11:スターリン生誕祭
鐘の音が鳴っていた。
連盟全土に響き渡るはずの鎮魂の鐘──その音は、早々に怒号と爆音に掻き消されていた。
スターリンの国葬が始まると同時に、通達されていた「追悼行進」は破綻し、各地で記録されていたデモ隊が、一斉に武装蜂起を開始した。
首都中央広場では、学生たちが「赤き心臓は我に在り」と染め抜いた垂れ幕を掲げ、軍用トラックに火を放ち、装甲車の上で詩を朗読していた。
列車基地では、整備兵たちがツナギのまま拳銃を持ち、指揮系統からの独立を宣言。
食品省の建物は放火され、冷蔵庫から逃げ出した人工肉が黒煙の中で溶けていた。
誰もが、何かの革命を名乗っていた。
労働者は革命を語り、学生は文化を叫び、内務省は反乱を演出した。
そして、その混沌の渦に、魔女たちが降り立った。
「確認。第二戦線が形成された。各員、警戒を強化」
ラーダは立ち止まった。広場の対岸、党本部の崩れた外壁の上。
そこに降下してきた内務省直属の魔女たちは、統一された灰色の軍服に、階級章すら刻まぬ鉄仮面を被っていた。
「初期型ね」ラーダが言う。
「感情を捨てたプロトタイプ。面倒くさい相手だわ」
アトリの通信が割り込んだ。
「こちらアトリ。首都全域の魔術通信網が遮断されつつある。内務委員長直属の魔女部隊が、街そのものを『封印都市』に作り替えようとしている。
アラヤ、目標は変わった。スターリンの遺体と同時に、“廟”そのものを奪取する。今、奴らがそれを制御しようとしている」
アラヤは頷いた。
「了解、局長。こちらはナユタと合流済み。これから東区中央演説塔を経由して廟に向かう」
「敵、接近」
86400形が警告した。
歩道の陰から、黒いマントを纏った少女が姿を現した。
手には連盟制式の魔術強化型機関拳銃《KPP-9》。だが、その周囲には熱を持った“振動”が発生していた。
「クーデター派の魔女?」
ナユタは息を呑んだ。
「違う」アラヤが静かに言った。
「彼女は民兵だ。反動派に雇われた、都市民間魔女。……殺すためだけに呼ばれた余所者」
彼女の名は不明。識別番号すら削除されていた。
だが、その指先が引き金にかかるより速く、アラヤは時間を止めた。
0.4秒。
銃声と共に宙に舞った魔法弾が空中で凍り、続いて空間がひび割れる。
次の瞬間、ナユタが地を蹴り、重力場を反転。少女魔女の周囲の道路がめくれ上がり、反動で建物の一部が崩落する。
「どうしたぁ?」
ナユタの声が響く。
少女魔女は咆哮と共に跳び上がり、弾道魔法を解放──だが、それを迎撃したのはラーダだった。
「指揮系統はバラバラ。攻撃は素早いけど、習熟が浅い」
ラーダの手には、機関式魔法掃射ユニットが展開されていた。
連続詠唱による局地防壁と、広域加速場の干渉で敵の足元を奪う。
「じゃあ、こっちは徹底的にやるわよ」
ラーダの指先が触れるたび、爆炎が連続し、車体が跳ね、空気が焦げた。
その混乱の中、アラヤと86400形は共に駆けた。
建物の壁を登り、魔術防壁を抜け、演説塔の残骸を越え、ついに遠くに“それ”を目視する。
スターリン廟。
全ての少年の記憶が収められた、連盟最深の機械記録庫。
だが、その前に立ちはだかったのは、別の姿だった。
「止まれ」
内務省服を着た男。だがその背後には、五体の魔女──いずれもかつて党の保守派に連なり、反革命分子を無数に処刑した「赤の連星」と呼ばれる戦闘魔女部隊の生き残り。
86400形が呟く。
「……本気だな。内務省。これ、クーデターじゃないか」
「革命の火は、絶えず揺らめく」
アラヤは銃を構えた。
「でも、熱すぎれば燃え尽きるだけよ」
空は焦げた紙のように曇り、建物の残骸には魔術反応で焼け焦げた痕跡が無数に刻まれていた。周囲に人影はない。逃げ遅れた学生たちすら、ここからは消え去っていた。
「……来る」ラーダが呟いた。
四方の死角から、静かに足音が迫ってくる。
五つの影。いずれも、軍制式外套を改造し、血のように赤く染め上げた紋章を胸に抱えていた。
《赤の連星》──二十年前、党内保守派に直属し、反革命分子・異端魔女・裏切り者を数千単位で処刑した魔女部隊。その生き残りが、スターリンの“遺体防衛”任務の名の下に再召集されたという。
中央の魔女が一歩前に出る。白髪に軍帽。眼窩は空洞で、代わりに埋め込まれた赤銅のスコープが薄く発光していた。
「アラヤ。お前は国家にとって最も危険な“記録者”になった」
低い、嗄れた声。
アラヤは足を止める。「なら、記録の続きを書かせてもらう。あなたたちの最期をね」
