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6:時間停止と加速で塔から逃げたけど、次に止まるのは世界か心臓か、ってくらいギリギリでした

 学園前の駅。厳重な警備の中、アラヤを含む女子生徒代表が来賓を迎える。


 招待された、5名の中央委員が列車から降り立つ。

 

 最初に降りたのは、白い髪に赤い瞳。10歳程度の少年――ではなく、でっぷりと太った極太眉毛の男。党のナンバー2、第二書記であった。

 

 その後も何人か中央委員が降車するが――スターリンの姿はどこにもなかった。

 

 女子生徒たちは顔を見合わせつつ、予定通り来賓を迎える歓待行事を始めた。




生徒会室で、ユリウスが窓際で報告を受けていた。


「……予定にありません。最高尊厳は到着されていないようです。

 どういたしますか?」


 副会長アイナが、少し焦ったように声を低めた。


 ユリウスは、チェス盤を見つめたまま、答えた。


「構わない。――計画は予定通り進める」




 創設祭式典は滞りなく終わった。

 革命詩の朗読、合唱、歴代烈士の追悼、若き戦士たちの宣誓。


 だが、スターリン本人はついに姿を現さなかった。


 午後五時。晩餐会に向けて校内では慌ただしく配膳と装飾の準備が進んでいた。

 その喧騒をよそに、生徒会棟は静まり返っていた。


 生徒会長室の一隅。

 アラヤは生徒会長の椅子に座り、窓辺を向いて扉が開かれるのを待っていた。

 静かに安全装置を外した銃――32口径のサプレッサー内蔵ハンドガンが、黒いグローブの中で冷たく存在を主張する。


 そして――扉が開く。


 ユリウス・ペトロニウスが、紅茶の香りをまとって入ってきた。

 革の靴音、整った髪、端正すぎる制服。


「やはり、いたか」


 彼は扉を閉めるなり、机にジャケットを投げかけた。


「前から思っていたんだが……ジャケットのボタンを止めないのは何故かな?

 その着こなし、少しブルジョワ的だろう」


「あなたほどじゃないわ」

 アラヤは椅子をユリウスに向け、銃口を真っ直ぐ向けた。


「なるほど……32口径、サプレッサー内蔵型のハッシュパピーか。

 人民武力総局仕様。暗殺向きだ」


「今なら命だけは助かるわ。降伏して。証言を取りたい」


「命があっても、人間としては死んだも同然だろう? それじゃ意味がない」

 ユリウスは冷ややかに笑う。アラヤが立ち上がり、ユリウスに近づく。


「できれば、全部吐いてもらいたいけど?」


「断るよ。君はチェス部に入ってくれなかったからね」


「入部届は、破かれてしまったから」


「そうだろうな――アイナ!」



ガシャァンッ!

 生徒会室の奥、壁際のロッカーが爆発的に開き、中から副会長――アイナ・グレバが跳び出した。


「ソーニャァッッ!!」


 ユリウスはその隙に机を蹴り、扉から姿を消す。


「待っ――!」


 追う前に、アイナが銃を掴み、アラヤに体当たりを仕掛けてきた。


 二人の体が組み合う。廊下に転がる銃。

 密着状態、時間停止は使えない!


「死ねよッ、東部のブス女がッ!!」


 アイナの手には、光沢のある銀の筒。

 ナノ毒粉を仕込んだ注射針が、アラヤの首元を狙って迫る。

 アラヤは腕を絡め、肘を滑らせて針の軌道をずらす。

 床に転げた刹那、膝蹴りでアイナの手首をへし折り、毒針を叩き落とす。


「くっ……がっ……!」


 アイナの手から力が抜け、アラヤは素早く裏から腕を回し――

 頸動脈に圧をかけ、昏倒させる。


 アイナが静かに崩れ落ちた。



アラヤは床に落ちた通信端末を拾い、耳に当てた。


「ラーダ、聞こえる?」


「どうした?」


「始まったわ。ユリウスを追いかける。急いで塔の記録保全を」


「了解。全系統、録画+暗号封止する。気をつけて」


 


 その瞬間――


 パァンッ……!


