2:女子寮のトイレ掃除してたら、国家転覆レベルの暗号データが出てきた件について
午前零時。
鎮星学園の女子寮の廊下は、沈黙の膜に覆われていた。
その奥、洗面所と併設されたトイレから、水の音と、ほうきの掠れる音が静かに響いている。
制服姿の少女が、スチール製の洗面台にもたれていた。
蒸気で白く曇った鏡の前、髪を結い直している。
彼女の背後では、一人のメイド――アラヤの僚機、コスモラーダが便器の縁に雑巾を被せ、過剰に丁寧な動作で磨いていた。
「女中らしく板についてるわね」
アラヤが小さく呟く。
「そりゃもう、本業だもの」
ラーダが顔を上げる。ラーダはアラヤに先立ち、女子寮備え付けの万能文化女中として潜入。既に掃除動作は板についていた。
「ここが一番カメラの死角なのよ。しかも女中用ネットワークの中継端末がトイレブース内にある。
……“思春期の秘密空間”ってやつね、ありがたいことに」
ラーダはほうきを止め、立ち上がってエプロンの下から携帯型端末を取り出し、アラヤに投げる。
「赤色ユニネットの端末、さっき検索をかけてみたけど――」
液晶に複数のフォルダ構造が浮かぶ。
その中に、異様に長く無意味な数字列の名前がつけられた暗号化フォルダがあった。
「“019751965.1968.NULL.7D.STAR”……ねえ、これ、見覚えあるんじゃない?」
「“1968”……やっぱり」
アラヤは頷いた。
小さくタオルで首筋を拭いながら、窓の外に視線を向ける。
「この学園にはスパイ網がある。
しかも、かなり上層部まで浸透してる。……今回の任務は、それを摘発すること」
ラーダは一瞬、スプレーボトルを吹きつけ、手を止めずに続ける。
「女中長のAI、思ってたより古いバージョンだった。
システムレベルが低くて、パスワード一発で踏み台にできたわ。
明日もう少し深掘りすれば、メインフレームにアクセスできるかもしれない」
「急がなくていい。網は、向こうから動いてくるはず」
アラヤの目がわずかに光を帯びる。
「……来週、創設祭が行われる。軍直轄施設であるこの学園の“存在証明日”。
その場に、一号――最高指導者のスターリンが“現地指導”に来る予定よ」
「最高尊厳の行幸ね。大スターのおでましじゃない」
「それを利用して、何かが起きる。スパイ網は必ず動く。
こっちはそれを、確実に掴んで引っ張り出す」
ラーダは髪を束ね直し、さりげなく掃除道具をバケツに仕舞いながら言った。
「味方側の手札は?」
「教師のタラシェンコ。元人民武力総局員。今は教職に偽装してる。
“記憶処理”されてるけど、断片的には覚えてるはず」
「つつけば何か出てきそうね。で、怪しい子の目星ついてる?」
「いいえ、そっちは何か掴んだ?」
「ログを見ると怪しいのが2人」
ラーダがトイレットペーパーを交換しながら続ける。
「ミハイル・トッカ。
記録マニアで、独自の通信ネットワークを構築してるわ」
「多分、情報の“受信点”になってる」
「本命の“発信点”じゃないの?」
「それもある。でも、彼は目立ちすぎる。囮かもしれない」
ラーダは一度頷いて、便器の水を流した。
それと同時に、トイレ内の壁に設置された端末が一瞬だけ赤く明滅した。
「さっきのフォルダ、もうひとつ面白いログがあったわよ。それが2人目」
「誰?」
「ユリウス・ペトロニウス。今日あんたがチェスやってた生徒会長。
あの子、2日前にこの暗号フォルダに“再書き込み”してる。時間は深夜2時、場所は――」
「図書塔」
アラヤは即答した。
「間違いない。あの時計塔の地下に、何かある」
ラーダが満足そうに笑う。
「じゃああとは、副会長のアイナ・グレバだけね。……あの子、観察者の目をしてる。
“自分が観測されている”ことに気づいているタイプ」
「……時間がかかるかもしれない。でも、潰すのは最後でいい」
アラヤは立ち上がり、制服の裾を整える。
夜の洗面所に、少女と女中の影がふたつだけ揺れていた。
「乙女の秘密空間に国家機密ってどういうギャップ演出?しかもスパイ網が“白うさぎ”?」