4:ゼロの遮断
喧騒が満ちるバザールの路地を、アラヤとナユタは並んで歩いていた。
太鼓と香辛料の香り、売り子の声と乾いた笑い声、靴底に伝う熱気。
そのすべてが、これから始まる“計画”とは無縁に見えた。
「EMPで通信を遮断。IFFも無力化される」アラヤが言った。
「プロパガンダは?」ナユタが聞く。すでに耳飾り型の通信機を調整しながら。
「偽装された映像、改変された説教、焼けた市場の瓦礫。そのすべてを“真実”に変える。人は記録より感情を信じる」
「わかりやすいね。みんな怒りやすくなってるし」
アラヤは一枚の紙片を空にかざした。手刷りの地下新聞。
「異教の軍靴、か。フェイルの文章は煽情的すぎて笑えるけど、効くわね」
路地の先、石柱の影からエルシャムが現れた。浅黒い肌に軍帽、かつて帝国の情報大学で教鞭を取っていた女。
その後ろにはカジム――かつて連盟陸軍の大尉であり、いまはモーリスの側近として潜伏している男がついていた。
「お待たせした。EMP装置は3基、それぞれ稼働可能だ」エルシャムが短く報告した。
「お前たち、準備は?」カジムの声はかすれ、熱砂で擦り切れたようだった。
「もちろん」アラヤが返した。「時間は?」
「あと三十二時間。夜明け前に同時に爆破する」
「その後はどんなシナリオ?」
「モーリスが飛行船を使って電波ジャックとジャミングでの心理戦をやるそうだ。君らはシェム・ヤアラに向かい、説教のシナリオを少し書き換えてもらいたい。役者はもう用意してある」
「ちょっと忙しくない?」ナユタが反応する。
「文句言わない」アラヤが制する。
カジムが場をまとめた。
「紳士淑女諸君、モーリスはこの作戦に期待している。寸分の狂いなく動けば、世界は我々の手のままだ。各員、最適の行動を」
集う「世界を売った者たち」が、その言葉を最後に散ってゆく。
夜が始まりかけていた。砂丘の尾根を辿って登り、アラヤはようやく最後の中継塔へとたどり着いた。
連盟の高地に建てられたその塔は、監視網の中枢だった。
手にしたEMPユニットの冷たさが掌に残る。彼女は装置を鉄骨の継ぎ目に滑り込ませ、接触点を固定する。
「あと二十秒で起動可能」
自分に言い聞かせるように呟き、視線を空に向けた。
遠く、ローターの音が聞こえた。高く、鋭く、規則正しく。
そのシルエット――双発、傾斜翼、側面に複数のハードポイント――
記憶が即座に結びつく。かつて敵であった頃、識別資料で何度も見た。
「……アルファ部隊」
それはただの特殊部隊ではない。選別された兵士、強化された身体、洗練された命令――そして、感情を排した行動力。
「動き出してる」
アラヤは背を向け、山の影へと飛び降りた。足元に砂煙が舞う。着地と同時に、風が背中を押した。
通信機からナユタの声が微かに入る。
「予定より早いね。どうする?」
アラヤは言った。
「急ぐしかない。影が伸びる前に、火を点ける」
その夜、3つのEMP爆弾が、世界の通信を沈黙させる準備を完了していた。
空はまだ星を見せず、ただ、遠くで犬の吠える声が響いていた。
午前四時、空はまだ夜の深みに沈んでいた。星々は静まり返り、風さえも息を潜めていた。
地上に何の兆しもなかった。だが次の瞬間、空気がふるえ、遠くの丘陵が青白く染まった。
音はなかった。破壊は、音よりも先に来る。
連盟の中継塔、帝国の補給基地、王室連合の衛星リレー局――
その全てが同時に沈黙した。
電子地図は黒に変わった。
交信はノイズへと堕ち、IFF識別コードは読み取り不能。
味方と敵の境界が、瓦解した。
誰がどこにいて、何をしているのか。
指令も、支援も、上意下達も、すべてはただの沈黙に変わった。
各陣営の前線司令部では、一様に異常ランプが点滅したまま、誰も何も言わなかった。
技術兵はキーボードを叩き続けたが、画面は応えず、将校は拳を握りしめたまま時計を見ていた。
だが、何も戻ってこなかった。




