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1:未復員

「……はい。こちらセントラルニュース、ナンシー・ペロンがお伝えします」


ナンシー・ペロンの声は、わずかに掠れていた。煙で焼けた声ではない。喉に絡みついたのは、吹きつける風に混じる、塩と砂と死者の気配だった。


「ご覧ください。この歩く兵士たちは、すべて東方人民連盟に所属する兵士たちです。彼らはこのように、帰還する手段すら喪失し、徒歩での本国帰還を余儀なくされています」


画面には、群れをなして歩く男たちの影が映っていた。足を引きずる者。包帯が剥がれたままの者。銃を杖代わりにした者。兵士というより、そう――ただの、生き残りたち。


その列は、まるで言葉のない詩だった。

誰もが同じ方向を向いているのに、誰ひとりとして同じ歩幅ではない。


「これは敗北ではありません。勝利の終わりですらありません。これは、帰還という名の、第二の戦争が始まっているようです」


曇天の下、影は果てのない地平へと流れていた。かつて補給線だった鉄道は、爆破され、レールはねじ曲がり、線路の上に咲くように乾いた血が滲んでいる。食料の輸送トラックは、将官らの「退却用車列」の一部としてすでに使い潰されており、野戦病院はすでに焼かれた。指揮官の姿は、どこにもなかった。


「ご覧ください。彼らは、置き去りにされたのです。東方人民連盟の指揮官はすでに本国に帰還しており、こうした弱い立場の兵士たちが苦しい状態に追い詰められています。東方人民連盟によれば、復員は順調に進んでいるとの声明が出されていますが、こうした徒歩での長い帰還の列は現在も進行中です」


カメラは静かにパンした。砂嵐にかすむ映像の中、ジャケットを肩にかけた兵士が空の水筒をくわえている。倒れた仲間のポケットから乾パンを取り出し、それを二つに割って、傍らの別の兵士に差し出す。その仕草は、あまりに自然で、無言の連帯に満ちていた。



報道は、上空からの映像に切り替わった。廃れた国道、荷台を焼かれたトラック。記章を外した制服の群れが、列をなして雪解けの川を渡っている。川の水は澄んでおらず、泥にまみれていた。誰かが叫んだ。「帰るぞ」と。それは命令ではなかった。誓いのようなものでもない。ただ、喉に詰まった呼吸が、言葉になっただけだった。


「祖国が彼らに与えたものは、地図ではありません。ただの方角でした」


ナンシーの声が止まる。

代わりに流れたのは、低い金属音と砂嵐のノイズを交えた風の音だった。編集された映像の中で、ある兵士が立ち止まり、足元の小さな碑に気づく。そこには錆びた金属片でこう刻まれていた――《第15連隊、帰還中 》と。


「しかしながら、東方人民連盟の撤兵が進んでもなお、砂峡地帯の“平和”は現在も確立できておらず、新たな火種が芽吹いています。」


映像が切り替わる。かつて停戦交渉が行われた旧王室連合の前哨基地が、今や他宗派の民兵に占拠され、焼き払われる様子が映し出される。砂の街、神の名を唱える銃声。泣き叫ぶ子ども、祈りながら崩れ落ちる女たち。複数の宗派が「正義」を競い合い、「神の正しい記録」を奪い合うように、虐殺の連鎖が始まっていた。


「砂峡地帯で自然発生した『春』と呼ばれる各民族の独立や信仰を求める騒乱は、それぞれの陣営が武装勢力を動員して混迷が深まる状況です。」


ナンシー・ペロンの顔が、ようやく映る。カメラの前に立つ彼女の背後で、遠くの地平線に小さな閃光が瞬く。赤黒い煙が上がる。まるで爆発が一拍遅れてやってきたかのように、映像は一瞬だけ揺れる。


彼女は言った。


「――ここは、終わった戦場ではありません。ここは、新たな紛争の“始まり”に最も近い場所と言えるでしょう。以上、セントラルニュース、ナンシー・ペロンがお伝えしました」


