3:捜査会議
翌朝、総局地下第333会議室。
標準化された会議卓に、アトリが召集した者たちが集められた。天井の照明は魔術的に遮断され、各人の座標が黒の虚空に浮かんで見えた。
「ディーパの死は“観測されていなかった”。ゆえに、我々が観測する」
アトリの言葉は簡潔だった。だが、それは「観測されなかった出来事が現実である」ことを証明するための戦いの開始でもあった。
まず姿を見せたのは、マルガだった。褐色の肌に短髪、少年の声色と大人びた身振り。
「整合性こそが真実です。記録が支離滅裂なら、それは記録の方を修正すべきです」と語る彼は、冷静に端末を操作しながら、事件を“論理的矛盾”として整理し始める。
その隣、白磁のように色の抜けた肌の少年——カルパは、肩口まで落ちる前髪に隠れた目を一度も上げなかった。
彼の指先は魔術詩のような構文を空中に描き、「この暗号鍵は、二重鍵になっている。つまり内部にもうひとつの記録が隠されている」と告げた。
三番目に現れたのは、ソダシ。
肩に流れる銀の髪。香水の残り香と、誰かの意図を纏ったような艶やかさ。だが、その瞳は氷のように冷たかった。
「この事件、記録じゃなく“感情”で仕組まれてるわ。記録者が誰かを“信じた”瞬間に情報は歪む。……だから、誰を信じたの、アラヤ?」
最後に、無言のまま座についたのがクシャナだった。
中性的な輪郭、時間に存在しない者のような身のこなし。観測位相の安定化を担う彼(彼女)は、魔術反応の相関図を提示し、
「現場には“記録されていない魔力痕”が存在していた。通常、これは“自己観測者”の死亡でしか起こらない現象」とだけ、静かに告げた。
アトリは、アラヤを見た。
「君には、観測主担当として動いてもらう。君だけが、記録と記憶の間を渡れる」
アラヤはうなずいた。
だがその胸の奥に、“記録にないはずの白いうさぎ”の姿が棲みついたまま、消えなかった。
誰が、なぜ、彼女にそれを見せたのか——
それすらも、記録されていなかった。
第333会議室は、記録国家において“疑問”を扱うために設けられた例外の空間だった。
真っ白な立方体の室内。四方の壁には物理的な映像投影機は存在せず、すべての情報は魔術式ホロスライドによって、記録階層から直接“再構築”されて映し出された。
過去を再生する空間。観測者が観測し損ねた断片を、文字通り“再記録”するための舞台だった。
「ディーパの死について、初期調査の結果を共有する」
マルガの声は整っていた。
少年のような軽やかさを保ちながら、語尾には迷いがなく、整合性の中に収まる音だった。
言葉のひとつひとつが、既存の記録に根ざし、矛盾を起こさないように慎重に選ばれていた。
彼の手元の魔術端末から、空中にホロスライドが立ち上がる。
それはスライドというにはあまりに“立体的”で、“干渉的”だった。
ディーパの作業机、暗号処理端末、送信装置、魔術記録ノード——
そして、机の片隅に貼りつけられた「白いうさぎ」のシールまでもが、実物の位相から再構築されて浮かび上がる。
「第一に、まずは死因から考えよう。被害者――ディーパは背後から何者に後頭部を銃撃され即死。弾丸は7.65ミリ。人民武力総局でしか使用されていない、小型の消音特務拳銃専用の実包だ。つまり、総局内の拳銃を所持する人物の犯行と疑う他ない」
カルパが静かに口を開いた。前髪が垂れたまま、その目は誰の視線も捉えず、空虚を刺していた。
「執行実包の数については調査中…です。でも…局内の消音拳銃は任務中の“個人管理”が多く、紛失することもしばしばなので、員数確認からの解明は難しい…です」
「もしくは、犯人が一から作った、とか?」
銀髪のソダシが、わずかに口角を上げて言った。
その笑みには嘲りの成分と、獲物を前にした肉食獣の冷ややかさが入り交じっていた。
「ねえ。もし『ネズミ』が入り込んでたらさ、火薬から銃まで、全部“似せて作る”って選択肢もあるでしょ?」
その言葉に応じたのは、クシャナだった。座ったまま、指先で空間をなぞる。何も触れていないはずなのに、情報の位相が変化した。
クシャナが“観測波”を解析した証だった。
「観測された硝煙反応は間違いなく総局仕様のもので間違いない。消音拳銃用だから火薬の合成も特殊。これ、まだバレてないから他は真似できない。内部犯行で確定」
「じゃあ、やっぱりウチの人間ってコト?嫌よ、それ」
「あるいは、“内部にいながら”外部と繋がっている者」
マルガの言葉は冷静だった。
「……二重スパイ。いわゆる“モグラ”。
本件がただの突発的殺人ではないなら、捜査には極秘指定が必要だ」
「『モグラ狩り』ね」
ソダシがわざとらしく肩をすくめる。
「カルパ。死亡時刻と接近可能範囲から“容疑可能性の高い局員リスト”を」
カルパは黙って頷き、魔術端末を操作する。
浮かび上がったのは、6名の人民武力総局職員の名前と勤務軌跡。
「……この6名。全員、事件前後の30分以内に33号室付近の通信層にログがあります。
うち、消音拳銃保有の可能性があるのは3名です……。証拠照合次第では、もっと絞れます」
「では僕とカルパでそのうちの3人をあたる。アラヤとソダシは残りの3人を。
クシャナは殺害時点の観測痕跡と、記録ログの改竄有無を解析してくれ」
空間に指示が下り、4人がそれぞれの役割にうなずく。
その中心で、アラヤは動けなかった。
頭の奥に、あの音列が蘇っていた。
「21・4・21・9・40・15・7・80」
数字が脳内で螺旋を描く。
ディーパの最終送信ログに記されていた、封印された数列。
「330 / 41 / 789 / 66」
どちらも数列。そしてこれが、アラヤ達スパイの何らかの条件付けを発動させる起動シグナル。
いや、あれは——シャクティの声ではなかったか?
あるいは、自分自身の内側から鳴っていた声だったのではないか?
なぜ、条件付けが自分に作用したのか。
なぜ、ディーパが死んだのか。
アラヤの手のひらがじっとりと汗ばんでいた。冷気のない空間で、震えにも似た皮膚感覚だけが現実だった。
“私は観測者だ。記録の外側にあるものを見なければならない”
だが今、自分の中に入り込んでいる何かが、視線を歪ませていた。
記録者でありながら、観測者でありながら、“記録された”存在でしかないのではないかという疑念。
そのとき、脳裏でまた、数字が鳴った。
誰の声でもない。アラヤ自身の記憶の底から響いた、逆行する命令。
「…、…ヤ、アラヤ?」
マルガが声をかけた。
気づけば四人全員が彼女を見ていた。
アラヤは静かに息を整える。
「なんでもないわ」
そして、一歩踏み出すように呟いた。
「……観測を、始めましょう」
その言葉は小さかったが、四人の魔術師たちは誰ひとりそれを聞き漏らさなかった。
空間が静まり返り、唯一“記録されていない真実”を、今から暴くという緊張が漂っていた。




