3:火災発生、記録消失。時間停止能力で、生徒43人のポケットと靴裏を全部調べてみた
寮舎・深夜1時18分。
火災は、誰にも告げずに始まる。
最初に煙を嗅ぎつけたのは、1階西棟の点検担当女中だった。
警報が鳴る数秒前、配膳エリアの裏手にある配線盤が、火花と共に爆ぜた。
直後、非常ベルが一斉に作動。
火元は女子寮・南翼の洗濯室とされ、室温センサーが130度を記録していた。
生徒たちが廊下に駆け出し、消火器を手に叫びながら逃げる。
女中部隊が放水に回る頃には、端末室に置かれていた17台のユニネット端末が、熱損と衝撃で焼失していた。
「偶然にしては出来すぎてるわね」
ラーダの冷たい声がアラヤの耳に入る。
「逆行で確かめてみる」
アラヤは、廊下の片隅に静かに座り込んでいた。
指先を軽く噛み、眉間を寄せ、内側で「時計の音」を巻き戻す。
(――記録、再生。対象:過去20秒)
その瞬間、視界が“巻き戻し”を始める。
煙が吸い込まれ、火が天井から逆に戻っていく。
壊れた端末が砕けた部品を逆再生で吸収し、元の姿に復元されていく。
人々の動きも反転する。悲鳴が静かに飲み込まれ、走る足音が後ろへ流れる。
それは、この世界全体が“記憶の逆再生装置”に変わったような光景だった。
アラヤの瞳は、加速する映像の中から一つの“失策”を見抜いた。
「あれ……鍵、かけてない」
2階・中央階段横のセキュリティドア。
そこを通り抜けた女子生徒が一人、ドアノブを素通りして振り返りもせず立ち去っていた。
彼女の制服の袖口には、赤い織模様。第3クラス――数理科の生徒。
(囮ね)
アラヤは時間を“停止”させる前に、瞳をすっと細めた。
(火災そのものは陽動。目的は端末消去)
その20秒間だけで、彼女はすべてを把握していた。
午前6時、学園は火災処理班の対応に追われていた。
寮の一部は立ち入り禁止となり、端末室には立ち入り禁止のマークが点灯したまま。
その混乱の中、アラヤは制服の胸元に通信端末を忍ばせ、ラーダと連携をとっていた。
「現時点で怪しいのは、生徒43名。上位クラスと数理科が多いわね」
「広く張る。今日は“止める日”にする」
アラヤは、1限と2限の間の廊下で小さく息を吐いた。
次の瞬間――。
世界が凍る。
歩いていた生徒が、その姿勢のまま静止する。
風が止まり、影が止まり、アラヤの瞳だけがぼんやりと光を放つ。
アラヤの瞳の光は、時間操作能力の発動を意味する。1日に使える時間は限られ、過度な使用は彼女の体力を著しく消耗させた。
アラヤはゆっくりとステップを踏み、静止した生徒たちのポケット、制服、靴裏の泥などを調べていく。
1日に数十人。
休み時間ごとに世界を止めては、“不自然な記録”を探し続けた。
3日後、疑惑の中心はふたりに絞られた。
「《ミハイル・トッカ》。新聞部部長。生徒用の旧式ネット回線を勝手に改造してて、文芸部の地下室に“送受信ルーム”を作ってたわ」
「観測系か。受信者。……彼が“穴”なのね」
「でも、送ってる側がいる。手紙じゃない、データを送れる権限を持つ人間――」
「《ユリウス・ペトロニウス》」
アラヤは短く答える。
「彼がスパイマスター本体か、あるいは……」
「スパイマスターに“書かれた役”を演じてる俳優か。面白くなってきたわね」
「時間操作能力は便利だけどね、限度ってもんがあるのよ。あんた、そのうち“時間酔い”で吐くわよ」