 校舎全域の照明が一斉に消えた。


 防音装置が解除され、遠くで生徒たちのざわめきが響き始める。

 生徒会室の窓の外、講堂の照明も消えていた。


 アラヤの手元の端末に、緊急アラート。


【“全電源網が遮断されました”】

【“魔術障壁・起動プロセス検出”】


 アラヤは銃を拾い、再び走り出した。


 ユリウスを追って。

 まだ対局は終わっていない。




 夕日が沈もうとしていた。

 燃えるような赤が、灰色の空を切り裂く。だがアラヤの視界は、その光より早く動いていた。


 時間加速、+4.5分。


 脚が、地を蹴る。

 廊下を、階段を、鉄のスパイラルを、逆風の中を駆け上がるように――時を超えて駆け上がった。


 耳元でノイズが弾ける。


「……ラーダ? ラーダ応答して。ラーダ、聞こえ……――」


 通信が、潰れた。ジャミング領域。


 アラヤは拳を握る。この塔の頂点に“何か”がある――




 重い扉を押し開けると、音が止んだ。

 風が、途絶えたように静まる。


 そこにはユリウス・ペトロニウスがいた。

 校章のマントをなびかせ、塔の手すりに向かって立っている。


 彼の前に置かれていたのは、小型の録音装置。

 既に録音は終わっていたようで、再生ボタンが赤く点滅していた。


「〈人民は記憶を失い、指導部は真実を恐れる。

 “1968”こそ、記憶の奪回だ〉」


 記録された彼自身の声が、風のように耳を打った。


 アラヤは一歩踏み出す。


「……終わったの?」


 ユリウスは振り返りもしなかった。ただ静かに、空に向けて語った。


「君は……“誰の時間”を生きている?”」


 アラヤは応えず、銃を構えた。


 彼は振り返り、銃口の先に自らのこめかみを押し当てた。


「君がこうしてここにいるということは、一号――スターリンは来ないということだな。

 つまり……僕は、まんまと嵌められた」


「投降しなさい。まだ、生きて話す選択肢はある」


「生きても、家畜として囲われた“箱舟”の中だ。

 僕たちは、ずっと箱庭で踊らされていた」


「それが証明されても、あのクーデター計画なら3日後には鎮圧される。

 あなたの計算は、数式が違う」


 ユリウスの唇が僅かに笑みに歪む。


「“白うさぎ”を追え。

 穴の底で、“正しいg”を測るんだよ」


 次の瞬間、彼は身を翻し――

 背後のステンドグラスを蹴り破った。




「ユリウスッ――!」


 アラヤは反射的に、0.7秒の“時間加速”を発動。

 腕を伸ばし、身体を前へ――だが、届かない。


 塔の外、宙を落ちていくユリウスの袖口が風を切る。


 その途中で、片方のカフスボタンが宙に浮いた。

 くるりと回転し、裏面が見える。


 QR状の魔術刻印。

 そして――白灰と化して霧散する。


「っく……!」


 地面まで、2.3秒。


 アラヤは時間停止を試みようとする――だが発動しない。

 直前の加速能力行使で、時間停止はインターバル発生中だった。


 ただ見ているしかなかった。

 落下、衝突、鈍く濁った音。塔の中庭に赤い染みが広がる。



 アラヤが息を呑んだそのとき、

 ラーダの声がヘッドセットから割れるように戻ってきた。


「……っし、聞こえる? 通信復旧。塔上のジャミング切れたわ」


「……間に合わなかった。ユリウスが……落ちた」


 ラーダは一瞬の沈黙ののち、淡々と呟いた。


「落下速度 19.8 m/s。落下時間 2.3 秒。

 重力加速度は……g = 9.83 m/s²。

 誤差、0.02以下」


「gが……違う……?」


 


 その直後。


 校舎全域、赤色ユニネット端末が一斉にログアウト。


【“1968 - COUNTDOWN: 00:00:00”】


 画面が白転し、文字が崩れるように消えていく。


 すべての関連ファイルが、自壊コードにより消去。

 外部通信ログも、完全蒸発。


「重力を……パスワードにした自爆装置……?」


「そのようね……条件は“観測された正しいg”。

 記録は、アラヤ――あなたの記憶と、私の内部ストレージにしか残ってない」



 塔のてっぺんに、ただ風が吹く。


 夕日は完全に落ち、夜が訪れた。


 だがこの夜を覚えている者は、きっと、世界に二人だけ。


 


