表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

31/88

5:惜春鳥はハンバーガーヒルに斃れます

空が、鳴った。


「ボーン」

ひとつ目の鐘声が、丘に重く落ちた。


「ボーン」

続けて二つ目。高く、硬質な金属音。


「リンゴンカン」

最後に耳障りな歪みを帯びた鐘の音が、断末魔のように尾を引いた。


丘の上――

黒い詰襟に身を包んだ白塗りの兵たち八人が、柱時計を胸に抱えたまま、その音に呼応するように動き出した。

舞台の幕が上がったように、あるいは、何か儀式的な殺戮が始まる合図のように。


その最後列。

一段高い岩場に、黒の修道服を纏った魔女が立っていた。

血のような口紅、肌を覆う白粉、足が地を離れている。

ドロテア・カッシーニ。


手を振るわけでも、声を上げるわけでもなかった。

ただ、静かに片手を上げ、掌で円を描くようなサインを描いた。


次の瞬間、丘の上から白塗りの兵たちが一斉に火を放った。


矢のような魔術光が、一直線に火線を引いて塹壕へと落ちる。

精確すぎる射線は、まるで塹壕の形状まで予測されていたかのようだった。


一人、また一人と、ドゥオンの兵が音もなく崩れた。

ある者は頭蓋を貫かれ、ある者は胸を焼かれ、ある者は炎に包まれて絶叫すらできずに倒れた。


「遮蔽を取れ、伏せろッ!」


ドゥオンが叫び、ラーダがシビルを抱えて塹壕の深部へ飛び込む。

アラヤ自身も跳ねるように斜面を滑り落ち、銃弾が風を切る音がその耳元を通り過ぎた。

ヴァンとドゥオンも塹壕に滑り込む。崩れかけた土が肩に降り注いだ。


「くそ……!まるで時間で攻撃してきやがる。何なんだあいつら!」


ヴァンが地面を叩いた。


ドゥオンは顔をしかめながら、外の音を聞いていた。

リズムがある。戦術の中に、舞踏のような構成がある。


「……以前、この高地に連合の地上部隊が侵攻してきたとき、退却時にナパーム地雷を複数仕掛けておいた。

大気の熱に反応するタイプで、予測進路さえ誘導できれば、あいつらをまとめて焼き払える。

地形も覚えている。だが――」


「だが、奴らの進路に俺達がいる。つまり、反転しない限り巻き込まれるってことか」


ヴァンの言葉に、ドゥオンは頷いた。


「正面の位置を交換する必要がある。

そのためには、奴らを下へ引きずり込む間に、こちらが左右へ展開して抜けるしかない。

危険なタイミングだが、成功すればこの戦域ごと焼き払える」


ラーダが端末を操作しながら報告を入れる。


「距離、残り二十メートル。歩行速度は一様。……演出された動きみたい」


視界の上に、黒い列が等間隔で降りてくるのが見える。

丘の傾斜をまっすぐに、直立したまま歩いてくる。

乱れがない。死者の行列のようだった。


アラヤは素早く腰のパックから信号弾を取り出し、火を灯した。


「煙幕を張るわ。煙の中で隊列を左右に分けて、塹壕線を伝って背後へ抜ける。

地雷地帯への誘導は私とヴァンが行く。ドゥオンとラーダは迂回して、合図と同時に南へ抜けて」


「リスクが高いぞ。地雷の爆心には——」


「分かってる。けど、ここで止まれば後は焼かれるだけ」


アラヤの声は冷たく硬かった。

ラーダが頷き、シビルを再び背負いなおす。

ドゥオンは短く兵士に命令を出し、生き残った数人が弧を描くように展開し始める。


ヴァンが構えたショットガンの装填を確認しながら、短く言った。


「じゃあ、踊るか。

次の鐘が鳴ったら、一歩目を出す」


その瞬間、

丘の上の時計が――また、鳴り出した。


「ボーン……」

鼓膜を打つ音と共に、戦場は再び劇場へと変わる。


影が、火と記録を裂きながら、落ちていった。





丘の斜面が揺れ、煙と熱が大気を割った。

足元で爆ぜる破片と土の中、アラヤとヴァンは横滑りしながら斜面を一気に下った。

