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6:愉快なジャングルクルーズの始まりです

夜が、川面に降りていた。


焼け跡の森を抜け、アラヤたちは南東へ進路を取り、ドゥオンの別働隊と合流していた。

川辺に姿を現したのは、かつて帝国から鹵獲されたとされる老朽化した装甲武装ボート。

外装には所々に黒い焼痕と鉄錆が浮かび、排気孔からは不規則なリズムで白煙が上がっていた。


計3隻の軍用舟艇が、泥濁りの川を遡上していく。

波のない水面を、船のキールが粘つくように切り裂いていた。

川岸の木々は夜風に揺れ、遠くで蛙の声が濁った音で響いていた。


船の中央に、シビル・カーペンターがいた。

床にじかに腰を下ろし、膝を抱えるでもなく、ただ静かに座っていた。

金色の髪が川風にゆれ、目は開いていたが、視線は誰にも届いていなかった。


彼女は舟の揺れにも、夜の冷気にも動じず、何かの“記録”として存在しているだけのように見えた。


アラヤは、ゆっくりと彼女の隣に座る。

木製の甲板がわずかに軋む音がした。


遠く前方、機関砲座に座っていたラーダが振り返る。


「……あの子、ほんとに“見てる”のね」

ラーダの声は低く、風に紛れるような調子だった。

「過去も未来も、現実も虚構も……

まるで、全部を“記録してるふり”してるだけにも見えるわ。

誰かが世界を見てる芝居をさせてるみたいに」


アラヤは答えず、視線をシビルに向けた。


船の灯りが揺れ、少女の瞳に微かに反射する。

光がある。けれど、それは“今”を映してはいなかった。


アラヤは静かに、そっと手を差し出した。

少女の右手に、自分の左手を重ねる。


その肌は冷たくも熱くもなかった。

ただ、まるで他人の記憶の中に手を入れるような感覚だった。


「……それでも」

アラヤはぽつりと呟いた。

「誰かが、手を握ってあげないと。どれだけ遠くを見ていようと、ここにいるってことを」


そのときだった。


川の流れが、一瞬だけ逆転した。

舟がゆるやかに揺れ、舳先がわずかに持ち上がる。

誰かが音を立てたわけでも、エンジンが異常を起こしたわけでもない。

それは、水そのものがひるんだような現象だった。


ラーダが眉をひそめ、アラヤが反射的にシビルの顔を見る。


その小さな唇が、微かに震えた。


「……また来る」

声は囁きに近かった。

「空が……怒ってる」


夜空に視線を向けると、雲の奥で微かに閃光がまたたいていた。

雷ではない。

それは探照灯の明滅。航空支援ではない何かが、再び空を満たそうとしていた。


ヴァンが後部の操縦席から身を乗り出し、短く問いかける。

「なにかあったか?」


アラヤは答えなかった。


そのかわりに、ただシビルの手を握りしめていた。


「グリーンハウスまでは、あとどれくらい?」


ドゥオンの声が船首から返ってくる。

「夜明け前には、下流域に入れる。そこからは支流を北上だ」


夜が川を包み込みながら、静かに後ろへ流れていった。




川の上空に、濁った風を切るような音が走った。

低く、断続的な重低音。

水面に映った月の像が揺らぎ、木々がざわめきを孕んで割れていく。


ローターの回転音。

王室連合のヘリコプターが、暗黒の空から舞い降りた。


一機、二機――

河岸をなぞるように旋回し、まるで狩人のような間合いで舟艇に迫る。


砲口が火を吐く。

ボート周囲の水面に、無数の火花が咲いた。

弾道の軌跡が、濁流に無意味な幾何学を刻む。


ロケット弾が放たれると、随伴していた2隻のボートがほぼ同時に爆発した。

火柱が上がり、鉄板が弾け、叫びと水飛沫が夜空に飛んだ。


「来やがった!集中砲火されてる!」


ヴァンの叫びが、爆音の中でもはっきりと耳に届いた。

対空砲座に駆け寄り、応戦のために構えたその手が、火に照らされて光る。


ラーダが発砲する。

「やばい、こっちに乗ってくる!」


ヘリの腹部からロープが垂れる。

四人の兵士が黒い影のように降下してくる。

彼らは、風と重力を支配しているかのように軽やかだった。

次の瞬間、兵士たちのブーツが舟の甲板に着地する音が響く。


ラーダの射撃で二人が吹き飛ぶ。

ヴァンの銃撃で三人目が崩れる。


だが最後の一人が、アラヤとシビルのいる中央区画まで踏み込んでいた。

アラヤの目が細められる。

相手の刃が振り下ろされる寸前――


世界が、止まった。


時間が粘土のように固まり、空気が粘つく。

ローター音すら、遠くに消えた。


兵士の身体が静止し、その顔に緩慢な恐怖の痕跡だけが残る。

アラヤは一歩前へ出て、無言のまま敵の銃を足で蹴り落とした。


その一秒が過ぎ、兵士の瞳に動揺が浮かんだ瞬間、