「白うさぎは、穴に落っこちた。それとも……?」


 アラヤは足元の砕けたガラス片を踏みながら、空を見上げた。



 ユリウス・ペトロニウスの遺体が中庭から回収されたのは、その晩遅くのことだった。

 創設祭の祝賀ムードは、一瞬の騒然とした沈黙を経て、再び何もなかったかのように再構築された。


 翌朝、アラヤは学園監査局の臨時審問室にいた。

 尋問官は二人、無表情のまま、記録装置を挟んで座っている。


「なぜ生徒会長室にいた?」


「ユリウスの様子を不審に思い、様子を見に行った」


「落下時、君はどこに?」


「同じ塔の上にいた」


「止められたか?」


「無理だった。彼は、飛んだ」


 尋問は簡潔に終わった。


 その晩、学園上層に“中央”からの文書が届いた。


【件名:教育施設内の突発事故に関する処理通達】

【記録分類:機密指定α‐3/最高書記直通】

【内容:対象人物 ユリウス・ペトロニウス の死亡は“転落事故”として処理。遺族への通知は要請により簡略化】

【現地記録の封鎖および全報道の規制指示を発令。記録単位は閉鎖済】


アラヤは暗号化したスターリン直通チャンネルに短く報告を送った。


【蜂起計画は潰えた。トリガーは重力。観測者は消失】

【記録完了。選択的忘却処理へ移行】


 その指示を受けて、最終プロトコルが発動される。

 ラーダが、学園滞在中の8日間の映像・音声・文脈記憶をアーカイブし、

 アラヤの脳内で、“ユリウスの最期の表情”だけを暗号化保存。

 それ以外の人間関係・環境記録は消去。



「アイデンティティなんて、今さら意味ないのよ」

 ラーダが言った。

「あんたは、“任務のためのアラヤ”でしかない。

 それで何が残るか、考えるのは次の作戦の後ね」


「……ねえアラヤ」

 

 夜の自室で、ラーダが軽口をたたいた。


「どれだけファイルを焼却しても、人の噂ってやつは残るのよ。

 『恋人の喧嘩だった』とか『愛人同士の心中未遂』とか。尾鰭は無限大。ご苦労さま」


「……そうね」


 アラヤの自室に、ラーダに似た万能文化女中が次々と入ってくる。人民武力総局の掃除部隊だ。

 

 それぞれはあらかじめプログラムされたように、アラヤの部屋の痕跡を一つ一つ消していった。


「帰朝命令が出たわ。今夜中にここを引き払う」


「わかった。私はアイナの部屋に行ってくる」


 副会長のアイナは逮捕された。

 護送の瞬間すら、学園内で目撃された者はいない。

 以降、彼女の机も、写真も、名簿も、すべてが学園から消えた。

 教室の空席は、最初から存在しなかったものとして“整理”された。



 アラヤとラーダは他の文化女中と共に、自らの痕跡と、アイナの存在を全て抹消し、学園を後にした。



 ユリウスの遺品――黒革のノートがひとつ、机の裏から見つかった。

 ラーダはそれをスキャンし、音もなくページを繰る。


「見つけたわ。これ。彼の最後の“数式”」


“白うさぎとは、落下の測定そのものである。”


 そして、別ページには物理定数が鉛筆書きされていた。


g = 9.834 m/s²

R = 6,396 km

ρ = +0.3%


「この惑星、地球じゃない。彼は、そう言いたかったのよ」


「……証明された“重力”が、記録のトリガーだった」


「観測された真実が、すべてを壊す。

 それが“1968”の鍵だったのね」



 翌朝。


 アラヤは学園から遠く離れた国道の路肩に佇んでいた。

 腰掛けているのは一台のメイド――ではなく、軍用多目的バイクへと変形したラーダだ。


「解析完了。

 この惑星、地球半径比で+0.3%、密度も微増。

 重力加速度がg=9.83なのは、それで辻褄が合う」


 アラヤは空を見上げる。


「……世界が偽物でも、落下は本物よ」


 ふっと、笑った。

 ハンディラジオから、また機械的な音楽が流れた。


「人民労働無尽の当選番号をお伝えします。

 1245の3、2648の9、3685の5、……」


 アラヤはその数字を紙片に書き留め、無言でバイクに跨った。


「目的地は?」

「……記録されない場所へ」


 ラーダがエンジンを起動。

 二人は風の中に走り出す。

 遠くに見える学園は、蜃気楼のように地平線と一体になって消えた。


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