瞬間、空気が裂けた。
五体の魔女は陣形を組まず、それぞれ異なる魔術形態で攻撃を仕掛けてきた。火炎、音響、重力、幻覚、そして毒。
「ナユタ、後ろ!」
アラヤが叫ぶより早く、ナユタの周囲に重力球が展開し、迫る魔女の爪を逆方向に跳ね飛ばす。
ラーダは電子干渉による幻覚術を即座にキャンセル。無数の錯視を粉砕して対魔術センサーを最大出力へ。
「一体ずつ、潰す!」
アラヤが宣言し、最前の“音響魔女”の喉元に弾丸を撃ち込んだ。
血は出なかった。彼女の身体は既に機械化されていた。
「機械でも、機能は止まるわ」
ラーダの手から閃光が放たれ、脳幹部へ直撃。魔女の身体は一瞬ビクリと痙攣し、そのまま後ろへ崩れ落ちた。
だが、残りの四体はなお健在だった。
86400形が時間制御を展開。0.3秒、全体の流れが静止し、ナユタがその隙を突いて二体目の“火炎魔女”に重力の槍を突き刺す。
「これで半分!」ナユタが叫んだ。
三体目の魔女が空間を折りたたむように出現し、アラヤに毒の霧を浴びせる。
「毒は……既に対策済みよ」
アラヤは静かに呟き、前方の爆発に紛れて接近。至近距離から銃弾を放つ。
一閃。脳幹を失った魔女は声も上げずに沈んだ。
四体目と五体目──生き残りの中でも最も凶悪とされた双子の魔女“カリナ”と“セラ”が重力と幻覚を同時展開し、廃墟全体をねじ曲げるように襲いかかる。
「ラーダ、今!」
「分かってる!」
ラーダは前方の柱に身を伏せると、魔女たちが用いていた幻覚魔術と同波長の干渉波を流し込み、逆操作。
幻覚の“視界”を奪い、逆に位置情報を与えた。
「ナユタ!」
「了解!」
ナユタは二人の魔女が重ねた重力波を反転し、魔術構造そのものを崩壊させた。
爆音と共に双子の魔女が膝をつく。
86400形が二人の背後へ回り、銃口を突きつけた。
「これで、終わりだ」
発砲の音。沈黙。廃墟に風が戻ってくる。
「終わった……な」
ナユタが呼吸を整えながらつぶやく。
だが次の瞬間、通信機にノイズ混じりの声が入る。
「……こちらアトリ。聞こえるか? スターリンの遺体を運搬中の霊柩車が南東の補給線を抜けて脱出中。警備を欺いたらしい。もうすぐ第二書記の部隊に捕まる。今なら追いつける!」
アラヤが即座に頷いた。「追うわ。車は?」
「裏の通用口。奪える状態で放置されている軍用車がある。急げ!」
彼らは即座に廃墟を駆け抜け、軍の投棄車両に飛び乗った。
ラーダが操作系を即時再起動し、ナユタがハンドルを握る。
「目標視認!」
前方──多重封鎖の迂回路を疾走する黒塗りの霊柩車。周囲にはすでに護衛の軍車両が二台。
「アラヤ、行け!」ラーダが叫ぶ。
アラヤは車体を開き、跳躍の態勢を取る。
車が重力操作で持ち上がった瞬間、アラヤは空中を駆けるように、霊柩車の屋根へと飛び移った。
車体を揺らしながら、彼女は後部扉を開き、内部へと滑り込む。
「確認……遺体、確保」
アラヤの声が通信に乗った。
ナユタがハンドルを切り、追撃を撹乱。ラーダがジャミングを展開し、86400形が後方で迎撃を開始する。
「前方、遮断装甲! 通れない!」
ラーダの警告と同時に、先導車の天井に内務省軍の機銃弾が降り注ぎ、鋼鉄のボンネットを蜂の巣にした。
「どけ!」
ナユタが運転席から叫び、瞬時に重力場を反転。
霊柩車の下部を支えていたアスファルトが裂け、装甲車両ごと横転。上空へ持ち上がった残骸が橋の上で爆散した。
「このままじゃ持たない!」86400形が叫ぶ。「増援の魔女部隊が東通りから接近中!」
「見えてる」アラヤは短く返す。背後で黒煙が追ってきていた。軍用ドローン、銃座付きの追跡車、そして空からは滑空降下する“銀翼の魔女”たち。
だが、彼女たちは逃げなかった。
「分かってるでしょ、アラヤ」
ラーダの声は明晰だった。
「先に行きな。私たちでなんとかする」
ナユタはアラヤに笑いかけた。「後でね」
「……まさか、私がこんな任務に投入されるとは思わなかった」
86400形が息をつく。「上層部の人間はどこまで私たちを使い潰す気だ」
アラヤは答えなかった。ただ後部座席の棺の上に手を置き、一度だけ目を閉じた。
「ありがとう」
そう言って、車を切り離す。
スターリンの遺体を乗せた霊柩車が単独で地下ルートへと滑り込む。
瞬間、ラーダが起動したEMPが周囲の機器を焼き切り、ナユタが浮遊瓦礫を振り下ろし、86400形は時間を引き伸ばして一瞬の間に20の敵を沈黙させた。
爆発、銃声、魔術、スモッグ。
混沌の中、アラヤはひとりで“心臓”へと降下した。




