罵声と泣き声が、同じ空気の中で燃え上がり、映像は焦げた紙片のように断ち切られた。
次に映し出されたのは、皇国の地方都市。かつて軍需工場が並んでいた街路が炎の帯と化している。
労働者たちが鉄扉を破り、銃を奪い、行政庁舎へ突入していく。
「皇国政府は国民に最後の一粒の米さえ与えない!」
群衆の咆哮が響く。
議事堂へ押し寄せる人々の波。掲げられた旗が引き裂かれ、政治家の銅像が縄で引き倒される瞬間をカメラが捕える。
「現在、宮廷は厳戒態勢に入りました。多数の憲兵が動員されていますが、軍の一部に不穏な動きがあるとの未確認情報も入っております」
ナンシーの言葉に、背後の爆炎が一拍遅れて轟いた。
報道は帝国の首都へと移る。
国防省の前、戦車が幾重にも並び、銃口を市民へと向けていた。
「現在、帝国内では『指導者の暗殺未遂』『軍の分裂』『王室連合との密約』など、根拠不明の情報が一斉に流れており、混乱は未だ収束していません」
映像は震えながら、赤と黒の旗を掲げる群衆を映す。
彼らは戦車の前に立ち止まり、怯えも恐怖も越えた表情で叫んでいる。
銃声。
叫び。
カメラが崩れ落ちるように地面を映す。
その瞬間、世界は「帝国のクーデター」という言葉を事実として受け入れた。
そして最後に、企業連邦。
映像は一転して明るい証券取引所の内部へ。
ナンシーの声は微笑を帯びていた。
「本日の企業連邦市場は、軽度の変動はあったものの、概ね安定を維持しています。スポンサー各社も物流の安全性を保証しており、市場への影響は限定的と見られます。以上、セントラルニュース、ナンシー・ペロンがお伝えしました」
その言葉を最後に、映像が乱れた。
ノイズの中で、ニュースロゴが浮かび上がる。
背後から混じる笑い声。
それは記録でも映像でもなく、ただ世界を弄ぶ者の声――モーリスのものだった。
セントラル・ニュースの光が、分厚い装甲扉の奥にある指揮センターの壁を青白く照らしていた。アラヤは画面に背を向け、無窓の空間に沈む憂鬱な時間をやり過ごしていた。
ここは首都郊外、国家指揮センター地下二十階。世界の終わりの日に備えて造られた防空壕――人はそれを「ドゥームズデイ・バンカー」と呼んだ。
そこには国家首脳部、いわゆる「四人組」とその供回りの官僚たちが集まり、ひとつの長机を囲んでいた。
アラヤは「八代目スターリン」として襲名させられた直後から、この場所に移されていた。だがその間に発した命令は一つだけだった。
――ラーダとナユタ、そして86400形を共に連れてくること。
それ以外に言葉は不要だった。
レクチャーは数時間にも及んだ。薄暗い空間で、分厚い書類と煙草の紫煙とが空気を重く満たす。
第二書記の濃い眉毛が動いた。
「首都にて発生中の暴動ですが、現在我々軍と内務省が協力して鎮圧中です。できれば本日中に片をつければ、というところです」
アラヤは短く息を吐いた。
「そう……。できれば、この件で逮捕された人間や、前のスターリン時代に収監された者に、恩赦を出したいのだけれど」
眼鏡を光らせた内務委員長がすかさず言葉を挟む。
「それはまだ時期尚早でしょう。襲名の事実を広く人民に知らしめ、その正統性を確立してからの権能発出とすべきです」
「私は前とは違う」
アラヤの声は冷ややかだった。
「お言葉ですが」
内務委員長は静かに続けた。
「変えてはいけないプロトコルは必ず存在します。それをお忘れなきよう」
その言葉に、外務大臣が七三分けの髪を撫でつけながら付け加えた。
「それより問題は国葬です。まともに執行できなかったのはマズい。人民連盟の構成国であれば内務省が記録措置をしてお帰りいただけばいいが、中立国の使節はそうもいかない。どう処理しますか」
第二書記が薄く笑う。
「またやればいいじゃないか。国家的セレモニーは何度やってもいい」
「そんな余力どこにもないぞ」
首相が重い声で割り込んだ。アザのある頭を振り、書類を机に叩きつける。
「既に国庫は火の車だ。鉄道もゼネストでロクに動かん。そもそもスターリンがどう死んだかすら、まだ公表していないじゃないか」
「そんなもの、全世界に喧伝できるか」
第二書記が吐き捨てる。
「恥を晒して何になる」
外務大臣は肩を竦めた。
「どちらにせよ、既に嗅ぎつけている陣営はあります。幸い今はどこも火だるまですから、大事にはなりません。やるなら今のうちかもしれない」
「国内が動揺します」
内務委員長の眼鏡がまた光った。
「いつも通り『健康上の理由』でよいでしょう」
その議論を聞きながら、アラヤはこめかみに鈍い痛みを覚えていた。
紫煙が目に沁みたからではなかった。
この四人組が吐き出す言葉が、どのように国を動かしているかを――自分の目で見てしまったからだった。




