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4:学園最大のスパイかと思ったらただのデータ偏執狂でした、ていうか記録魔って何?

学園の広場には、色とりどりの旗と横断幕が張られていた。

 各教室で装飾が始まり、生徒たちは行進練習や合唱演目のリハーサルに追われていた。


 だが、笑顔の裏にあるのは、緊張と沈黙だった。


 “スターリンの現地指導”という言葉が、校内放送で繰り返されるたびに、

 誰かが口を閉ざし、誰かが資料を閉じ、誰かが目を伏せた。


 アラヤは中庭で一人立ち止まり、空を見上げる。

 視線の先には、やはりスターリンの肖像画が目に入る。

 白い髪に赤い瞳。10歳程度の少年の鋭い眼差しは、全てを記録する“眼”であるかのように学園を睥睨していた。



 アラヤとラーダは廊下を進み、ミハイル・トッカを抑えるため、廊下の先を進む。

 重たい扉を開けた先にあるのは、薄暗い地下の資料室だった。

 埃っぽい紙とインクの匂いが染みついた空間に、蛍光灯の明滅が微かに瞬いている。


 その奥、端末の明かりに照らされながら、ミハイル・トッカは丸椅子に座っていた。

 足を組み、レンズを拭きながら軽く笑って言った。


「おや、これは珍しいお客様。

 さては“ミハイル砲”――我が新聞部名物・暴露特集の御用件かな?」


 アラヤは無言だった。


 そして、ショルダーホルスターから、音もなく銃を引き抜いた。


 ピストルの口が、ミハイルの額へとまっすぐ向けられる。


 ラーダがすっと扉を閉じる。部室の空気が一変した。


「あなたがスパイ?」


 アラヤの声は、硬質な刃のようだった。


 ミハイルの笑顔が一瞬で凍りつく。


「……は、え? 冗談だよね?」


 その瞬間、アラヤの膝が椅子の背から叩き込まれる。

 彼はあっという間に床に押し倒され、背中にアラヤの膝がのしかかった。


「ぐっ……!? ま、待って待ってっ、なに、なにしてるの!?」


「ネットワークに不正侵入していたわね。

 1968。スターリン記録データ群。“反革命的”なファイルだらけだった」


「そ、それは違うっ、断じてそんな反革命的なことはしてない! そんな恐ろしい……!」


 ミハイルは手を振り上げるが、すぐにラーダが足で彼の手首を踏みつける。

 彼女はにこりともせず言った。


「“反革命的”って言葉、久々に聞いたわね。最近の子はもう使わないのに」


「ちがっ……違う、本当に違うんだ! 国家反逆罪なんて、死刑じゃないか! 信じてくれ!」


 アラヤは銃口をわずかに傾け、瞳を細めた。


「なら……見せなさい。あなたの“真実”とやらを」


 ミハイルは震えながら、自分の端末を差し出す。

 アラヤがそれを操作し、画面に現れたファイル群をラーダが覗き込む。


 そこにあったのは――


・生徒間の成績比較表(学年別・試験別)

・“昼休み目撃”ファイル(誰が誰とどこで一緒にいたかの写真)

・トイレ・更衣室に設置した隠しカメラの映像(保存・分類済)

・副会長の音声解析(夜間の泣き声・寝言・不明発話記録)

・ラブレターの流通経路マッピング


「……」


 アラヤは画面をしばし見つめた後、音を立てずにため息をついた。

 ラーダは手を口に当てて肩を震わせる。


「はは……なるほど。スパイどころか、ただの“統計ストーカー”じゃない」


「……僕は……僕は、“記録されない真実”にしか興味がないんだ」


 ミハイルの声が震えていた。


「表に出るものは意味がない。誰が誰と付き合ってるとか、誰がどこで泣いてるとか、先生が誰を依怙贔屓してるかとか、

 そういうのは全部、学園の真実だ。……だから僕は、それを残す。報道する。記録する。それが――」


 アラヤはもう聞いていなかった。

 彼の声が熱を帯びていくのと反比例するように、冷たく、静かに左手を取り出す。


 注射器。


「なっ……や、やめ――」


「安心して。痛みはすぐ消えるわ」



アラヤは注射器を手に取り、ミハイルの首筋に刺した。記憶抑制薬――30分前の記憶を消し、軽い夢見状態を引き起こす薬液が静かに注入された。


 ミハイルの体から力が抜け、彼はうわごとのように呟いた。


「……そっか、僕……何話してたんだろ……? 疲れてたのかな……うん……」


 アラヤは静かに彼の額から銃を外し、立ち上がる。


 ラーダがぽつりと皮肉を落とした。


「失恋よりダサい“無罪証明”ね。

 まあ、スパイよりマシかもしれないけど」


「……中身は無害だった。でも、入ってた箱は異常だった」


 アラヤは端末画面を指差す。


【/Obsidian/vault/star/1968.BAK.デッドコピー】

【/archive/ユリウス/声記録2.56/暗号ログ】【lock_level:5】


「新聞部の端末に、これは“不自然すぎる”。

 この鍵は、別の場所で使われた形跡がある。……図書塔よ」


「……いよいよ“本棚の奥の穴”ってわけね。

 白うさぎはどこまで走るつもりなのかしら」


 アラヤは答えず、ただミハイルの端末を記録バックアップし、ドアへ向かった。


 部室の照明が落ちる瞬間、彼女の目には、塔の影がちらついていた。



 月のない夜、学園中央ホールには柔らかな灯りがともされていた。


 そこでは毎夜、“生徒 vs コンピュータ魔女《ルーク03》”の公開対局が行われていた。

 チェス部主催、形式上は娯楽企画。だが、観客の表情は笑っていない。


 ホール中央に設けられた円卓。盤面の脇には、細長い砂時計が置かれている。

 それは《時間錨テンポ・アンカー》――魔術干渉に一切影響されない観測装置だった。

 時間停止を行っても、逆行しても、この砂だけは一方向に流れ続ける。


 アラヤはその砂をちらと見た後、ユリウスの向かいに座った。


「黒番を、どうぞ」


 ユリウス・ペトロニウス。

 彼は赤いワインのような瞳で盤面を見つめたまま微笑んだ。


「今日のルークは若干改造してある。記録の外で学習した“余白”が含まれているんだ」


「観測不可能な学習、ですか。……ずいぶん危険ですね」


「危険なものほど面白い。チェスも、魔術も、記憶も同じだよ」


 静かに対局が始まった。ルーク03は淡々と駒を進めてくる。

 その動きは人間以上に冷静で――だが、どこか不穏だった。


 数手を進めたのち、アラヤがふと口を開いた。


「あなたは……私が“長考”している間に、動けるのですか?」


 ユリウスの駒が止まる。


「面白い質問だね。あいにく僕は、止まっている間に“指せる”だけだよ」


 彼は砂時計を指差す。


 アラヤは笑わなかった。ただ、一瞬まばたきを止めた。


「この対局、記録されてますか?」


「もちろん。盤面の“軌跡”は、毎手ごとにログに変換されてる。――君が欲しいものは、その中にある?」


 アラヤはそれ以上何も言わず、黙って駒を進めた。

 消灯時間の鐘が鳴り、ゲームは中断された。


「今日はここまで。ログは保存してあるよ。君なら、解き明かせるはずだ」



「マジで勘弁して。盗撮、盗聴、比較表まで作るって、ある意味こっちの方がスパイじゃない?」

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