映像はそこで途切れた。代わりに、企業連邦セントラル・ニュースのロゴが表示される。静かなジングル。だが、その音楽の背景で、兵士たちの足音だけが、今もなお響いているように感じられた。




舗装が途切れる。車体がわずかに沈み、次いで浮き上がった。ナユタは速度を落とさず、前方の霧に包まれた鉄橋へと無言で突き進む。湿った泥の匂いと、焼けたブレーキの残り香が窓越しに流れ込んだ。


アラヤは言葉を持たなかった。喉元で何かが反芻されているのを感じながら、ただ視線を窓の外に預けていた。

そこに広がっていたのは、戦後という名の砂漠だった。


“終わった”はずの戦争は、報道官の舌の上では既に過去形になっていた。停戦協定は結ばれ、人民連盟の旗は再び首都の広場に掲げられた。スターリンの演説は、いつも通り形式的に愛国を歌い、聴衆は機械のように拍手を送った。


だが、空っぽの食料倉庫と、街灯が灯らない駅前通りでは、過去形など一度も使われていなかった。


「――停戦は記録上の話だよ」


助手席からナユタが言った。感情を削ぎ落とした声だった。言葉というより、事実をそのまま運んできたような響き。

アラヤは頷かず、ただ瞼を下ろす。


「でも、国民はそれで安心してる。“終わった”って言ってくれれば、疲弊を整理できるから」


ナユタは肩をすくめるでもなく、視線をフロントガラスの先に固定したまま言葉を続けた。


「見てきたでしょ、アラヤ。電力供給は戦前の4割以下。鉄道は止まったまま、通信回線は一日おき。リソースは再配分じゃなく、隠蔽に使われてる。上層は復興よりも、記録の改竄に夢中ってわけ」


アラヤは何も答えなかった。答えという概念そのものが、今は形を持っていなかった。


遠くで列車の汽笛が鳴る。だがそれは、実際の運行ではなかった。線路上に放置された車両が、風に押されて鉄の摩擦音を響かせているだけだった。


帰還兵たちはそこにいた。かつての最前線、砂峡地帯からの徒歩行軍を生き延び、かろうじて“祖国”と呼ばれる地に辿り着いた者たち。その多くが、祖国には歓迎されなかった。

列車は来なかった。住宅も配給もなかった。彼らは“いましばらく”の名のもとに、ここロスノフの操車場脇に設置されたキャンプに押し込まれていた。


アラヤは視線を上げた。乾いた大地に、布で覆われた仮設の野営地が広がっていた。テントは風にばたつき、ドラム缶に焚かれる炎が、どこか現実感のない色をしていた。歩く者たちはすでに兵士ではなかった。

制服の階級章は剥がされ、部隊章は煤け、誰もが「何者でもない顔」をしていた。だが、その「何者でもない顔」こそが、この国の記録に載ることのなかった戦争の、もっとも正確な肖像だった。


「……プリレーピンは、あそこにいるはずだよ」


ナユタがブレーキを踏んだ。車体が小さく揺れ、フロントガラスの向こうに、一人の男の背中が見えた。タール色のコートを羽織り、焚火に背を向けたまま、動かずに立っている。周囲の兵たちはその男の周囲だけ一歩引いていた。まるで彼を囲む空間だけが、時間の流れを許されていないようだった。


アラヤは胸ポケットから小さな封筒を取り出した。未開封のままのそれには、モーリスの筆跡で、たった一言だけが書かれていた。


「君が、この国を、書き換える」


その文字を見つめながら、アラヤは考えていた。

書き換えるとは、破壊か、それとも再構築か。記録を焼くことは、記憶を消すことか。あるいは、その逆か。


ドアが開く。外気が流れ込む。

それは、火薬のようであり、泥水のようでもあり、どこかで嗅いだ死者の匂いだった。


アラヤは立ち上がり、キャンプへと足を踏み入れた。


背後でナユタが呟いた。

「記録されない歴史って、どうなるんだろうね」


その問いに、アラヤは答えなかった。

ただ、彼女の瞳の奥で、時の流れがわずかに滑った。

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