白塗りの部隊が彼らを追う。直線的な動き、整った脚並み、まるで劇場の中で兵士の演技を繰り返すかのような冷たい進撃。


けれど、位置はすでに反転していた。

ナパーム地雷地帯を背後に抱え、アラヤたちの機動が包囲に見えて、実は網を張る布石だった。


「いまならやれる。奴らは射線を崩している」

ヴァンがそう言いかけたとき、空気がぐらりと震えた。

それは足場が崩れたからでも、爆薬が反応したからでもなかった。


丘の最上段で、ドロテア・カッシーニが立っていた。


シスター服の裾を風があおり、静かに手を広げると、その周囲の温度が一気に下がるような感覚が走った。

地が呻き、空気がねじれる。

彼女の肌から滲み出した血が空中に浮かび、それが何かの印章のように円を描いた。


そして、身体が膨張した。


骨が軋む音。筋が裂け、包帯のような白い繊維が体中を巻いていく。

その瞬間、そこにいたのはもはや人ではなかった。

白く、包帯まみれの、巨大な狼。


ドロテアは吠えた。

音ではなかった。それは記憶の咆哮だった。

聞いた者の脳に、過去の断片が無理やり蘇るような、震える絶叫。


アラヤの瞳が輝き、能力を発動する。


空間が静止する。

――時間停止。


わずか数秒。けれどその一瞬がなければ、彼女たちの誰かは引き裂かれていた。

世界が止まったような沈黙の中、アラヤは身体を滑らせ、狼の喉元に滑り込む。

だが、完全な凍結ではない。ドロテアはその制止の中でさえ、動こうとする意思を示した。


「動くなって言ってるのに……」


アラヤが舌打ちした瞬間、ドゥオンが丘の側面に設置していたナパーム地雷の一つを起爆する。

爆炎が狼の脚元で咲き、咆哮が断ち切られる。

同時にラーダが横から閃光弾を投げて視界を封じる。


だがドロテアは止まらない。

破片を浴び、皮膚が焼け焦げても、獣のままアラヤの背中に迫る。

その目はシビルを見ていた。


「やはり……それがお前たちの切り札か……」


血に染まった口元から、かすかにそう囁くような音が漏れた。


「その子は……記録の奥から来た存在だ……」


アラヤは構えを変え、走る。

シビルを背に、崩れかけた塹壕の側面へ飛び移る。


ヴァンが背後で叫ぶ。


「ドゥオン、いまだ。全部使え!」


ドゥオンが手にしていた起爆装置のスイッチを押し込んだ。


炎が、咲いた。


白い狼の身体を中心に、数発のナパームが連鎖する。

火柱が天へ届き、あたりの地形すら飲み込むように広がった。

ドロテアの叫びが、獣と女と記録の崩壊が混ざったような音となって、耳に焼きついた。


その瞬間、空に閃光が走る。


銀色の光。

王室連合の艦載機が戻ってきたのだ。


機体の腹から、再び焼夷弾が投下される。

だが、それはアラヤたちにとって逃げる隙間となった。


火線の中、ラーダが先頭を走る。

アラヤがシビルを抱き、ドゥオンが後衛を抑える。

ヴァンは最後に、丘の上に転がっていた不発弾を抱えて加工していた即製IEDを肩に担ぎ上げる。


「これで帳尻は合う」


彼は振り返り、炎を背に、「白塗り」たちが再び登ってくる斜面へ向かって、IEDを投げ入れた。


次の瞬間、大地が割れるような爆発。


黒い詰襟の兵士たちは、演者のように、隊列を崩さずに爆炎に包まれた。

ひとり、またひとり。火の中で静かに溶けていった。


ヴァンは肩を振りながら斜面を登り、アラヤたちに追いつく。


「……あの爆発だ。生きてはいまい」


アラヤは顔を上げる。

彼女の頬には煤と血がついていたが、その目は一点の揺らぎもなかった。


「……でも、立ち止まってはいられない」


ドゥオンが空を見上げる。

第三波の爆撃機が、もう一度音速を割って降下してくるのが見えた。


「早く行こう。王室連合の第三波が来る」


そして彼らは、炎と灰の丘を後にし、再びジャングルへと身を滑らせた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