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8:首都に動乱の気配です

首都の街に、奇妙な音が満ちていた。軍用車両のエンジン音と、手押し車の軋み、複製機の唸りと、通りを埋めるざわめき。整然とはしないが、無秩序と呼ぶには何かの“方向”を孕んでいた。


弔意を名目に、全国から人々が集まってきていた。いや、弔意を“装って”と語る者もいた。とりわけ学生たちの動きは活発で、大学構内やその周辺には立て看板、壁新聞、即席の演壇が立ち、三人一組で配られるビラの束は、検閲をすり抜けていた。


駅前広場には、“詩”と題されたスローガンの断片が貼られ、それを囲むように若者たちが黙って立っていた。腕章を巻いた学生警備隊らしき者たちが交通整理を担い、旗を持った者たちは沈黙の列を組んで歩いていた。


「スターリンよ、永久に」

そう書かれた横断幕の下には、

「真実に光を」

「我ら人民の勝利を」

「未来の歴史に問う」

といった落書きが重ねられていた。


交差点ではバスが停止し、運転手が一枚の抗議文を掲げたまま座り込んでいた。乗客は誰一人として異議を唱えず、むしろ地べたに腰を下ろし、誰かが持ってきたパンを分け合っていた。工場の門には鍵が掛かり、作業着の男たちが構内から椅子を持ち出して、煙草をふかしながら空を見上げていた。


首都の大通りは、まるで何かを“待っている”ようだった。



内務省による“弔意集会の記録撮影”と称した監視は強化されていたが、カメラを向けられても人々は表情を変えなかった。むしろ、まっすぐレンズを見返す者すらいた。


「この空気、いやだね」

ナユタは、アラヤの隣で言った。

「息が詰まりそう。いつ何かが始まってもおかしくない感じ」

アラヤは答えず、遠くのビルの屋上に設置された監視魔導レンズの回転音に耳を澄ませていた。


「すべてが、動きたがっている」

ラーダが言った。装甲車の残骸の影から周囲を見回しながら。

「誰もが、何かが崩れるのを期待しているのよ。崩れたら自分も一緒に押し流されるか、それとも乗っかってやるか…それしかない」


「問題は、どちらの波に乗るかね」

アラヤは応じた。

「そして誰が、どこからそれを起こすのか。あるいは、すでに起き始めているのか」


国営ホテルの前には、黒塗りの高級車が列を成し、軍装の兵士が通行人を遠ざけていた。だがその背後にある広場では、学生たちが小さな舞台を設営し、花を持った若者が演説の順番を待っていた。


空にはまだ、紫色の魔法陣の痕が淡く残っていた。まるで何かが終わらず、今も続いているとでも言いたげに。スターリンの死は、彼の不在よりも、彼の“記憶”を今この場所に呼び戻していた。


そして、その記憶は、街路を行く一人ひとりの足音によって育っていた。


国家が最も恐れるのは、計画された破壊ではない。

予定にない“覚醒”だ。


それが今、街の石畳の隙間から芽吹こうとしていた。




首都の中心、かつて政府の迎賓用途に使われていた国営ホテルの塔屋は、いまや臨時の要塞だった。

銀製の軍章が刺繍されたカーテンの内側では、第二書記を頂点とした軍事的・経済的エリートたちが、死の余韻に乗じて国家再編を試みていた。


最上階スイートに向けて、今宵も黒塗りの公用車が列を成し、警備の憲兵が眉一つ動かさずに人々の出入りを監視していた。


その様子を、100メートルほど離れた交差点に駐車した車両から見つめる者たちがいた。


「魔術防御が三重構造。軍の精鋭部隊が輪になって張り付いてる。まるで前線の拠点みたいね」

ラーダは眼鏡型の戦術センサーを通じて監視網を確認し、短く言った。


「正面から突破できない? この四人なら、割といけると思うけど」

ナユタは前屈みになって窓からホテルを見上げた。かすかに緊張を孕んだ目の奥には、既に闘志の熱が灯っていた。


「派手に動けば、内務省も軍も全部敵に回すことになる。いまはまだ、その時じゃない」

アラヤは静かに言い切った。


「同じ“宮仕え”だから、今ひとつ気乗りしないな」

86400形は短く吐き捨てた。服装こそ同じでも、彼女の声には皮肉と憮然の色が交互に現れた。


アラヤは答えなかった。ただ視線を再びホテルへと向ける。その時だった。

一人の女が、ホテル正面の検問を、肩を揺らすような歩調で通過していった。

濃い口紅に、過剰な装飾のコート。キャリーバッグを引き、胸元にはネオンピンクのペンダント。

この場所の空気には明らかに不似合い。だが、警備の憲兵たちは目線すら動かさなかった。


「…彼女、顔パスだった」

アラヤの声が沈んだ。


「娼婦ね。ああいうのを使う連中はいつの時代もいるってこと」

ラーダが肩をすくめるような声で言った。


「なら、あのルートを使う」

アラヤの言葉に、車内が一瞬沈黙した。


「今度は色仕掛けってわけ?」

ラーダの声には軽い毒が混じっていたが、アラヤはそれに反応しなかった。


国営ホテル地下、女子洗面所。


鏡の前で口紅を直していた娼婦は、背後の気配に気づく間もなかった。

一瞬、空気が沈み、そして音もなく意識が途切れる。

アラヤはその体を優しく床に横たえ、すぐにその服を剥ぎ取る。汚れた外套。ネオン色の装飾。過剰な香水。キャリーバッグの中には紙幣と香水と避妊具。どれも予定調和のように整っていた。


通信機に小さくノイズが走る。


「ラーダ、準備は完了」

「了解。あなたにああいうのは似合わないって言いたいけど…それが逆に効くのよね、こういう時は」


アラヤは娼婦の顔に簡易的な幻影魔術をかけ、監視カメラの検出から外れるよう調整する。

靴の音、香水の香り、表情、歩幅、すべてを模倣し終えたとき、アラヤの瞳にはもう“アラヤ”の面影はなかった。


彼女がホテルのロビーに入ると、空気が瞬時に変わった。

通過するスーツ姿の男たちが視線を向ける。

だがその視線には敵意はなかった。むしろ、予定調和の一部としての理解と歓迎の色があった。


アラヤはエレベーターに乗り、スイート階のボタンを押した。


「内部に侵入。次は接触」

通信機にアラヤの声が届く。


「慎重にね。あんたの色気は凶器だから」

ラーダの声が応じる。


そして、密室の戦場への扉が静かに上昇し始めた。

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