アラヤの手が肩を押し、体を傾けさせて、舟の外へ突き飛ばした。


兵士は音もなく川へ落ちた。

水飛沫が遅れて舞い、波紋が夜の帳に消えていく。


アラヤは言った。


「……遅れて来る未来なんて、私は選ばない」


そして身体をひねり、助走もなく跳躍した。


彼女は闇に向かって飛んだ。

近接してきたヘリのスキッドに両手を伸ばし、

金属の骨組みにしがみつく。


風が巻き、ローターの逆風が顔を打つ。


だがアラヤは動じなかった。

身体を這わせるようにキャビンへと登っていく。

銃手が驚愕の声を上げるより早く、アラヤは片腕を伸ばしてその肩を掴んだ。


抵抗する暇もなく、銃手は空へ落ちていく。


機内には操縦士がひとり残っていた。

彼は反射的に拳銃を抜き、振り向きざまにトリガーに指をかける。


しかし、その動作よりも速く、時間が加速する。


アラヤの姿が残像となり、グリップが彼の手首を握りしめた。

指が凍ったように動かない。


「さよなら」


アラヤはそう言って、拳で操作盤を掌打した。


コンソールが火花を散らし、制御系が一瞬で狂う。

ヘリはバランスを失い、旋回軸が崩れた。


その進路の先には、もう一機の王室連合機がいた。


次の瞬間、金属と金属が衝突する凄まじい音が、夜空を引き裂いた。


機体と機体が空中で絡み合い、炎が噴き上がる。

破片が散り、爆炎が雷光のように川面を照らした。


その爆風の中心から、アラヤの身体が落ちてくる。


白い飛沫が、一瞬だけ水面から月を隠す。


アラヤは、音もなく、闇の川へ墜ちた。




夜の川面に、火と影が交錯していた。


二機のヘリが爆発し、炎の残光が水に映る。焦げたオイルと金属のにおいが風に乗り、視界の隅に熱のゆらぎが残る。

ボートはわずかに傾き、船尾にいた兵の一人が叫んだ。

「人質だ!」


中央にいたのは、ヘリから降下していた王室連合の騎士だった。

黒銀の甲冑は汚れていたが、その態度には戦場を嗤うような気位があった。

片腕にはシビル・カーペンター。

もう一方の手には抜き放たれたレイピア。細身の刃が、少女の白い首元にぴたりと添えられていた。


「近づけば、この子を――!」


剣の先に緊張が走る。

ヴァンとドゥオンが身構え、ラーダは銃口を騎士の眉間に合わせながら動きを止める。

一触即発。いや、もうすでにその瞬間は訪れていた。


だが、その時だった。


水がうねった。

それは波ではなかった。風もなかった。

川面の一箇所が、まるで下から突き上げられるように盛り上がった。


そこから姿を現したのは、ずぶ濡れのアラヤだった。

水滴が顔を伝い、服は重く張り付き、髪から雫が落ちる。

だが、その眼は濁っていなかった。むしろ静かに光を宿していた。


ラーダが一瞬だけ視線を送る。

ドゥオンとヴァンも、無言のまま騎士との距離を保ったまま、目だけで了解を交わした。


アラヤは無言のまま、歩を進めた。

川に濡れた足音が、甲板に残る血と油を踏みしめていた。


「来るんじゃない!」


騎士が怒鳴った。

剣先が揺れ、シビルの髪をかすめる。

だが、アラヤは止まらなかった。


声は静かだった。


「やめて。その未来はもう……来ないから」


風が一度だけ、甲板を横切った。

シビルの金色の髪がふわりと舞い、

その瞳が、初めて――わずかに、アラヤを見た。


そして、世界が止まった。


音が失せ、色が褪せ、動きが断たれた。

刹那の停止。凍結した時間の中で、アラヤの身体だけが動いた。


彼女は一歩踏み込み、手を伸ばして、シビルの手を引いた。

次の瞬間、世界が再び動き出す。


騎士の剣が揺れ、視線が空を探る。

だが、腕の中の少女はもういなかった。

代わりに数メートル離れた場所で、アラヤの足元に立っていた。


「何ィ?!」


騎士が叫んだ。

その声が消えるより早く、ヴァンの拳が甲冑の肩口を打ち抜いた。

ドゥオンが背後から体当たりし、ラーダが足を払うように蹴りを入れる。


騎士はもんどり打って倒れたが、なお叫んだ。


「貴様ら、三人がかりとは卑怯だぞ!誇りはないのか!?」


「何言ってんだ! 女の子を人質にとっておいて!」

ヴァンの怒声が響く。


アラヤは、その間、静かにシビルの肩に手を添え、

もう一方の手で、少女の目元を覆っていた。


「見なくていい」


ラーダは銃口を下げながら、ため息をついた。

「まあ、時代錯誤もここまでくると……」


騎士の目には、敗北ではなく“理解不能”の色が浮かんでいた。

彼の中にあった“戦争”の定義が、この現場では通用しなかった。

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